ゴジラは「モナコ」と呼ばれていた エキストラが語った舞台裏と蒲田文書

    「みなさんの中のゴジラは忘れてください」

    ※本記事は、作品のネタバレを含みます。これから作品を観る方は、ご注意いただければと思います

    興行収入が38億円を超え、社会現象となっている「シン・ゴジラ」

    以前、こんなツイートが話題になりました。

    投稿者の支部長さん(@shimokas)は、シン・ゴジラにエキストラして参加。その際、配布された「演技心構え(通称:蒲田文書)」をTwitterに投稿したところ、反響を呼びました。

    その話題になっている文書が、こちら。

    (前略)守秘の関係で回りくどい言い方になってしまいますが、本日、皆さまが演じるのは「巨大不明生物に襲われて逃げ惑う市井の人々」役となります。

    我々は、本日撮影するシーンを、観客が映画の世界に引きずり込まれ、巨大不明生物を目の当たりにした恐怖を感じて思わず背筋が震えあがってしまうような、そういったシーンにしたいと考えています。その為にはどうすればいいのか。

    巨大不明生物の見た目をグロテクスにする、おどろおどろしい音楽を流す、残酷で目を背けたくなるような演出にする……方法は色々と考えられますが、最も効果的な方法は、「逃げ惑う市井の人々がまるで本当に襲われているように見えること」だと思います。

    観客は、皆さんの表情、動きから滲み出る恐怖を感じて、巨大不明生物に襲われる恐怖を疑似体験するのです。しかし、それは単に芝居で恐怖の表情を作れば良い、とか、大きな叫び声を上げれば良い、といったことでは決してありません。それが、本日の皆さまに求められる芝居の難しいところです。

    もし本当に巨大不明生物に襲われた場合、人はその人の個性によって違った反応をすると思います。猛ダッシュで逃げる人、ノロノロと逃げる人、体が固まり動けない人、興味が勝り写真を撮る人、顔を巨大不明生物から背けず体だけが逃げる人、子供を必死に守ろうとする人、連れとはぐれ人波の中で探し続ける人……それら個性の集合体が、画面に力強さと、リアリティと、本物の恐怖を与えてくれると、我々は考えています。

    本日は、300人もの方々にお集まりいただきました。しかし、撮影時間の関係で、そのお一方、お一方に表情の作り方や動きの指導をする余裕が正直に言ってありません。ですから、皆さま、本日は各方々の想像力を目一杯稼働させていただき、「きっと自分ならこうする」という芝居をしてください。

    恐怖映画などでよく見かけるような、大声で喚いて大袈裟に逃げ惑う芝居ではなく、皆さまお一人方お一人方にしか出来ないお芝居をしてください。(中略)

    この映画を1ミリでも質の高い映画にするために、何十年、百年単位で語り継がれる映画にするために、皆さまのお力をお貸しください。是非とも、よろしくお願い申し上げます。

    巨大不明生物映画・演出部一同

    これには、「ここに込められた想いだけで泣ける」「文面読んだだけでも胸が熱くなる」など称賛の声が寄せられました。

    まだ語られていない秘話があるのでは? BuzzFeedは、投稿した支部長さんにシン・ゴジラ舞台裏を聞きました。

    「みなさんの中のゴジラは忘れてください」

    支部長さんは、現在52歳で都内の会社に勤務。往年のゴジラ作に影響を受けてきた世代です。撮影地が自宅から近い蒲田だったこともあり、応募しました。

    支部長さん(以下、支部長)が参加したのは、ゴジラが呑川河口から蒲田駅方面に遡上していくところと、蒲田駅近くに上陸するシーン。どちらも戸惑い逃げ惑う人々役です。撮影は、2015年9月5日、6日に行われました。

    支部長「当選通知が来たときはうれしかったですね。大好きなゴジラ作に、少しでも関われて光栄でした」

    5日に行われた呑川のシーン。まだゴジラの全体像が見えず、遡上してくるゴジラで川が氾濫。船などが打ち上げられる緊迫したシーンです。

    朝7時から11時まで撮影が行われました。

    支部長「設定が朝だったので、ジャージで参加しました。寝起きでボケーとしているおっさんをイメージ。パジャマで来た人もいましたね。スタッフさんから『いいですね!』と褒められていましたよ」

