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「分煙では防げません」タバコ問題、受動喫煙のリスクとは

マナーや思いやりの問題ではなく、他人の健康に危害を与える問題です

東京都議選でも争点の一つとなりそうな受動喫煙防止策。1981年、世界で初めて受動喫煙の健康被害を論文で世に問うたのは日本の研究者だったのに、今では先進国で最も対策が遅れた国に成り下がった。

結局、受動喫煙は何が問題なのか。たばこの健康影響に詳しい国立がん研究センターがん統計・総合解析研究部長の片野田耕太さんに話を聞いた。

「受動喫煙はマナーの問題ではなく、他人の健康に危害を与える問題」と対策を訴える片野田さん

受動喫煙で肺がんになるリスクは「確実」 リスクが1.3倍に

片野田さんは、たばこ対策の健康影響について調べた厚生労働省科学研究の研究代表者で、昨年15年ぶりに改訂された国の「たばこ白書」策定者の一人だ。

昨年8月、片野田さんらの研究を元に、国立がん研究センターは、それまで「ほぼ確実」としていた日本人の肺がんに対する受動喫煙のリスクを、「確実」に引き上げた。

「自分が吸う影響は既に肺がんだけではなく多くのがんで確実とされていましたが、他人のたばこの煙については、非喫煙者の肺がんは頻度も少ないことから個々の研究では影響を証明しきれていませんでした」

「そこで、日本人を対象とした研究を網羅的に検索し、条件を満たした9つの研究を統合して解析したところ、受動喫煙で肺がんになるリスクは1.3倍となることが明らかになったのです。国内外の十分な数の研究から、がん以外の脳卒中も1.3倍、心筋梗塞などの虚血性心疾患も1.2倍に増えることがわかりました」

さらに、昨年改訂した「たばこ白書」では、がん以外も含めた様々な病気について受動喫煙のリスクを4段階で評価した。

受動喫煙の健康影響(2016年「たばこ白書」より)

「世界中の研究を検討し、肺がん、脳卒中、虚血性心疾患、子供のぜんそく、乳幼児突然死症候群(SIDS)などは『因果関係を推定するのに科学的根拠が十分』であるレベル1と判定されました。確実な因果関係があるという意味です。これより少し根拠が弱い『因果関係を示唆している』レベル2には、乳がんや鼻腔・副鼻腔がんなども含まれます」

受動喫煙による死亡は1万5000人

健康被害をさらにわかりやすく示そうと、片野田さんらは、因果関係が確実な肺がん、脳卒中、虚血性心疾患、SIDSについて年間死亡者数を推計した。

「これらの病気に限っても、受動喫煙で亡くなる人は年間約1万5000人となり、交通事故死4000人の3倍以上でした。受動喫煙との因果関係が確立されつつある乳がんによる死亡も含めたらさらにこの数字は増えるでしょう」

日本では2003年に健康増進法で受動喫煙の防止が「努力義務」とされたが、それから10年以上経っても、飲食店で41.4%、職場で30.9%の人が受動喫煙に遭っている。

世界188か国中、公共の場で屋内全面禁煙を義務付けた法律があるのは49か国。この中に含まれていない日本は、世界保健機関(WHO)の分類で世界最低レベルの受動喫煙環境と評価された。

「職場やレストランに加え、居酒屋やバーも禁煙にした受動喫煙防止法の整備後、受動喫煙に関わる病気がどれほど減ったか調べた海外の研究では、心筋梗塞などが15%、そのほかの心臓病で39%、脳卒中などが19%、ぜんそくなどの呼吸器疾患は24%減っていました。しかも、禁煙の範囲を広げれば広げるほどきれいに減ることも明らかになっています。受動喫煙を防止する政策は、健康被害を減らすことが証明されているのです」

「受動喫煙はマナーや思いやりの問題ではなく、他人の健康や命に危害を与える問題であることを認識すべきです。科学的な証拠は十分積み重なってきましたから、今後は具体的な対策を打つ方向に舵を切らなければなりません」

飲食店の売り上げに打撃なのか?

