「私があの日、瓦礫の中で聞いた言葉を贈ります」 被爆者がノーベル平和賞授賞式で訴えたこと

    「私は13歳のとき、瓦礫の中で諦めず、光に向かって進み続け、生き延びました。いま私たちの光は、この核兵器禁止条約です」

    ノーベル賞の授賞式が12月10日、ノルウェーの首都オスロで開かれ、今年7月に国連本部で採択された「核兵器禁止条約」の実現に貢献した国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」に平和賞のメダルと賞状が贈られた。

    式典ではICANのベアトリス・フィン事務局長に続いて、13歳のときに広島で被爆し、世界中で被爆体験を証言してきたサーロー節子さん(85)が演説。

    「私たち被爆者は72年間ずっと待っていました。この条約を核兵器廃絶に向けた最初の一歩にしましょう」と訴えた。

    瓦礫の中で見た光と、惨状

    「私たち被爆者は70年以上もの間、核兵器の廃絶に向けて努力を続けてきました。苦しみの中から立ち上がり、証言することで、核兵器と人類は共存できないと訴え続けてきたのです」

    体を支えられながら壇上に上がったサーローさんは、力強い口調でそう言うと、自身の被爆体験を語った。

    1945年8月6日、13歳だったサーローさんは広島の空に青白い閃光を見た。爆風で体が吹き飛ばされ、意識が戻った時には、倒壊した建物の下敷きになっていた。

    周囲からは助けを求める同級生たちのうめき声がした。死を間近に感じたとき、誰かに突然左肩を掴まれ、揺り起こされた。

    「絶対に諦めるな!前に進み続けるんだ!あの隙間から太陽の光が見えるだろう!あそこから急いで外へ出るんだ!」

    「…そう言われて瓦礫の下から這い出すと、私が埋もれていた建物は燃え盛っていました。同級生のほとんどは、生きたまま焼き殺されました」

    広島の街は跡形もなく壊され、何万人もの市民が一瞬のうちに犠牲になった。

    その後も今日に至るまで、原爆の被害によって命を落とす人は後を絶たない。サーローさんは会場の出席者に訴えた。

    「今日、いまこの場を共にしている、広島と長崎で犠牲になった人々の存在を感じてください。私たちの頭上、そして周りに渦巻く25万人の魂が織りなす雲を感じてください」

    「彼ら一人ひとりに名前があり、誰かに愛されていました。彼らの死は無駄ではなかったと、私たちは安心させなければいけません」

    72年目の「核兵器禁止条約」

    核兵器禁止条約は今年7月、戦後72年目にして初めて核兵器を法的に禁止する条約として採択された。その実現に向けて尽力したのが、今回ノーベル平和賞を受賞したICANだ。

    サーローさんは「条約採択を迎えたとき、私は喜びでいっぱいでした。被爆者は72年もの間、核兵器が禁止されることをずっと待っていたからです」と言う。

    だが、これまで世界56カ国がこの条約に署名した一方で、核兵器を所有するアメリカや、その「核の傘」の庇護もとにある日本は参加を拒否している。

    こうした国々に対して、厳しい口調で「責任感のあるリーダーは必ずこの条約に署名するでしょう。そして、この条約を拒否し続けるリーダーは歴史によって裁かれるはずです」と指摘。

    核の傘の下にある国々の指導者に向けては、ナチスドイツに追従した「凡庸な悪」にたとえてこう訴えた。

    「私たちの証言を、警告を聞いてください。自分たちの行動が伴う重大性を認識してください。人類を脅かす暴力の構造に加担していることを、凡庸な悪に自覚的であってください」

    光へ歩み続ける

    約20分間に及んだサーローさんの演説中、随所で拍手が上がり、中には涙を流す人もいた。

    最後にサーローさんは、この条約を核兵器廃絶に向けた始まりにしましょうと訴えた。

    「私は13歳のとき、瓦礫の中で諦めず、光に向かって進み続け、生き延びました。私たちの光は、この核兵器禁止条約です」

    「だからこの会場にいるみなさん、そして世界中の皆さんに私があの日、瓦礫の中で聞いた言葉を贈ります。諦めないで。光へ向かって、絶えず進み続けてください」

    「どんな壁にぶつかろうと、私たちは歩み続けます。そしてこの光をみんなで分かち合うのです。それがこのたった一つの世界を救うための私たちの情熱であり、決意だからです」

    BuzzFeed JapanNews