天才・冨樫義博の日常。元アシスタントが振り返る「幽遊白書」の作者ってこんな人

    「ハンターハンター」や「レベルE」の作者として知られる、漫画家・冨樫義博さん。元アシスタントの味野くにおさんが、冨樫先生との日常を語るコミック「先生白書」が発売されました。当時の部屋の様子や、週刊漫画家の過酷さ、天才と呼ばれる漫画家の普段の様子について、味野さんに話を聞きました。

    「幽☆遊☆白書」「HUNTER×HUNTER」「レベルE」…数々の名作を生み出してきた漫画家・冨樫義博さん。

    今や伝説級の存在になっている冨樫先生と過ごした日常を元アシスタントが語るコミックエッセイ「先生白書」が発売されました。

    そもそも「漫画家のアシスタント」とはどんな仕事なのでしょうか? 一番近くで見ていたからこそわかる、過酷な週刊漫画家の実態とは。

    BuzzFeed Newsは、作者の味野くにおさんに話を聞きました。

    アシスタントってどんな仕事?

    ——味野さんがアシスタントのお仕事を始めたのはいつ頃ですか?

    1990年、21歳の頃です。初めてついた先生が冨樫先生で「幽☆遊☆白書」の連載が始まるタイミングでした。

    ——週刊連載の現場だと週に何回くらい“出勤”するのでしょうか?

    当時は毎週2泊3日か3泊4日、仕事場に泊まり込みでした。メールもなかったので、毎週先生から電話をいただいて「明日からお願いします」に「はい」と答えて行く、という。

    ——毎週泊まり込み……! 合宿ですね。

    そうですね、寝る時と食べる時以外は仕事。それは特に苦ではなかったです、日常なので。

    今はデジタルで作画している方も多いので、泊まり込みの現場はだいぶ少なくなっていると思いますけどね。僕も今2人の先生のアシスタントをしていますが、どちらも在宅で、Skypeでやりとりしながら作業しています。

    冨樫先生の現場のアシスタントは、最大3人だったかな? 背中合わせで作業しながらしゃべったり、原稿が上がったら朝までゲームや麻雀したり。

    ——週刊連載の現場というともっと殺伐とした空間を想像していたので和気あいあいとしたエピソードが多くて新鮮でした。

    冨樫先生の現場は特に穏やかでしたね。他の先生の現場では、本当に締め切りギリギリの時は編集さんが仕事場に来て横で写植(セリフ部分の活字)を貼り出す、なんてこともありました。

    ジャンプ誌面でアニメ化を知る

    ―—味野さんが冨樫先生のアシスタントをやられていた「幽☆遊☆白書」から「レベルE」の頃はまさに「売れていく」真っ只中ですよね。近くにいると、その勢いは肌で感じていたのでしょうか?

    そう思いますよね。……正直、まったくそんなことなかったです。

    アシスタント同士で「なんかこの漫画、すごく売れてるらしいよ」「みたいだね、本屋で平積みされてるの見た」という会話をしていたくらいで、アニメ化もジャンプの誌面で初めて知りました。

    ――ええ! 意外です、どんどん仕事場が豪華になるとか……。

    全然ないです(笑)。毎週、目の前の連載を仕上げることに必死ですし。

    先生自身も、いい意味で全く変わりませんでした。いつも穏やかで、本当に、人格者なんですよ。この本も、何よりもまず、冨樫先生の人柄を伝えられればと思っていました。

    ――20年以上前から始まっていますが、かなり細かいエピソードも多くて驚きました。

    ほんとですよね。いざ記憶をたどってみると細かいところまで結構覚えていて、自分でびっくりしました(笑)。

    覚えてはいるのですが、現実の出来事を下敷きにしながら、漫画として楽しんでもらえるようにするのはかなり難しかったです。

    先生も破天荒なエピソードがあるタイプじゃないですし、現場も毎日コツコツ漫画を描いているだけで大事件もないし、リアルに描くと淡々としすぎてしまって。

    息抜き中に担当さんが現れて…

    ――先ほどもあった、ゲームや麻雀で遊ぶ「息抜き」のシーンも多かったですね。

    先生、ゲーム大好きなんですよ。原稿上げてそのまま一緒に朝まで麻雀やゲームをしたことも何度もありました。

    どうしても描きたかったエピソードもゲームに関するものでした。

    先生が息抜きでゲームしているタイミングで、担当さんが音もなくやってきまして。画面に熱中している先生はまったく気づかず、しばらく無言の時間が流れて……。

    ――緊迫感があってドキドキしました(笑)。「今は武内先生とご結婚されている先生ですが、週刊連載で多忙を極めるなか恋愛なんてしているヒマはあったのでしょうか?」も、これ描いていいの!? とびっくりしました。