受動喫煙防止策に反対する人がよく引き合いに出すのは、「飲食店の経営に打撃を与える」という主張だ。しかし、これも国内外の多くの研究で否定されている。

「飲食店を全面禁煙にしても売り上げは落ちないし、むしろ増えることが圧倒的に多いということが様々な研究で明らかになっています。WHOの国際がん研究機関は、受動喫煙防止法がレストランやバーを含む飲食店の経営に与えた影響について信頼性の高い49の調査を検討すると、47の調査で売り上げは減っていませんでした」

「日本でも愛知県の調査では自主的に全面禁煙にした店ほとんどが売り上げは減らなかったと答え、ファミリーレストランを対象に行った産業医大の調査では全席を禁煙にした店の収入は逆に増えていたことがわかりました」

喫煙する常連客が来なくなる可能性があるのに、なぜ売り上げは減らないのか。

「客層が変わるとよく言われます。これまで、たばこの煙を敬遠していた家族連れが来て、より高いお金を短時間で使ってくれる。家飲みしていた客が外で飲む機会が増えるからでしょう」

「私も小さな子供がいますが、保育園や小学校のつながりなど子連れで飲みに行きたい潜在的な需要は多い。家飲みも楽しいとはいえ、料理を作ったり、片付けたりしなくちゃなりませんよね。外で飲みたい気持ちを阻むのは煙です。分煙している店も漏れていますし、たまに外で集まろうと思っても幹事さんが店を探すのに苦労しています」

「分煙」では健康被害は防げない

ちなみに、「分煙」では、たばこの煙をシャットアウトできないことも研究で明らかになっている。

「アメリカの空調関係の学会が徹底的に調べ上げて、分煙で煙の漏れを防ぐことは技術的に不可能だと白旗を上げました。ぜんそく患者さんはわずかな煙でも発作などの症状を起こすことがありますが、大丈夫なレベルまで煙をなくすには竜巻のような勢いで吸い取るしかなく、とても人が過ごせる環境ではなくなってしまいます」

「飲食店の売り上げには影響がないことがわかっています」と強調する片野田さん

「また、喫煙ルームに置かれている空気清浄機の多くは、煙の粒子成分とガス成分のうち粒子成分しか吸い取れません。排気口からはガス成分の中にある一酸化炭素などの有害物質がそのまま流れることになります」

そして当然、喫煙ルームに出入りする従業員の健康は守られない。

「飲食店の従業員なら接客のたびに吸い込むことになりますし、喫煙ルームを掃除する人は客が吸っている中で掃除をしなくてはなりません。分煙では見捨てられる人たちがいることを忘れてはいけません」

喫煙者にとっても悪い副流煙

そもそも人のたばこの煙を吸うだけでなぜ健康被害が生じるのだろう。

「自分が吸う場合と同じですが、たばこの有害物質は肺だけでなく、血液に吸収されて全身に回ります。それが遺伝子を傷つけ、がん細胞ができやすくなる。血管の炎症も起こして動脈硬化や血栓を招き、心筋梗塞や脳卒中につながります」

しかも喫煙者が自分で吸い込む煙より、たばこの先からくゆらされる「副流煙」の方が有害成分を多く含む。

「フィルターを通さず燃焼温度が低いためです。たばこを吸うと赤く燃えて1000度ぐらいに上がり、発がん性物質の一部は分解されます。しかし、灰皿に置いた状態や手に持っている状態では低温で燃焼するので、発がん性物質がそのまま空気中に流れます」

もちろんその副流煙は喫煙者自身も吸い込むわけだが、自分で吸わない人まで、より有害な煙を吸わされるのはたまらない。屋内の閉鎖空間では濃度も上がる。

「喫煙所や新幹線の喫煙ルームに煙がガス室のように充満しているのを見たことがあると思いますが、有害な副流煙を濃度の高い状態でたくさん吸い込むことになるので、喫煙者にとっても非常に悪い環境です。狭い飲食店も同様です」

そして、片野田さんは、「実は、喫煙者にとっても“一番健康被害が少ない喫煙場所”は、屋外です」と強調する。

「屋外なら煙は拡散しますから、外に行って吸う方が喫煙者の健康にとってもプラスです。よく『人の煙は嫌だ』と言う喫煙者がいますが、雰囲気だけでなく、健康にも悪い空気だということを感覚的にわかっているのかもしれないですね。路上喫煙防止の条例が先にできていますが、屋内全面禁煙を実現するためなら路上の喫煙は緩和しても良いのではないでしょうか」