    6日は、蒲田駅。ゴジラが初上陸し、街を崩壊。それに怯え、逃げ惑う人々の撮影です。エキストラの数は約300人。

    支部長「蒲田は飲屋街です。なので、ちゃんちゃんこを着て、呑んだくれているおっさんを演じました。『なんだありゃ?』という雰囲気で、慌てて逃げるわけでもなく、立ち往生するわけでもなく。みんなが逃げているし、一応逃げておくかという感じで挑みました」

    本作を観た人ならわかるかと思いますが、蒲田のシーンはゴジラの姿が初めてスクリーンに映し出される重要なシーンです。しかし、逃げ惑う人々が映るのは一瞬。

    支部長「朝6時から昼過ぎまで、6時間ほど撮影しました。5回以上は取り直したと思います。けれど、あの文書を渡されているじゃないですか。あれで、作り手さんの熱さが伝わって……」

    支部長「撮影は9月なんですけど、設定は11月。なので、少し厚着の格好をしてきてくださいと言われたのです。それでダッシュしないといけなく、キツくなってくるのですが、スタッフさんがドリンクやクエン酸のタブレットを配ってくれて。エキストラは初体験なのですが、すごく丁寧な対応をしてもらいました」

    本編では、蒲田駅のシーンは映らなかったものの、呑川の場面では映ったそう。

    支部長「そういえば、撮影に入る前にスタッフさんから『みなさんの中のゴジラは忘れてください』と言われました。どういうことだろうと思ったんですが、作品を観て納得しました(笑)」

    ゴジラは「モナコ」と呼ばれていた!?

    5日、6日のどちらの撮影にも、監督の樋口真嗣さん。総監督の庵野秀明さんがいたそう。

    支部長さんもたまらず、ロケハンする庵野さんをパシャ……。

    支部長「現場でスタッフさんは、ゴジラのことを『モナコ』と呼んでいましたね。『あっちから巨大生物モナコが来ます』とか『あそこにモナコがいます!』と。さすがに由来はわからないですが……」

    6日の撮影終了後、樋口総監督は300人のエキストラを前に「必ずいい映画にします。ありがとうございました」と挨拶をしたそう。

    これにはエキストラも歓喜。支部長さんも「興奮していて、よく覚えていない……」と話します。

    エキストラは、支部長さんのようにゴジラ作に影響を受けてきたであろう40〜50代の男性と、若い人が多かったそう。「若い人はゴジラより、庵野ファンだと思うな」と話します。

    記念品は、カップとトートバック、台本風のノートだったそう。どれもエキストラにのみに配られたものだと思われます。

    また、劇中では、国民が国会前に集まり、「ゴジラを倒せ!」と政府に対し、シュプレヒコールをするシーンがあります。支部長さんは、その声の収録にも参加しました。

    支部長「記憶が曖昧なのですが、たしか横浜の公園だったと思います。ステージとマイクがあって、そこで叫びました」

    支部長「そのときは、樋口さんだけだったのですが、最後に『エキストラの撮影は、映るかわかりませんが、声は必ず入るので、みんなに自慢しちゃってください』と言っていましたね。声はカットされないから(笑)」

    最後に、蒲田文書を投稿した経緯について聞きました。ちなみに蒲田文書とは、支部長さんがそう呼んでいるだけ。死海文書をもじったものです。

    支部長「あれを読んだとき、本当に感動したんです。ここまで考えて、みんなゴジラを作っているのか、と。私はただのエキストラですが、庵野さんや樋口さんはじめ、作り手さんの熱い思い。それを知ってもらいたかった」

    最後にもう一度、蒲田文書の一部を。

    この映画を1ミリでも質の高い映画にするために、何十年、百年単位で語り継がれる映画にするために、皆さまのお力をお貸しください。

    巨大不明生物映画・演出部一同

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