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これは「くびき」のようなもので、ケンカして騒動を起こした女性や、口うるさい女性を罰するために使われた木製の拘束具だ。これを1人の女性に装着させて、2時間ほど歩き回らせる刑罰や、ケンカ相手の女性と一緒に1つの器具に拘束させる刑罰があった。
「水責め椅子」は、「懲罰椅子」をさらに進化させたものだ。椅子は、長い材木にとりつけられ、その材木は蝶番で心棒に取りつけられていた。売春婦や口うるさい女性が縛りつけられた椅子は、川や池の上に吊り下げられ、フランスの作家フランソワ・マクシミリアン・ミッソンの言葉を借りれば「節度のない火照りを鎮めるため」、宣告された回数だけ水に沈められた。何度も沈められて死んでしまう女性もいたという。
不快な女たちがけんかを始め
ひどい言葉を浴びせ、帽子を引きはがしたら
うるさい女たちが
家じゅうに恐ろしい騒ぎを起こし始めたら
向こうで泣くがいい、その椅子に座るのだ
お前の舌を大人しくさせてやろう
―ベンジャミン・ウェスト、1780年
「酒樽の晒し台」としても知られるこの器具は、盗みや深酒、大騒ぎのような罪を犯した男性を罰するために使われたが、女性に使われることもあった。
ある男性は、オランダのデルフトで「酒樽の晒し台」を見た時のことを、こう報告している。「大胆にも重婚という罪を犯した女が、みだらな行いの罰として、バター撹乳器にも似た重い木製の樽に体を入れて頭だけ出し、肩で樽の重さを支えながら町を周っていた」
ふしだらな女性に対する処罰として、女性の手足を切断したり、鼻を削いだりすることは、中世を通して続いた。女性の顔を傷つけることによって、彼女の美しさがもつ危険な力を取り除いたのだ。1018年に定められたイングランド王クヌート1世の法律では、「姦通の罪を犯した女性は、罰として鼻と両耳を削ぐこと」とされていた。いっぽう、姦通を犯した男性は、罰金を払うだけだった。
嘲笑されながら町を歩く「スキミントン(skimmington)」や「ラフ・ミュージック(rough music)」などと呼ばれる懲罰は、昔から、売春婦や、夫に威張り散らす女性に対する罰だった。女性は裸足で、時には下着姿で街を歩かされた。通りは汚れていて、ごつごつした石で足を切ることもあった。群衆は、道の両側で嘲笑しながら眺め、たらいや鍋を叩く人たちや、吟遊詩人が列に加わって、女性の屈辱をさらに耐え難いものにした。
「スキミントン」は、裁判によってではなく、民衆によって行われることもあった。被告となる女性が夜中にベッドから引きずり出され、群衆が「あばずれ、あばずれ」と叫ぶ中を歩かされたこともあったようだ。
これは、16世紀に一般的に見られた刑罰だった。イギリスのアバディーンで売春宿を営んでいたロウ夫人は、熱した鉄で両頬に烙印を押され、紙の冠をつけて街から追放された。彼女は、「街に戻ってきたら袋に入れて水に沈めるぞ」と脅された。