盗まれたiPhoneを追って中国まで行ったら、セレブになった話

    信じられないけれど、実話。

    <これまでのあらすじ>

    ある夜、バーで飲んでいたら、iPhoneを盗まれた。仕方なく買い換えると、フォトストリームに見知らぬ男の写真が次々と流れてくる。どうやら、盗まれたiPhoneは中国に渡って、そのまま使われているらしい。そのことを記事にすると、中国のネットであっという間に拡散し、男の居場所が判明した。僕はその男に会いに、中国へ渡ることにした――(第1章 / 第2章

    僕のiPhoneを持つ男「ブラザー・オレンジ」に会いに中国へと向かった。辿り着くには、4つの空港(!!!)を経由しなければならなかった。長旅だ。

    ブラザーオレンジの故郷は、梅州。中国南部の広東省にある。中国人でさえほとんど知らない場所だ。だが、人口は450万人。ロサンゼルスよりも大きい。そう、中国は人口が多いのだ。

    地獄のような長旅だった。まず北京に行き、汕頭に移動した。さらに1時間半、クルマに乗ってようやく梅州に到着した。20時間の旅だ。ブラザーオレンジの友人が、空港に迎えに来てくれることになっていた。

    ホテルの予約は全部キャンセルした。ブラザーオレンジが、用意してくれていると言ってきたからだ。これから何が起こるのか、全くわからなかった。

    ブラザーオレンジは「WELCOME MATT 」という横断幕の前で撮った写真を投稿した。これには驚いた!

    北京から汕頭への飛行機に乗った時だ。僕は初めて自分のファンに出会った。

    女性が来て、「ひょっとしてマット? マジで?」と驚いた顔で言った。僕は笑って挨拶した。彼女は席に戻った。

    飛行機が飛び立ち、僕が眠ろうとしたところで、腕を叩く人がいた。さっきの女性だ。手紙を渡してきた。素直にうれしい。手紙は「あなたの中国のファン」という言葉で締めくくられていた。驚いた。

    フライトは約3時間。

    僕は「ファン」に見つかったことに興奮しながら飛行機を降りた。その先に待ち受ける大騒ぎのことは全く想像できなかった。

    手荷物を受け取りに、エスカレーターを下りると、カメラのフラッシュが一斉に焚かれた。

    僕はまるで王女のように、カメラマンとファンに向かって手を振った。

    何が…

    起こって

    いるの?!?!

    とにかく大騒ぎ

    ブラザーオレンジと初めて会った時のことは、人が多すぎたせいか、ほとんど覚えていない。カメラマンたちに狙われるのはこんなに恐ろしいことだったとは。キム・カーダシアンがロサンゼルスから旅立つ時の気持ちがようやく理解できた気がした。長いフライトの後は、疲れのせいで歓声がよけいに耳につく。

    ブラザーオレンジのクルマに急いで乗り込んだ。

    カメラマンたちはついてきた。ありえない光景だ。クルマで30分の距離にあるホテルに向かった。すべてが狂気の沙汰としか思えない。

    ブラザーは、iPhoneを返してくれた。持っていた時に、落としてできた凹みがあった。とても不思議な気分だった。

    ブラザーオレンジと、通訳を介して話し始めた。

    最初の話題:iPhoneについて。

    わかったこと:

    僕の盗まれたiPhoneは、香港に辿り着いたらしい。ほぼすべての盗まれた携帯電話が集まる場所だ。香港から、世界最大級の中古携帯電話市場である深センに流れた。そこには2千以上、中古携帯屋がある。これがその動画だ。そんなこと知らなかったけれどね!

    ブラザーオレンジのいとこが、僕のiPhoneを買った。そしてブラザーオレンジにプレゼントした。こうして、僕のiPhoneはニューヨークから香港、そして深セン、梅州へと旅をした。

    ブラザーオレンジがiPhoneを手にした時、僕が撮った写真は全部残っていた。泥棒は、写真を消すことさえしなかった。泥棒の写真もあった。ひどいね。

    ブラザーオレンジは8月に僕のiPhoneを手に入れた。不思議なことに、彼が撮影した写真は、1月の終わりまで僕が新しく買ったiPhoneには表示されていなかった。理由はわからない。

