「感動か笑いか、だけではしんどい」24時間テレビとバリバラに出演 義足の女優が語るリアル

    障害者とメディア。問題はどこに?

    「24時間的な感動か、バリバラ的な笑いか。この2つしか障害者の描き方がないと思われるのは、とても、しんどいなぁって思うんです。その両方の間に、多くの当事者がいると思うから」

    淡々とした口調で語るのは、森田かずよさん(39歳)。

    大阪を拠点に活動する女優であり、ダンサーだ。先天性の身体障害があり、ある時は義足を身につけ、ある時は車椅子に乗りながら、舞台に立つ。自分の身体と向き合いながら、表現活動を続けている。

    森田さんは、24時間テレビとバリバラ、両番組に出演した経験がある。いま、何を感じているのか。BuzzFeed Newsの取材に語った。

    日テレ「24時間テレビ」対 NHK「バリバラ」

    いま、障害者の描き方を巡って、論争が起きている。

    8月28日、感動的な障害者の映像が多い「24時間テレビ」放映中に、NHKが障害者が出演するバラエティー番組「バリバラ」を生放送でぶつけた。

    そこで取り上げたテーマは「検証!『障害者×感動』の方程式」。

    スタジオでは、24時間テレビを意識し、障害者が何かと感動的に描かれることに異を唱えた。インターネット上では、放映中から議論が巻き上がり、バリバラに賞賛の声が集まった。

    森田さんは、論争をこうみる。

    「私はショック療法だな、と思いました。多少、過激でもいいから描かれる側から声をあげる。それをメディアが取り上げるのは、意味があると思います」

    「しかし、議論が『24時間テレビはダメ』『バリバラはいい』とか『やっぱり障害者を描くのに笑いが必要だ』となると、ちょっと違うと思うんです。それぞれに良いところ、悪いところがありますから」

    それぞれの番組の功罪とは、何か。

    24時間テレビが作り上げる「ストーリー」

    構成作家からオファーを受け、森田さんが24時間テレビに出演したのは2003年のこと。その年のテーマは「私を一番愛する人」。

    番組側が描きたかったストーリーはこうだ。

    先天性の障害を持って産まれながら、ハンディキャップを乗り越えて舞台に立ち、観客に感動を与える……。森田さんが当時、取り組んでいた一人芝居に、「一番愛する人」として母が見にくる。もしかしたら、母は泣くことだってあるかもしれない。それを映像に収めれば……。

    しかし、森田さん親娘はこのストーリーを蹴った。そこにはウソがあるからだ。

    「私の母は、自分には自分の人生があり、娘には娘の人生があるという人です。障害があろうがなかろうが、そこは変わらない。私の舞台も滅多に見に来ません。私たちが築き上げた親娘関係と違う演出は受け入れられない、と言いました」

    結果的に別の形で放映されたが、違和感は残った。

    「『障害者の周りになにかハードルを作って、当事者が頑張ってそれを解消する』というのが、ひとつのフォーマットになっていると思うんですね。でも、わざわざハードルを作らなくても、等身大の姿を撮影すればいい。多少頑張らないと生きていけない社会なんだから……」

    一方で、24時間テレビの影響力は絶大だとも感じた。

    「道で歩いても、声をかけられましたし、実際に募金も集まりますよね。恩恵を受けている人もいるわけです。ジャニーズのアイドルが出ることも、いいじゃんと思っています。私も好きですしね。普段、関心がない人が、障害者や難病の患者に関心を向ける1日があってもいいですよね」

    バリバラが笑いを強調することの是非

    バリバラ最大の功績は、障害者の性と恋愛を取り上げたことだという。

    「これは絶対に他ではやらない。障害者のセックスを正面から取り上げたのは大きかった。私も出演して、合コンをやった話や、自分の失恋、性の話にも触れました」

    障害を持つ友人からは「よく言った」と賞賛されたが、健常者の男性からは「そこまで赤裸々に話すのは……」とネガティブな反応があった。

    こうした反応も含めて、番組を見た人たちの意識に訴えたのは大きいと思う。問題は、番組の売りでもある「笑い」だ。

    「これは番組の責任だけではないのですが、『笑い』が強調されすぎると、障害を笑えるようになるのがゴールだという印象になってしまう。実際は、そこをゴールだと思っていない人もたくさんいますから」

    「感動か笑い」ではなく、障害者も個人として取り上げる

    「結局、『感動か笑いか』という議論では、捉えられない問題があるんですよ。みんな個人として、普通に生きていて、障害が大変な場面もあれば、そうじゃない時もある。置かれた状況は違うはずなのに、まとめて『障害者』全体として語られる。本当の問題はそこにあると思っています」

    「もっと個人として見てほしいと私は思っています。私の体験として語ったことが、なぜか『障害者』が語ったことになっているときがある。でも、それはおかしいですよね。私が語れることは、私と周囲で見聞きしたところまでです。全障害者を代表しては語っていないのに……」

    個人の声が、全体を代弁するかのように取り上げられるとき、そこには必ず、すくい取れない声が出てくる。

    健常者だらけのメディア

    そして、森田さんは、メディアの本当の問題を指摘する。

    「問題は、障害者を見えなくすることだと思っています」

    「例えば、映画やドラマの中で、身体障害者が取り上げられるときは、主役が多いですよね。でも、リアルな学園ドラマや、街を映すときはどうですか?学校にいたはずの障害者、街を歩いているはずの障害者はそこには写ることはほぼない。障害者がいない、健常者だけの『きれいな世界』がそこにあるだけです」

    「ある映画のエキストラの募集要項の中に、補助器具や介助者が必要な人はNGだとありました。彼らの意識の中に障害者を排除しようという思いはないでしょう。でも、これを読んだとき『あぁ私は参加できないんだ』と思いました。実際に、エキストラで障害者の姿はほとんどみませんよね」

    「こうやって、リアルな世界の中にいるはずの障害者は、メディアからは消えていくのではないですか。私には、日常的に映らないことのほうが大きな問題に思えます」

    取り上げ方よりも、メディア上から消えていくという問題があるではないか。森田さんは声を強める。

    「障害者を社会からいないことにしちゃいけないし、見えないことにしちゃダメなんですよ」