厚労省案、自民党対案、都民ファーストの条例案を採点

これまで、

(1)小規模なバーやスナックは例外として屋内を原則禁煙とする厚労省案

(2)100平方メートル以下の店は「喫煙」「分煙」と表示すれば喫煙可能とする自民党対案

(3)面積の基準を設けずに、店内は原則禁煙。子供の前では車内や家の中でも禁煙を努力義務とする都民ファーストの「都条例案」

が議論の俎上に上がっている。片野田さんの評価はどうか。

「正直、狭くて換気機能もきちんと整備されないであろうバーやスナックを例外としている厚労省案も不十分ですが、この落とし所を受け入れないとまた10年以上対策が遅れてしまう。医療者、研究者は皆、忸怩たる思いで支持しています」

自民党対案については、「検討する意味もない」と切り捨てる。

「表示で環境を選べるのはお客さんだけで、従業員は選べない。東京ではほとんどが100平方メートル以下の規模の店ですし、ほとんどが例外規定の対象になるザル法です。これでは法律を作る意味がありません」

都民ファーストの案については、面積基準を設けない点で高く評価している。

「厚労省案ではたばこの煙の濃度が最も高くなるであろう場所が例外になってしまっていました。健康被害を防ぐという法制化の本来の目的に沿っている案だと思います」

車や家の中での禁煙を努力義務とする案については、「公共の空間と共に大事な視点」と言う。

「海外の多くの国で子供が同乗する車の中で吸ってはいけないという規制が進められています。タクシーと一緒です。閉鎖空間で濃度も高くなり、煙を避ける選択ができない。家の中についても努力義務とするのは、家庭内での受動喫煙の問題を皆さんに知ってもらうきっかけとなり、大事なことです」

たばこ産業の情報操作

2010年にWHOと国際オリンピック委員会が「たばこのないオリンピック」推進で合意して以降、歴代開催国は全て罰則付きの法規制を実現した。2020年に東京オリンピックを控えた日本だけは未だに足踏みが続いている。

「国がたばこ産業を保護しているのが大きな原因の一つです。財務省がたばこ産業の大株主で年間500億円規模の配当金も受け取り、たばこ関連の税収は2兆円。喫煙者だけでなく、吸わない人の命と生活まで引き換えにして確保したい税収とはいったい何なのでしょうか」

「まずは正しい知識を持ってほしい」と語る片野田さん

さらに、たばこ産業が喫煙者にたばこの健康被害について正しい情報を提供してこなかったことが対策を滞らせているとも批判する。

昨年8月、国立がん研究センターが、前述の通り、受動喫煙による日本人の肺がんリスクは確実とする発表をしたところ、日本たばこ産業(JT)は同社のウェブサイトで「本研究結果だけを持って、受動喫煙と肺がんの関係が確実になったと結論づけることは困難」とする批判を掲載した。

同センターも翌月、科学的根拠に基づいて異例の反論を返したが、片野田さんは「たばこ産業はもっと巧妙な情報操作を行なってきた」と指摘する。

「健康被害はないように見せかけるために、たばこ産業が学術誌を利用して研究を歪めて報告していた例は国内外で枚挙にいとまがありません。学術誌も結果的に不正の片棒を担がされた反省があり、次々にたばこ産業から資金提供を受けた論文を掲載しない対策を取り始めました」

海外の一流医学誌では、2010年に米国のプロスメディシンが、2013年には英国のブリティッシュ・メディカル・ジャーナルがたばこ産業の資金提供を受けた論文を掲載しないことを決定。日本でも昨年から今年にかけて日本癌学会や日本公衆衛生学会、日本疫学会などが相次いで同様の方針を決めた。

「消費者からすれば、製品にどういうリスクがあるのか十分説明を受けた上で納得して購入するのが当たり前で、製造者は情報提供の責任がある。しかし、たばこ産業は、政府や学術界、マスメディアまでコントロールして、リスクが証明されていないという誤った情報を出し続けています」

片野田さんは言う。

「喫煙者は自分にも周りにもこんな健康被害があることを知らされていないし、非喫煙者はなおさらです。その陰で誰が健康被害にあって、誰が利益を得ているのか。正しい知識を持って、守れる命を守るよう一歩踏み出してほしい」