    僕が新しいiPhoneで撮った写真も、ブラザーオレンジのiPhoneに表示されていたらしい。怖い。彼はひたすら僕が撮った写真を削除したという。僕は今、自分が持っているiPhoneの写真について考え始めた。ブラザーオレンジは何を見たんだろう? 不思議な気分だ。

    ホテルに着くと、カメラマンがロビーに3人待機していた。落ち着かない。

    いったい、僕の人生はどうなっちゃったんだ。

    仕方ないので、眠ることにした。

    朝早く、誰かが僕の部屋のドアをノックした。そして、荷造りをしろと言った。どうやら、このホテルには一泊しかしないらしい。そして、これから自分が何をするのかもわからない。この旅を通して、ずっとこんな感じだった。

    ホテルのスタッフと何枚かの写真を撮った後、ブラザーが所有しているウーホワ郡にあるレストランへ出発した。そこは人口150万人の「小さな町」。フィラデルフィアと同じ人口だ。

    ブラザーのレストランは、川沿いにある。大きい。レストランの名前を「ブラザーオレンジの店」と改名していた。えらいことになっている。

    レストランの敷地に入ると、たくさんのカメラマンが群がってきた。取り囲まれる瞬間のために気を引き締めてクルマを降りる。ブラザーは僕に挨拶し、僕らはカメラマンに向かって、5分にわたってぎこちないポーズを取った。その後、お茶を飲みながら取材を受けるために、店の中に入った。

    やれやれ、空港の時と一緒だ。ありえない。

    お茶を飲みながら、中国をどう思うかとか食べ物とか、似たような質問にいくつも答える。マドンナが同じ質問を何回もされる理由がわかった気がした。「もう5回答えたよ」と言いたくなる。

    僕も有名になったおかげで性格が悪くなっているのかもしれない。

    20分のインタビューの後、中国人とアメリカ人の友情を象徴するオレンジの木を植えるために外に出た。

    「中国とアメリカ」。この旅の大きなテーマだ。両国の関係はいいことばかりではない。でも、二人でオレンジの木を植えれば、「僕たちはいい感じだよ」と示すこともできるだろう。

    自分が穴を掘っているところを、50人もの人がじっと見ている。おかしい。

    そしてランチ。ここでもブラザーと20台のカメラと一緒。何度も繰り返すけれど、いったい何が起こっているというのか。

    これだけのカメラの数だ。きっと僕がランチを食べている写真は1万5千枚くらいあるだろう。食事時の写真に、かっこよく写っているものなんてあるわけないのだが。

    だいたいが、慣れないものばかり食べている。生の魚も食べた。客家刺身という地元料理らしい。美味しかった。

    食事についてのインタビューを受けるため、「美味しい」以外の言葉を用意しておく必要がありそうだ。おそらくこれから一週間、何百回も「美味しいです」と言うのだろう。新しい単語を考えるのは難しい。

    ブラザーオレンジの家族全員に会った。彼には4人の子供がいる。4人も! 素敵な奥さんと、いとこ、叔父、姉妹、兄弟もいる。僕は家族に歓迎されたと感じた。

    ランチが終わった。あの彼のセルフィーに写っていたオレンジの木の前で撮影をし、またクルマに乗った。

    僕の携帯電話に流れてきた写真は、ほとんど彼の娘が撮ったものだった。だから小さな手が写っていたというわけだ。

    有名なサッカー選手の家に立ち寄った。ブラザーとおそろいのシャツを着た。その方がかわいいだろうと思ったから。

    その家は美しく、風がよく通っていた。

    僕を撮影していたカメラマンの一人が足を滑らせて怪我をした。落ち着いて! 写真は撮れるから。

    次は石の彫刻を作る工場だ。そこでヤギの石像の一部を彫らせてもらった。なぜかはわからない。

    だんだん、地元商店を回る政治家のような気分になってきた。不思議だ。

    僕は起こっていることをただ受け入れている。

    セルフィーがうまくなってきた。どこに行っても撮っているから。

    最後に、その日の最終目的地、泥風呂のあるリゾートにたどり着いた。

    ブラザーオレンジと25人の記者たちと一緒に泥風呂に入った。

    泥風呂でブラザーとの絆は深まった。言葉は通じなくても、会話はたくさんしている。彼はいつも何か見せようとしたり、自分たちが今どこにいるか教えてくれる。

    周りで起こっている狂気の沙汰を通じて、強い絆で結ばれた。スポットライトの中にいるもの同士でわかりあったのだ。

    僕らはチームになった。

    夜は、様々な酒が振る舞われた。中国の人は、乾杯と言わない限り飲めないというルールを決めている。それに従って常に「乾杯!」といい続けた。

    夕食でブラザーのことがさらにわかった気がした。彼は食べることが大好きで、なんでも食べる。そんな彼が大好きだ。彼はイタリア人のおばあさんのようなスピードで、僕の皿に食事を盛り続ける。

