将棋のプロという生き方、「負ければ引退」を乗り越えた27歳の棋士

先読みのプロでも人生は計算できない。

この勝負に負ければ、プロを諦めなければいけない。

そんな大一番を乗り越えて、プロ棋士になった男がいる。2016年4月にプロ棋士としてデビューした、都成竜馬さん(27歳)だ。

今を遡ること16年前、都成さんは将棋ファンの大きな期待を背負う小学生棋士だった。

そう、今、最年少のプロ棋士としてフィーバーを巻き起こしている藤井聡太四段のように。

ところが、彼がデビューしたのは26歳。かつての天才少年は、なぜプロ入りまでに時間がかかったのか。ギリギリの瀬戸際まで挑戦し続けた、棋士の葛藤に迫った。

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タイムリミット26歳の狭き門

プロを目指す将棋少年たちは、日本将棋連盟が主宰する「新進棋士奨励会」(奨励会)に入会する。奨励会は、全国の「将棋の天才」が集まる組織。入会したからといって、プロの道が約束されるわけではない。

全国の「天才」たちの前に立ちはだかるのが年齢の壁だ。奨励会には年齢制限があり、23歳までに初段、26歳までにプロとなる四段に昇格できなければ、退会となる。

四段に上がる条件は、会員同士の対局で三段に上がり、年2回行われる三段リーグで上位2人に入ること。プロになれるのは、年間でわずか4人という狭き門なのだ。

羽生少年が憧れた棋士の一番弟子

都成さんは2000年、小学5年生の時に出場した小学生名人戦で優勝。同年9月、大阪の関西奨励会に入門し、「谷川浩司九段の一番弟子」として話題になった。

谷川九段は史上2人目の中学生プロ棋士で、幼少期の羽生善治三冠が憧れた棋士としても知られる。谷川九段の弟子は、現在も1人だけだ。

都成さんは、17歳で三段に昇格。順調にキャリアを積んだが、プロの壁は厚かった。先輩や同期は次々と引退、多くの後輩にも抜かれ、気づけば25歳になっていた。「負ければ引退」の崖っぷちから、プロ入りの切符をつかむまで、どんな葛藤があったのだろうか。

——将棋のプロになりたいと決意したのは?

小学生名人戦で優勝した時ですね。奨励会を受験するには、プロ棋士に弟子入りする必要があったんですが、地元の宮崎県にはプロがいないし、つながりのあるプロの方もいない。だったら思い切って、憧れの存在だった師匠に弟子入りしようと直筆の手紙を送りました。

何を書いたかは覚えていないんですが、後に間接的に聞いた話では、とにかく小学生なりにアピールしていたようです。

名人戦で優勝したことはもちろん、自分の名前(竜馬)が将棋と縁があることなんかも。自分の誕生日が1月17日で、師匠が被災した阪神大震災と同じ日だったことにも縁を感じてくださったと聞いています。

——「谷川九段の一番弟子」というのは、プレッシャーにもなりそうです。

入門当初はプレッシャーに感じることもありました。ふつう、奨励会に入ったばかりの子って、知られることってないじゃないですか。

自分は「谷川九段の一番弟子」として覚えてもらうことが多くて。周りからも「すごいのが来たんじゃないか」という目で見られましたし。ただ、そのプレッシャーよりも、後輩たちに抜かされていくのがキツかったですね。

自分が三段に上がったのは17歳で、周りと比べると早い方だったと思います。でもその頃、年下で有望な子たちも三段に入ってきて、彼らは2〜3年でプロになって活躍している。

特に歯がゆかったのが、プロの対局の記録係を務めるときです。記録係は、どれだけ年下の後輩であっても、「○○先生」と呼ばなければならないんです。

昔は自分が「○○さん」と呼ばれていたのに、どんどん立場が変わっていくのが悔しくて。

その頃には「師匠の弟子」というのが、むしろ支えになっていました。「自分は見込みがあって、弟子にしていただいたんだ」と自分に言い聞かせたりして。

——長かった三段時代。師匠からの助言は?

お会いするたびに「力を出し切れば大丈夫だから」と励ましていただいていました。

自分が対局した棋譜を師匠にお送りして、解説を付けて返していただいた時期もありました。今思えばすごいことなんですが……。

対局後は毎回、師匠に結果を報告するんですが、成績が振るわない時期が続いていたんです。師匠は「報告するのがプレッシャーになってるんじゃないか」と気遣ってくださり、「報告しないでいいよ」と言っていただいたりもしました。

——プロ入り前までの生計はどのように立てていたのでしょう。

奨励会のアルバイトですね。対局の記録係や将棋の大会運営をお手伝いしていました。ただ、それだけでは生計が厳しいので、親からの仕送りのおかげで将棋を続けることができました。

自分の場合、実家が宮崎県で自営業をやっていたので、キャリアの選択という面では恵まれていたところもあって。「プロになれなくても地元に戻って働ける」という保険があったのも、精神面でもずいぶんと助けられました。

——年齢制限が近づく中で、別のキャリアを考えたことは?

奨励会員の中には、プロの道一本しかないという人もいれば、引退して社会人になる人もいます。先輩が去っていくのを見てきましたが、まさか自分自身が年齢制限と戦うことになるとは考えもしませんでした。

自分に辞める選択肢はありませんでしたが、さすがに年齢制限が近づいてくると、現実を見るようになったこともありました。

——プロの道を断念した奨励会員とは、今でも交流はあるのでしょうか。

奨励会時代にたくさん戦った何人かとは、今でも遊びに行ったりしてます。やっぱり将棋を通して出会ったので、顔を合わせれば将棋の話になりますね。その場でスマホのオンライン将棋で対戦したり、お酒を飲みながら携帯版の将棋を引っ張り出すこともあります。

——プロデビューから一年が経ちました。奨励会時代との違いは?

対局に挑む気持ちが変わったのが大きいですね。三段の頃は負けるのが不安で、対局が来るのが嫌だった時期もありました。プロになってからは、対局が待ち遠しいというか。心境の変化は、戦い方にもいい影響が出ていると思います。

三段の頃は「どうすれば相手と戦えるか」という受身的な意識が強かったかもしれません。でも、今だったら「これ面白そうだからやってみようかな」と、駆け引きにゆとりができたと思います。

——プロの棋士は数百手先を読むと言われます。将棋以外でも、それは変わらないのでしょうか。

プライベートでは、先を考えずに行動することが結構ありますね。棋士仲間と旅行に行っても、行き先だけ決めて、あとは行き当たりばったり、という人も多かったりしますし。やっぱり先が読めないことって多いので。

将棋でも、そういう場面は結構あります。ふだんは何通りかの選択肢を浮かべて、それらを掘り下げて、最善の一手を選んでいきます。ただ、本当にわからない時もありますし、持ち時間も限られているので、決断が大事です。それは、将棋もプライベートでも同じですね。

——年齢制限ギリギリでプロ入りを決めた。改めて、すごいことですね。

ホッとしたというのが正直なところです。師匠からは、昇段祝いとして駒をいただきました。ずっと前から用意してくださっていたようで、泣きそうになりました。師匠の奥様からは四段昇段を決めた後に、スーツに似合うネクタイをいただきました。

師匠から贈られた駒で、日々の研究を重ねる都成さん。師匠の夫人が用意してくれたネクタイは、大一番に臨む「勝負ネクタイ」として使っています。

先を読むプロの棋士でも計算できないのが人生。「保険市場」には、あなたの挑戦を後押しする保険が揃っています。

Photos by 木村心保 for BuzzFeed