【書評】ある野球マニアが鳴らす警鐘「データやAIが教えてくれる最適解の先に。人は、どうしますか?」

    【書評】「セイバーメトリクスの落とし穴 〜マネー・ボールを超える野球論」は、単なる野球マニアのための本ではない。

    データ分析とそれを支えるAI技術。その進歩はとどまるところを知らない。2017年、AIは将棋の名人を倒し、囲碁の世界王者も破った。

    スポーツ界も、例外ではない。

    野球界に訪れたデータ分析の波は、映画にもなった「マネー・ボール」(2011年公開)の時代からさらに進み、「フライボール革命」をもたらした。

    ボールを叩きつけるのではなく、角度をつけて上方向に打てば、よりホームランになる確率が高まるーーというこの理論は、2015年、選手やボールの動きを数値化する「スタットキャスト」がメジャーリーグに導入されると、またたく間にメジャーリーグを席巻する。

    2016年にはリーグ全体の本塁打数が7年ぶりに5000本を突破して5610本に。2017年には、この理論をベースに打ちまくったヒューストン・アストロズがワールドシリーズを制し、総本塁打数はメジャー史上初めて6000本を超え、6105本にまで達した。

    マネー・ボール時代は、出塁率や長打率といった、結果から導き出される数字を使ったデータ分析が主だった。技術が進歩した現在では、投げたボールの回転数、スイングスピード、打球角度、打球速度など、結果に至る前のプレーそのものの質に関する数字を追うようになっているのだ。

    Kiyoshi Ota / Getty Images

    日米野球でも存在感を見せた柳田悠岐

    光文社

    日本も例外ではない。ソフトバンクの柳田悠岐、広島の鈴木誠也など、フィジカルに優れた選手は積極的にアッパースイングでホームランを狙う。データは打撃でなく守備にも活用され、打者ごとに打球が転がる傾向を分析し、守備位置を変えるシフト戦術も導入されつつある。

    こんなデータ野球全盛のさなか、「セイバーメトリクスの落とし穴 〜マネー・ボールを超える野球論」と、真っ向からデータ野球に疑問を投げかける新書が今、Twitterの野球マニアから熱い支持を受けている。

    著者はプロ選手でもなければ、指導者でもない。データ分析のプロでもない。誰か。Twitterで独自の野球論を展開する、「お股ニキ」氏、その人だ。人を喰ったようなハンドルネームからは想像もつかないが、この人、只者ではない。

    ふとしたTwitterのつぶやきから、ダルビッシュ有と知人となると、彼にピッチングについてアドバイス。ダルビッシュはそれを元に投球を修正すると、そのアドバイスが「お股ニキ」さんのものであることを、ツイートで自ら発信した。

    本書は、バッティングとピッチング、という野球の中心となるプレーについて、今のデータ解析のトレンドを踏まえつつ、「最適解」を導き出している。その論は徹頭徹尾、データとその解釈に基づいた論理的なもの。その詳細はぜひ本書を読んでいただくとして、この本が面白いのは、データを元にした最適解と理論を紡いだ上で、書名の通り、「野球はデータだけではない!」と主張している点だ。

    お股ニキさんご本人に取材すると、Twitterの文体そのまま、冷静な答えが返ってきた。

    記事に出て来る「ネット友達」はお股ニキさんです。@omatacom https://t.co/MxDodSYwPF

    著者のお股ニキさんについて触れるダルビッシュ有

    「データ分析で最適解(理想のプレー)がわかることで、野球がシンプルになってきている面があります。メジャーではレベルが極限まで上がることで、かえって機械的に、最適解をなぞる単調なゲームに見えてしまうことがあります」

    最適解とは?

    「打者はフライボール理論に沿って、打球角度26〜30度を狙ってスイングし、ピッチャーは95マイルのストレートと、まったく軌道が同じに見える88マイルのスラッターを投げればいい。ピッチャーもバッターも、体格がよく、強いボールを投げ、強いスイングができる選手を並べる…。個性的と思われるメジャーリーガーですが、実はフォームもプレーも似てきてある意味個性がなくなってきているように感じます」

    野球がシンプルになっている、という氏の指摘はまさに、イチローが引退会見で漏らした、「頭を使わなくてもできる野球になりつつある」という指摘とぴったり重なる。

    Masterpress / Getty Images

    記者会見で、現在の野球の傾向について懸念を口にしたイチロー

    「この打者にはこのコースに、この球種を投げればいい、そうデータが教えてくれたとしても、そこだけに投げていれば、必ず打たれます。必ず、前後のコンテクストがあって、そういうデータが出てきているわけですから。データ自体が、駆け引きの結果であり、次の駆け引きの材料なんです」

    もともと、フライボール革命自体も、データ分析による守備シフト戦術への対策として導入された経緯がある。転がして捕球されてしまうなら、頭を越す大きな当たりを狙えばいい…。人間と人間との戦い。この側面を忘れてはいけない、と氏は主張する。

    「データを否定してるわけではなく、それは一場面を切り取っただけのもので、楽しむきっかけに過ぎないと思います。今までのデータから、ピッチャーはこういうボールを投げてくるだろう、だからバッターもそれを狙う。そしてピッチャーはその裏をかく…。この人間同士の相互作用、ダイナミクスが、野球の最大の魅力であり、スポーツの醍醐味だと思うんです。そこは、技術が進歩しても変わらないと思いますし、変わってほしくもないんです」

    「野球には極端に分けて、2つの見方に派閥があると思うんです。一つは、人間ドラマとして、情緒として見ていく、右派。もう一つは徹頭徹尾、データだけを見て語り、ドラマを否定する左派。ずっと、人間ドラマが重視されてきた反動から、データばかりを見て人間のドラマや心理を過小評価する風潮も出てきています。たしかにそれで新しい戦術も生まれていますが、私は、その見方も野球の一側面でしかないと思っているんです」

    データを頭に叩きこんだ選手たちが、真剣勝負をする。データと感性の融合、最高レベルの頭脳とフィジカル、技術、感性を総動員する競技。そのスポーツの魅力に、気づいてほしいと訴える。

    「最適解がお互いにわかったらその裏をつけば成功しますからね。守備シフトなども動き方や連携、カバー、カウントごとに微調整して真に理解していないとできませんので、ただそこを何も考えず守っていればよいという話ではないと思います。結局そういう時代になっても、フィジカルや技術に加えて、瞬時にその裏をつける、考え抜く野球ができる選手が活躍するのかな」

    単なる野球マニアのための本ではない。これからAI時代に生きる私達に、人間の役目とはなにか。楽しみとはなにか。深い問いを投げかける一冊だ。