    ディナー終了。

    お茶を飲み、眠りについた。

    新しい日、新しいホテル。

    今日は記者会見の予定が入っている。

    だが、最初に寄ったのは携帯電話ショップだった。

    クレイジーだった。カメラマンやファンに押しつぶされた。次々と中国で使うように、と携帯電話をもらった。おかげで、手持ちの携帯電話は5つになった。

    さあ次。記者会見へと向かう。

    記者会見の会場はホテルだ。これが記者会見だと思ったが違った。記者会見の前の会見だったようだ。

    えらいこっちゃ!

    僕の記者会見が開かれるという事実は不思議ではない。メキシコでブリトニー・スピアーズの会見が開かれるのと同じだ。

    会場に入ると皆が歓声をあげる。カメラのフラッシュが点滅する。そして「I love Matt」と書いたボードを持った人々。

    このとき、僕は「ストペラ」という苗字を名乗るのをやめようと決意した。今から、僕は "マット"。マドンナ、ビヨンセ、ブリトニー、ケシャ、そしてマット。完璧だ。

    記者会見のハイライト:

    # 中国語で話すと、歓声が上がる。

    # 何か言葉を発しただけで、歓声が上がる。

    # 僕のファンが山ほどいる。一人は車椅子に乗っていた。普段は家を出ないのに、わざわざ今日に限って僕を見に来たという。彼女が踊ってほしいというので、僕は踊った。ぎこちなくケイティ・ペリーのRoarに合わせて踊った。わけがわからないモーメントだ。

    # 僕は自分の目を覚まそうとした。これは現実なのか?

    会見終了。ホテルを出ると、車とバスに僕たちの顔が付いていた。クール!

    ランチは前の日と同じ感じだった。たくさんのカメラマンがテーブルを囲む。どうやら僕は、はからずしも地元の酒を宣伝していたようだ。この旅行を通じて、いろんな商品の前でポーズした。何が起こっていたかわからなかったけれど。こうなりゃ、なんでもお勧めしちゃうよ。

    まるで選挙期間中の政治家だ。

    ホテルにチェックイン。ファンたちにサインする。「あなたは最高。ありのままで」という言葉を添える。中学生の寄せ書きだ。でも、中国の人は心から喜んでくれる。

    ホテルの見学をしていると、ウェディング用の撮影セットがあった。たくさんのカップルが衣装を着て撮影している。

    超クールだ。

    ブラザーオレンジと僕は、そこにあるすべてのセットで写真を撮った。腹を立てている花嫁からベールを盗んだりした。面白すぎる。

    このとき、ブラザーオレンジがファニーでクールだということに気づいた。一緒に走り回ってウェディング写真を撮って楽しんでいる。最高だ。

    伝統的な中国の衣装を身にまとい、お茶を淹れてもらう。僕は本当にブラザーオレンジのことが好きになり始めてきていた。

    言語や文化の壁なんてたいしたことじゃない。今は2015年。ここが僕たちが今住んでいる世界だ。幸せだ。

    この写真が撮られる少し前、僕らは赤いリボンに願いを書いて木に結びつけた。互いに、生涯友人でいられるように、と書き込んだ。

    下の写真は、ブラザーオレンジの甥と僕たちを写したものだ。この甥がすべてのきっかけを作った。僕がニューヨークでiPhoneを盗まれた話が中国で広まったのは、ちょうど中国の旧正月のころに記事が投稿され、ネットで拡散されたからだ。ブラザーオレンジの甥は、僕の話を新月の夜に聞いたらしい。これは偶然じゃない。何かのしるしだ。

    僕は中国の運命の考え方についてより深く考えるようになった。僕の話が中国で広まったのも、中国の文化に沿っていたからだ。ただのおもしろおかしい偶然の出来事でなく、運命の物語として受け取られていたのだ。

