女を否定され、競技人生を絶たれたアスリート 性を決めるのは性器かホルモンか?

    女と男の境界とは

    五輪の舞台で活躍する女性選手たち。こんな疑問を持つ人は少ないかもしれない。「本当に女か」。だが、五輪の歴史をひも解くと、「女」を決める要素をめぐって激しい論争が続いてきた。生殖器、染色体、ホルモン——。揺れる基準の陰で、選手生命を絶たれた女性もいる

    インドの陸上選手デュティ・チャンド選手(20)。昨年、この女性アスリートがリオ五輪に出場できるかが論争の中心になっていた。問題はタイムではない。五輪のある規定のせいだった。「テストステロンの数値が高すぎる女性アスリートは失格とする」。チャンド選手がそうだった。

    国際陸上競技連盟(IAAF)と国際オリンピック委員会(IOC)は2011〜12年、血中テストステロン濃度が1リットルあたり10ナノモルを超える場合、女性として出場できないという規定を採用した。

    理論的根拠はこうだ。高いテストステロンの女性は「普通の女性」の生物としての限界を超えるので、競技において不当に有利になる。

    テストステロンは男性ホルモンの一種。成長期に、骨を発達させ、筋肉を増やす。ドーピングとして使えば、血中の赤血球の数を増やすので、より酸素を取り込め、筋肉の動きが効率的になる。

    IOCの規定によって、テストステロンの値の高い女性選手は、ホルモンを摂取するか、手術を受けなければならないことになった。さもなければ、「男」として出場するしかない。

    男とは何か、女とは何か

    チャンド選手は2014年、この規定は無効であるとスポーツ仲裁裁判所(CAS)に申し立てた。2015年7月に勝訴。裁判所はIAAFに対して、この通称「Tテスト」を一時停止するように求めた。さらに、2017年7月までに、テストステロンの数値が高い女性アスリートが実際に大きな優位性があるという科学的証拠を示すように求めた。

    「陸上競技では、男と女のカテゴリーがはっきりと分けられているが、人間の性は単純に二分できるものではない」。これが裁判所の判断だった。ただ、裁判所はこうも付け加えた。

    「そうではあっても、IAAFはアスリートを男と女のカテゴリーに分ける基準を定式化することが必要である」。つまり、なんらかの生物学的な性別テストが必要だというのだ。

    IAAFは今月10日、裁判所によるTテストの一時停止の判断に対して、争う意向を示した。 BuzzFeed News に担当者は「IAAFは規則に従って、証拠を収集していく」とメールで回答した。一方、IOCは「チャンド選手のケースが解決されるまで」、新しいホルモンの規定を導入することはないとしている。

    リオ五輪へ

    チャンド選手は8月12日、リオ五輪で女子100m予選に出場した。インドからこの種目への出場は、36年ぶりだった。

    チャンド選手の勝訴によって、規定が一時的に停止されたため、テストステロン値の高い女性たちも、女性として五輪に出場できることになった。(ただし、トランスジェンダーの選手の規定は異なる。トランスジェンダーの男性は制限なしに出場できるが、トランスジェンダーの女性は、出場前の少なくとも12ヶ月間はホルモンレベルが一定以下であることを実証する必要がある)

    続く論争

    だが、論争に決着がついたわけではない。裁判所は何らかの性別を判断する検査を勧める一方で、自然界で男女をはっきりと区別することはで不可能だ、と指摘する学者もいる。

    そもそも、テストステロンの値が高いことが競技に有利だというなら、背が高いことや肺活量が大きいのはどうなのか。柔道やレスリングに重さによる階級があるのはなぜか。

    揺れる基準

    「女」であるかを決める検査方法は変遷を続けてきた。外性器を見る解剖学的な検査から、頬の内側を綿棒でこする遺伝子検査へ、そして血液中のテストステロンのレベルを測定するように。その変遷とともに、性別は生物学的マーカーでは測りきれない複雑なものであることもわかってきた。

    何が性別を決めるのか。「生殖器か? 染色体か? ホルモンか?」。スポーツ界のジェンダー問題に詳しいバッファロー大のスーザン・カーン教授はBuzzFeed Newsに語る。カーン教授はIAAFとIOCを批判する。両者が目指すのは「真の女性」という型に適合しない選手たちを除外することだ、というのだ。

    「女性選手」を定義するのは単純な問題ではない。そもそも「誰」が「女」を定義することを許されるのか。

    以下に取り上げる女性たちは、女性なのかと疑問視され、メディアで嘲笑された選手たちである。競技人生を絶たれた女性もいる。日本メディアでは取り上げられることの少ない、彼女たちの物語を語ろう。

    1. ステラ・ウォルシュ選手(右)とヘレン・スティーヴンス選手

    ステラ・ウォルシュ(ポーランド語ではスタニスラワ・ワラシェビッチ)選手は生後間もない1911年、両親に連れられポーランドからアメリカに移住した。スポーツ万能で、ついたあだ名は「ミス・スタジアム」。1932年のロサンゼルス五輪の女子100m走で、ポーランド代表として金メダルを獲得した。

