話題性より大事なのは狂気的な熱量...ライムスター宇多丸が語る「タマフル」の10年

    土曜の夜を彩る番組の今とこれから

    音楽、映画、アイドルなど週替わりで多彩な話題を送るエンターテイメント番組「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」(TBSラジオ、毎週土曜22時〜24時)、通称タマフルが10周年を迎えた。4月22日にスペシャルウィークを控える同番組のパーソナリティーを務める「ライムスター」宇多丸をBuzzFeed Newsでは2回にわけてインタビュー!

    第1弾では、番組の10年の変化や最大の危機、名物コーナー「サタデーナイト・ラボ」について聞いた。

    ——タマフルが11年目を迎えました。番組スタート当初、ここまで続くと思われていましたか。

    始めた当時は番組を終わらないようにすることしか考えていなかったです。

    先の目標までは全く想像していなかったんですけど、同時に、やるなら後に名前が残る番組にしたいなとは思ってました。

    でもよかったです。10年は山あり谷ありだったので。

    ——10年間で変わらない部分、変えなかった部分はどこだったでしょうか。

    基本的には僕が面白いと思ったことや物、人を取り上げる、その一点は共通している。

    いつも思うのは、扱うものが有名だとかわかりやすいとか、いまウケているものとかでなくても、出る人に「これが言いたい」という熱量があればいい。

    逆に熱量がないと何やってもつまらない。

    ——ゲストを呼び、さまざまな特集を行う名物コーナー「サタデーナイト・ラボ」からはジェーン・スーさんなどを輩出されています。宇多丸さんにはそういう方を見る目があるんでしょうか。

    いやいやいや。見る目というより、前から自分自身はともかく、友達は面白い人ばかり、ということには自信があった。

    ただ、この番組の自由度、面白がりの角度が、同じ人がほかの番組にいったときには出ない何かを引き出せたのなら、会心ですね。

    例えば西寺郷太くん(NONA REEVESヴォーカル)は、もちろん前から音楽に詳しくて、話も面白い人なのは知ってたけど、それでもさすがに「マイケルジャクソン小沢一郎ほぼ同一人物説」(2007年10月6日放送)は、ほかの番組にいきなり出しても通らない企画だったと思うんです(笑)。

    でも、彼の提案をちゃんと面白がって実現することができたし、実際あの特集が彼の活動領域を広げるきっかけにもなっていった。

    そこはわが意を得たり、冥利につきるというか、こういうことが起こってほしくて、番組やっているというのがあります。

    ——ジャニーズをきちんと褒める、とりあげるのも新鮮です。

    そうですかね? でもやっぱり、ジャニーズって優秀な人が多いですよ。

    むしろ、加藤シゲアキくん(NEWSメンバーで、番組のリスナー)がようやく正当に評価されだしたこととか、当然だろ!と。それはうれしいことです。

    ■「編集長」へと変わった番組での立ち位置

    ——番組開始当初は宇多丸さんの引き出しでやっていて、途中でアドバイザーとして妹尾さん(匡夫、構成作家)が入られて「サタデーナイト・ラボ」、映画評論コーナーの「ザ・シネマハスラー」(現・ムービーウォッチメン)ができて、ラジオとしての体裁ができました。

    そうそう。その前は毎週、コーナーとかフォーマットを決めずにやるという馬鹿なことをしていて。最初の一年のことはいまいち記憶にないくらい。どうやって毎週やってたんだろうとすら思う。

    ——「サタデーナイト・ラボ」についても最初は宇多丸さんのお知り合いを呼んでいたのが、構成作家の古川耕さんの提案だったり、自分以外のものを取り入れていきました。今は読者の投稿コーナーをやっていて、どんどん自分以外に広がっていっている。

    そうですね。ゲストも、ここで初対面という方もたまにあるし、そういうこともできるようにはなってきたかな。

    例えるならば、前は自分一人でほぼ丸々一冊記事を書いていたけど、今は編集長、みたいな。企画会議をやって、いろいろな企画がある中で、これは面白いからやろうとか、取捨選択をしていく責任者、みたいな感じ。

    あと、これだけ番組を続けていると売り込みもあるし、すでに出た人は番組の色がわかっているので、次はこういうふうなことがしたいとか、提案をいただくことも多い。

    企画ストックは相当あるし、会議でバカな話をしている中でもどんどんアイデアは出てくる。「疎遠になった友達=元トモ特集」とか、「3月は本当に春なのか? 国民決戦投票!」とかは、そういう中から出てきた企画ですね。