    夕食の席では、ファンが巨大な看板で迎えてくれた。

    僕は、隠し撮りをしている人に気づいた。僕はその人たちのためにあえてポーズをした。隠し撮りをしている人は恥ずかしくなるだろう。これは楽しい。僕もようやくこの段階までやってきた。

    だんだん、有名になるということがどいういうことがわかってきた。ある時点で、自分はただのモノになってしまう。プライバシーなんかない。オフスイッチもない。誰もがいつでも、カメラを突き出しても良いと思ってしまう。奇妙なことだ。レディー・ガガ、君の気持ちがわかるよ。

    その夜、中国のナイトクラブに出かけた。

    ぐったり疲れている。

    なんて一日なんだ。

    もう寝るよ。

    この日は、地元の共産党指導者を讃える神社の訪問から始まった。僕はビクトリア・ベッカムの真似をして、深刻なポーズをとろうとした。

    高齢のファンとも出会った。彼は78歳。ニュースで踊っている僕を見たらしい。一緒に踊り、このヘンなゼリーをくれた。記念すべき瞬間だ。

    僕のチームは最高の仕事をしていた。二人の通訳(CambyとQingqing)、BuzzFeedのAbe、そしてブラザーオレンジ。僕らはいつも一緒にいて、短い期間で仲良くなった。

    テレビに出ているセレブもチームと一緒にいつも行動している。そしてセレブはいつも自分のチームに感謝している。僕もようやくそれがどういうことか理解した。周りに良い人たちがいないと、クレイジーな状況は乗り切れない。僕はチームが大好きだ。

    その日僕はCitaslowという美しい村の観光大使になった。クレイジーだ。僕が観光大使だなんて。シュールすぎるよ。

    僕は丁寧に、テイラー・スウィフト風の驚いた顔をして名誉を受け入れた。だんだん対応が上手くなってきている。

    ホステルとレストランに改装された古い学校でゲームをした。自転車で遊んだ。最高だ。

    僕とブラザーオレンジは互いを気遣うようになってきた。僕たちはチームだし、どちらかが望まないことはしたくない。一緒にいるときは、完全にリラックスしている。笑顔にも無理がないし、本物になってきている。

    兄弟愛だ。この言葉は好きじゃないが、間違いなくそうだ。

    そのあと、僕らはお茶の畑でドープな時間を過ごした。

    僕はブリトニー・スピアーズの曲をブラザーオレンジに教えた。

    その夜、僕に会うためにバスで5時間旅し、同じホテルにチェックインしたという人からメッセージを受け取った。

    すごい。

    名声って、怖い。

    その夜、僕らはカラオケをした。

    しこたま飲んだ。彼は中国の歌を歌い、僕はアメリカの歌を歌った。一緒に踊り、一緒にショットグラスを空け、一緒にスイカを食べた。

    アメリカのカラオケも、もっと営業努力すべきだよな。

    僕はバックストリート・ボーイズの「I Want it That Way」を歌って、その夜を終えた。

    素晴らしい一日だった。

    梅州市の近くにある五指山という、美しい場所に出かけた。

    カメラマンたちと撮影の時間を過ごします。崖だ。僕は言った。「みんな気をつけて! 写真は撮れるから! 山から落っこちないように!」

    まるでケイティ・ペリーばりのセレブだ。

    これらの途方もなく美しい、緑豊かな巨大な山々の中に立った。この場所が大好きだ。そしてブラザーが大好きだ。

    山から降り、僕らはワイナリーに行った。ワイナリーと言っても、山のふもとにある酒の蒸留所だ。カリフォルニアのワイナリーとは違う。

    ワイナリーで、要人のように扱われた。僕は要人のように振る舞った。下手くそな書道をたしなみ、ワインを褒めた。 「ナンテイ・ワイン。非常に素晴らしい! 」部屋は歓声で溢れた。

    僕はふと、iPhoneをなくしたところからこんなことが起こっているんだよな、と思い出して不思議な気分になった。

    どこに行っても僕らのことをみんなが知っている。

    僕が親指を立てたり、ピースサインをすると、誰もが同じようポーズする。面白かった。レディー・ガガが、「paws up」をした時のようだ。僕のは親指を立てる「thumbs up」だったけどね。