    次の1936年ベルリン五輪。女子100m走で、このウォルシュ選手を僅差で破ったのがアメリカのヘレン・スティーヴンス選手だった。

    金メダルを取ったこの選手をポーランドのメディアが「男が女のふりをして出場している」と批判。アメリカのAP通信もこれを伝えた。

    最初の性別検査

    こうした批判を受けて、オリンピック委員会はスティーヴンス選手の生殖器を調べた。結果は女性であると結論づけられた。

    これが、解剖学的に「女」であると証明するために生殖器を調べられたのは初めての事例だった。「女」とは、膣、クリトリス、陰毛などがあることとされた。

    冷戦下、共産主義国の男性選手たちが女性のふりをして国際大会に出場しているという批判を受けて、1966年から目視検査が出場する女性選手に必須となった。「ヌードパレード」と呼ばれ、女性アスリートは裸で立ち、外性器を調べられた。(これはすぐに批判を浴びて、撤回される)

    意外な展開

    ベルリン五輪で、女性であるかが疑問視されたのは金メダルのスティーヴンス選手だった。ところが、銀メダルのウォルシュ選手の性別をめぐって、40年以上たって、意外な事実が判明する。

    ウォルシュ選手は1980年、オハイオ州の駐車場で強盗に射殺された。解剖の結果、性別がはっきりしない生殖器を持っていたことが判明した。

    子宮や卵巣、膣はなく、機能しない未発達のペニスがあったという指摘や、未発達のペニスや陰嚢がそれぞれクリトリスや陰唇と間違えられたという指摘がある。

    現代なら「インターセックス」「性分化疾患(DSD)」と分類される状態で、1500〜2000人に1人の割合で生まれ、アスリートではより割合が高いとされている。

    2. エワ・クロブコフスカ選手(右)

    1964年の東京五輪。ポーランドのエワ・クロブコフスカ選手は4×100mリレーに出場し、金メダルを獲得した。女子100mでも銅メダルを獲得した。

    「男性的な外見だ」とメディアに取り上げられたこの選手は1967年、身体検査に代わる新しい性別検査で失格とされた最初の選手となった。これが染色体検査だ。

    IAAFは染色体検査を「より簡単で、客観的で、格調がある」とした。(だが、誤検知は2割に上ったという指摘もある。また、女性は通常XX染色体、男性は通常XY染色体を持つが、多くのバリエーションが存在することが分かってきている)

    IAAFは染色体異常があり、女性として競技に出場する資格はないと裁定。「詐欺師の男」と批判し、メダルを剥奪した。ただ、検査結果は公表されなかった。

    剥奪したメダルを返却

    21歳で失格を言い渡されたクロブコフスカ選手。「私にこんな汚く、愚かなことをするなんて。私は自分が誰かわかっている」と話している。そして、翌1968年、男の子を出産した。

    IOCは1999年、メダルを選手に返却した。

    3. マリア・ホセ・マルティネス=パティーニョ選手

    マルティネス=パティーニョ選手はスペインのハードル選手だった。1985年の五輪出場がかかった大会の前に、染色体検査を受けたところ、XY染色体を持っていることが判明した。

    チームドクターは、怪我をしたと嘘をついて棄権することを提案した。だが、マルティネス=パティーニョ選手はこれを拒絶し、優勝した。すると、検査結果がマスコミにリークされ、成績は抹消され、スペインチームから追放され、奨学金も失った。

    「恥ずかしかったし、当惑した」。マルティネス=パティーニョ選手は2005年、医学雑誌The Lancetでこう述懐している。

    「友人を失い、婚約者を失い、希望もエネルギーも失った。しかし、私自身は自分が女性であると知っていたし、私が遺伝的に違うことによって、不当に身体的なアドバンテージはないことも分かっていた。私は男のふりなんかできなかった。私には胸があるし、膣がある。偽りはない」

    体つきは女性

    完全型アンドロゲン不応症(CAIS)。これがマルティネス=パティーニョ選手の症状だった。Y染色体と精巣があっても、作られるテストステロン(男性ホルモン)を体で利用できないため、体つきは女性となる。だが、子宮はないため、妊娠はしない。

    マルティネス=パティーニョ選手は1988年のソウル五輪に女性としての出場は許されなかった。だが、著名な遺伝学者たちの支援を受け、染色体の規定について争った結果、1992年のバルセロナ五輪の出場をかけた大会へは出場が認められた。

    だが、競技を離れて3年。選手としてのピークは過ぎていた。10分の1秒差で、五輪の夢は敗れた。

    4. サンティ・ソウンダラジャン選手(右)