    とにかく、クソ回と言われるのを恐れずにやるのが大事(笑)。

    ——タマフルに出たいという人も多いと思うのですが、どうすればいいんでしょうか。

    やっぱり、一個でいいから狂気じみた熱量をもって、伝えたい何かがあることじゃないですか。伝えたいという気持ちがあればいい。

    逆に、いくら知識があっても、伝えたい熱が薄い人は、うちの番組には合わないかもしれない。熱を持つ対象はなんだっていいんですけど。

    ■番組最大の危機だった橋Pの異動

    ——番組は2007年スタートですが、早い段階の2009年に「ギャラクシー賞」パーソナリティー賞を受賞。それはよかったのででしょうか。それとも呪縛になりましたか。

    間違いなくよかった。番組に対するこれ以上ない評価だから。決して最初から数字が良かったわけではないので、その後ろ盾があることで生き残れたのは確実にあるんじゃないかと。もらって悪いことは一つもないです。

    ただ、あの時くれたんなら、その後も何回かくれてなきゃおかしいぞ、とは思ってます(笑)。だって、番組のクオリティーは確実に上がっているのだから。

    でもまぁ、先物買いというか、これから頑張れよも込みの受賞だったとは思うので。実際、そのおかげで今も続けられているというのもありますよ。本当にあれは大きかった。なにせ最初は数字も金もついてきていないので。

    ——やはり最初がきつかった?

    最初というか、数年は。このままだとホントに番組が終わっちゃうよってことで、「SAVE THE TAMFLE」という、番組を聴いてくれる人を増やすにはどうすればいいかリスナーにアイディアを募ったり。

    数字より金だ!とか言い出して(笑)、某ゲームメーカーのスポンサーをとるための勝手にヨイショ企画をやったりとか、いろいろやってました。

    もちろん、数字とりたいも金ほしいも事実だけど、そこもネタにする、みたいなスタンスで。

    ——番組には危機もあった?

    一番危機感を感じたのは、番組立ち上げプロデューサーの橋本吉史が、異動で離れることになったときですね。

    橋本さんありきの番組だとすら思ってたから、これから成り立っていくのか?くらいの感じはありました。

    でも、後になって橋本さんとよく話すのは、あそこで橋本さんありきの体制から脱したのが結果的にとってもよかった。

    メンバーの入れ替えが可能になったことで、風通しがよくなって、番組の寿命は確実に延びた。

    ■「いびつさとかはあまり整えすぎないほうがいい」

    ——「サタデーナイト・ラボ」で、個人としてやれてよかった企画はありますか。

    絞るのは難しいけど、高橋芳朗の「ア(↑)コガレ」特集とかは、ほかの番組では「何それ?」で終わっちゃいそうな話がうちでは人気企画、みたいな部分で、「らしい」かもしれませんね。

    「ア(↑)コガレ」ってイントネーションを変えただけで、すごいフックになる、みたいなところもそうですし。なにかバシッと決まるフレーズ、概念を思いつけたときはうれしいですね。「疎遠になった友達=元トモ」とか。

    あと、画家の黒田清輝特集は相当自信あるかもしれない。ま、僕じゃなくて東京国立博物館研究員の松嶋雅人さんが偉いんですけど(笑)。

    黒田清輝っていう、多くの人が「知ってるつもり」だし、評価も固定しているような人を、これまでとは違う角度から改めて見ることで、これからは黒田清輝の絵を涙なしには見れない!くらいまで、考え方が変わるっていう。ああいうのが僕は好きですね。

    ——逆に失敗した企画はありますか。

    もちろん。前原猛(カメラマン、風呂特集に登場)が思った以上にしゃべらねぇなぁとか(笑)。でもまぁ“ちゃんたけ”は、そういう困った人感も含めて面白い、ってことなので、僕ら的にはあれはあれでありなんだけど。

    あと、ライムスターがアルバム「POP LIFE」を出した時の「日本語ラップ通気取り講座」。あれは毒っ気が強すぎたのかわからないですけど、特にライムスターファンには本当に不評な特集でしたねぇ(笑)。本気で怒ってる人もいたもんなぁ。

    まぁ、10年もやっていれば、そりゃ当たり外れもありますよ。ハズレがなければ当たりもないわけだから。

    ——漫画家・今日マチ子さんとの雑誌「ユリイカ」の対談で、佐々木士郎と宇多丸は人格が違うから楽だと話されていました。ラジオパーソナリティーとしての宇多丸もまた、人格は違いますか。