    (武内先生:「美少女戦士セーラームーン」シリーズの作者・武内直子。冨樫先生と1999年に結婚)

    本に収録したものは、ジャンプ編集部を通じてすべて先生に見て頂いているのですが、ここはNGになるかも、と自分でもドキドキしていました。

    あの時あの場にいた人間しか描けないリアルなシーンが描けたと思っているので、収録できてよかったです。

    「いつ『辞めたい』と言い出しても不思議ではなかった」

    ――全体的に楽しい日常ですが、「幽☆遊☆白書」の最終回を迎えることを告げられるシーンは淡々としていました。

    「終わることが決まりました」って、新しい仕事場に引っ越して、唐突に言われたんですよね。

    その宣言からしばらくして、作中で新しい「トーナメント」が始まりまして、「え、これからまた始まるってことは……?」と思ったのですが、「続きませんよ」ときっぱり言われました。

    僕らが知らないところで、編集部とはいろいろ攻防があったのかもしれません。

    あの“噂”の真相

    ――冨樫先生と言えば、都市伝説のような噂もいろいろありますが。

    みたいですね。僕もこの本を書く上であらためて調べたのですが……全然あってないです!(笑)少なくとも僕が知っている限りは!

    「暴力沙汰でアシスタントに逃げられた」とか「先生が失踪してアシスタントだけで仕上げた回がある」とか、ないです。

    不思議ですね、こういう噂ってどこから出てくるんでしょう。他の先生の現場のアシさんに「冨樫先生、早朝の新宿で吠えているってほんと?」って聞かれて「んなわけあるかい!」と思いながら「そ、そんなことないと思いますよ」と答えたこともありました(笑)。

    ――この本を描いた背景には、そういう「噂」を払拭したかった、という部分もあるのでしょうか。

    いやいや、そんなおこがましいことは。もっとシンプルに「僕が見た先生の姿をファンの方にも知ってもらいたかった」です。

    思い返すと冨樫先生、愚痴も文句も悪口も、仕事場で一切言わなかったんですよ。

    しんどかった時期、体力的に厳しかった時期もあると思うのですが、アシスタントの前ではそんな姿を見せなかった。すごいですよね。もちろん、それほど真面目で真摯だからこそ、溜め込んでしまったところもあると思うのですが……。

    「アシスタント」として学んだこと

    ——Web漫画からブレイクしてデビューするなど、アシスタントにつかずにデビューする方も増えていると思います。

    漫画家への道も、アシスタントの形自体も多様化していると思います。プロになるための勉強の場としてだけでなく、プロアシスタント―職業としてアシスタントを続けている方もいますしね。

    現場によってスタンスもさまざまで、アシスタント同士で切磋琢磨してほしいと、デビューを目指すプロ志望でないと取らない先生もいます。

    デジタルになってから聞いた話だと「特に漫画家になりたいわけではないけど、仕上げの作業が面白くて」という人もいましたね。漫画自体を作り上げるのではなく、トーンやベタの仕上げや、背景を描いたりするのが得意だし楽しい、というタイプも出てきているのは新しいなと思いました。

    ——味野さんがアシスタント生活をしてきて学んだ一番大きなことはなんですか。

    そうですね……人への姿勢でしょうか。同じ「漫画を作る」作業でも先生によって現場の雰囲気や大事にしている点が違うので、その多様性を感じることができたのはよかったです。

    冨樫先生の場合、手取り足取り具体的に、何か技術やノウハウを教えてもらったことは、正直ほとんどないですが、作品への向き合い方には学ぶことがたくさんありました。

    初めてアシスタントについたからでも、これだけ大作家になったからでもなく、僕の中では今も最も尊敬する先生です。

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