    2006年、ドーハであったアジア競技大会。インドのサンティ・ソウンダラジャン選手は女子800mで銀メダルを獲得した。

    ESPNによると、この翌日、血液検査に呼び出される。

    検査の理由を知ったのは数日後、テレビの夕方のニュースだった。選手が「性別検査で失格し、メダルが剥奪された」と報じたのだ。アンドロゲン不応症だという説明だった。

    女性として生まれ、育てられたソウンダラジャン選手だったが、Y染色体を持っていたため、「女ではない」とされた。インドオリンピック連盟から競技への参加を禁止された。「私の競技人生の終わりでした」

    自殺未遂

    それまで自身が女性であることを疑問に思うことはなかった。出生証明書もある。それが突然「女性になりすましている」と軽蔑され、奇異の目で見られた。うつ症状に悩まされた。2009年、自殺を試み、友人によって病院へ運ばれた。

    カースト制度が残るインド。ソウンダラジャン選手は最下層の出身だった。アスリートとして成功すれば、豊かな生活が約束されていた。だが突如、競技人生を絶たれ、故郷に戻り、日雇いでレンガを焼いた。

    いま、恵まれない環境の子どもたちに陸上も指導している。だが本音はこうだ。「もう一度、走りたいんです」

    現在のIOCのルールならソウンダラジャン選手は五輪に出場できる可能性がある。そんな彼女が注目しているケースがある。自分と違って、母国が全面的に支援してくれている選手がいるのだ。

    5. キャスター・セメンヤ選手

    南アフリカ共和国のキャスター・セメンヤ選手が女子800m走の世界記録を破ったのは2009年のアフリカ・ジュニア陸上選手権だった。

    「女性の体つきじゃない」という疑問の声が大きくなったのは、このころだ。2009年のベルリン世界陸上で優勝。6位に終わったイタリアのエリサ・クスマ選手は「こういう人間は私たちと一緒に走るべきではない。私には女じゃなくて、男に見える」と不満を露わにした

    性別検査を受けたセメンヤ選手。翌月、オーストラリアのDaily Telegraphが検査結果を報じた。外性器は女性だが、卵巣と子宮はない。未発達の精巣があり、テストステロンの値は平均的な女性の3倍だった。

    国が擁護

    失格とされたセメンヤ選手を南アフリカ政府は擁護した。失格の判断は「スポーツ界の性差別や人種差別である」と国連に訴えた。長くアパルトヘイト政策が続いた同国でスポーツは国を統合する象徴だった。人間を恣意的なカテゴリーに入れることは、同国の暗い歴史を思い起こさせた。

    同国の競技団体の代表は「ヨーロッパ人が私たちの子どもたちを決めつけることは許さない」と話したとNew Yorkerは伝える。

    IOCは1999年から、性別検査を全員強制ではなく、医師やライバル選手らが性別に疑義を持ったときだけ行っている。ルールがこう変更されて以降、白人女性の性別が公に問題視されたことはない。「白人の女性らしさを基準にアフリカの選手が判断されている」という指摘もある

    競技復帰

    2010年7月、IAAFはセメンヤ選手の出場を許可した。

    セメンヤ選手は競技復帰にあたって文章を寄せた。「存在の最も私的でプライベートな細部について、正当な根拠がない、執拗な詮索にさらされてきました」。性別検査とその後の詮索は「アスリートとしての権利だけでなく、尊厳とプライバシーも含めた基本的人権の侵害です」。

    リオ五輪。8月18日の女子800m準決勝。セメンヤ選手は1位のタイムで決勝に進んだ。

    6. デュティ・チャンド選手

    IAAFは2011年、染色体検査に代えて、テストステロンの検査を導入した。(特定の選手について書面による請求があったときだけ、血液検査を実施する)

    2014年、18歳だったインドのデュティ・チャンド選手は女子200m走で国内チャンピオンとなり、英グラスゴーで開かれるコモンウェルス競技大会に進むことになった。彼女にとって、初の国際大会だった。

    チャンド選手のたくましい体つきを複数の選手たちが指摘したことを受け、インド体育連盟はチャンド選手に血中テストステロン検査を求めた。(チャンド選手によると、当初連盟は通常のドーピング検査だと説明していたという)

    選手の訴状によると、医師らはテストステロンを調べただけではなかった。超音波、染色体分析、MRI、身体検査もあった。クリトリス、膣、陰唇、胸のサイズや陰毛も調べられた。数日後、「男性ホルモンのレベル」が高すぎるので、出場できないと伝えられた。

    声を上げる選手

    チャンド選手には二つの選択肢があった。テストステロンのレベルを低下させるために必要な手術やホルモン療法を受けるか。この規定自体を裁判で争うか。

    後者を選んだ。 「私は私のままでいたいのです。また競技に出場したいのです。女の子として人生を生きてきたんです」と2014年にIndian Expressに話している。

    チャンド選手は今年7月に勝訴。リオ五輪への切符をつかんだ。8月12日の女子100m走の予選に出場し、50位という成績を残している。

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