    人と会話する時って、距離を測りながら話すじゃないですか。でも、オープニングトークもそうですし、「ムービーウォッチメン」は特にそうですけど、あんなふうに自分の考えだけを一人で30分間しゃべり続けるなんて、普通はしない。

    当然、佐々木士郎ではあり得ないですよね。素の状態で聞くと「よくしゃべるな、この人」とは思いますね。

    ——自分で自分のラジオを聞き返したりするんですか。

    そこまで習慣化してるわけじゃないけど、酔っぱらったときとかたまに昔の放送聞いてゲラゲラ笑ってたりしてますよ(笑)。

    「マイゲーム・マイライフ」(タマフル後に放送される宇多丸の新番組で)を聞くと、この人よくしゃべるな、でもちょっと早口じゃない? ゲストの話にかぶっちゃってるよ、だめじゃん、とか思ったり。

    でも、早口すぎるとか前のめりすぎるとかは自分でもわかってるんだけど、映画評でもたまに言っている通り、じゃあそういう欠点を完全に直せばいいのかっていうと、ヘタすると当初あったはずの良さまで消えてしまう、みたいなことって本当によくあることで。

    いびつさとかはあまり整えすぎないほうがいい、というのは、しゃべりだけじゃなく、創作全体に言えることだと思うんですけど。

    ■タマフルの今後の展開

    ——現在47歳。深夜放送ですが、体力的にどうですか。

    深夜であること自体は全然問題ないです。生活サイクルが、たぶんみなさんの想像を絶するほど逆転している。寝るのは午前9時とか10時で、起きるのは午後3時か4時、みたいな。

    仕事で忙しくて寝てないわけじゃなくて、プラスアルファで遊んじゃうのが問題なんですよね。映画や本はなんとかなるけど、際限がないのでゲームはダメです(笑)。

    「マイゲーム・マイライフ」のゲストに来ていただいた女優の夏菜さんが同じようなことをおっしゃってたんですけど、仕事が忙しい期間は、ゲーム機というものが存在しない世界に生きていると、自分で思い込むようにするんですよ(笑)。

    やったらおしまいだから。最近は、積読ならぬ積読ゲームまで増えてきちゃって、本当に恐ろしい。

    ——でも、そのゲーム好きが新番組「マイゲーム・マイライフ」につながる。

    そうですね、ありがたいことです。多少忙しかったとしても、映画を見て、ゲームして、それに対して意見を言うことが、曲がりなりにも人から求められている……って、どんだけ幸せなんだよ?って。これで文句言ってたらバチあたるでしょ。せめて頑張んなきゃ。

    ——僕もリスナーで、この番組は発見が多いじゃないですか。雑誌に近いのかなと感じていました。発見があるのがこのラジオの楽しさだと。

    それはうれしいです。さきほど編集長といいましたけど、雑誌は広告とかも含めていろんなページがあって、単著より風通しがいいですよね。あと、毎号まったく違う特集があり得る。

    調子いいときの『POPEYE』がそうですけど、いきなり突拍子もない、「何その特集?」みたいな号があったりするのがいいんですよね。それこそ、「この号ハズレだな」ってときがたまにあってナンボというか。

    ——今後こういうことをしたいというのはありますか。

    もう少し公開イベントとか、リスナーとカジュアルに絡める機会があるといいんだけど。あと番組本ももっと出したいし、音源を番組で出してビデオを作ってみたい、とかですかね。

    ただ、ちょいちょい(同時間帯の聴取率で)1位はとれるようになりましたけど、まだ盤石とまではなっていないので。本当はそこまで行ってからの話かもしれないですけど。

    ——盤石になるためにはなにが必要ですか。

    NHKを聞いている年齢層がもうちょっとあちら側に押し出されてくれると、盤石かもしれない(笑)。

    始めたころは、この時間帯はNHKを絶対崩せないと言われていて。単独1位は難しいという前提で番組が始まったんだけど、このところなぜか数字も取れるようになったのは、単純に押し出し勝ち、粘り勝ちなんじゃないかと(笑)。ま、それは冗談ですけど。

    ——ということは、盤石の勝利を得るためにあと10年、20年は続ける。

    ただ、そうなるとこっちも高齢化が進んで行くってことですからね。こっちもどんどん若い人に聞いてもらわないと。

    とにかく、番組でやってること自体の面白さには自信があるから、ヘタなテレビよりもこっちのが数字取ってます、くらいにはなってもいいとホントは思ってます。

    (あす更新の第2弾では、映画評論について聞いています)