    その夜、僕らはまたカラオケをした。足のマッサージもした。僕らの友情は次の次元に到達した気がした。もう、何もしゃべらなくても心地よく一緒にいられる。一緒にいるだけで楽しい。チャーリーズ・エンジェルのポーズもした。最高だ。

    この日、すべてが変わった。

    この日はプライベートな時間が一番多い日だった。あまりにプライベートな一日で、写真が少ない。友情は本物になってきていた。

    ブラザーオレンジは素晴らしい。素晴らしい父親であり、素晴らしい息子だ。彼は大変な年月を過ごしていた。両親は2012年に亡くなったが、その前には、両親の世話のために故郷に戻っていた。漁船に投資したが、洪水が起こってダメになった。ブラザーは最近、ついていなかった。

    この日、取材陣は僕らを放っておいてくれた。僕はようやく、ブラザーオレンジがやりたかったことができる、と思った。彼の私生活を伝えようとしてくれていた。

    個人的な話をたくさんしてくれた。幼い頃に登った木や、地元の寺、そして彼の実家に行った。彼の先祖にも敬意を払った。先祖に敬意を払うやり方を僕に聞いてきたけれど、答えられなかった。アメリカ人はそういうことをしない。残念だった。これが文化の違いだ。

    中国の人がみんな、こうして全てをさらけ出してくれるわけではない。僕は今、彼の家族になった。兄弟だ。

    彼のいとこの家を訪問した。ここが、iPhoneに入っていた花火の写真が撮影された場所だと知った。

    僕はブラザーオレンジの家族や友人が好きになった。僕は、その人がどんな人と一緒にいるかをいつも見ている。ブラザーオレンジには最高の家族と仲間がいた。みんな彼を愛していた。みんな彼と一緒にいたいと思っていた。彼は本当に良い空気感を持っていた。

    疲れた。

    その夜は、最後の夜になるはずだった。悲しかった。短い時間のあいだに親しくなった。出会ったのは運命のように感じました。実際、運命だった。

    当然のようにまたカラオケを一緒に歌った。涙が出た。

    贈り物を交換した。みんな泣いた。この体験がどんなにクレイジーだったか。きっと僕ら以外には誰も理解できないだろう。

    旅は終わったんだ。

    これでお別れのはずだった。僕は一人で北京に行くことになっていた。

    午前3時まで眠れなかった。でも7時までに起きなければならない。そして二日酔い。くそっ。

    僕らは朝食のためにテーブルについた。

    フライトの3時間前、ブラザーオレンジは北京行きのチケットを買った。一緒に来るというのだ。ロマンチックだった。信じられない!

    僕らの旅はまだ終わっていなかった。

    これは実際起こったこと。

    僕らが乗る飛行機は遅れていた。何をしようか? カーリー・レイ・ジェプセンの「I Really Like You」にあわせてミュージックビデオを作った。

    印象的な出来事だった。本当にこの人が大好きだ。僕のことをわかってくれている。

    その夜、北京に着いた。あまり無理しないようにと決めた。この24時間でエネルギーを使い果たした。おまけに4時間しか寝ていない。死にそうだ。

    その夜、夕食を一緒に取った。静かなディナーだった。素敵だった。

    だが、また変なことが起きた。ホテルに戻ると、レストランに携帯電話を忘れたことに気がついた。ブラザーは兄貴らしく、一緒にレストランに戻ってくれた。もう僕はスマホを持たない方がいいみたいだ。バカだ。ブラザーと僕は大笑いした。

    そして寝た。

    北京に来るのは僕もブラザーも初めてだった。ブラザーは数週間前、テレビ出演のために北京に来ていたが、観光する時間はなかった。

    北京に来たら天安門広場に行くことは「通過儀礼」だと言われた。ブラザーオレンジも来たことがないようで、興奮していた。彼は喜んでいた。僕も嬉しくなった。

    これまでブラザーと一緒にたくさんのことを体験した。気のおけない間柄になっていた。いつも肩を組んでいた。

    北京で、梅州市つまりブラザーの故郷からの団体旅行客に会った。

    この旅の目的のひとつは、多くの人に梅州を知らしめること。その模様は中国最大のテレビ局、CCTVのニュースで放映された。梅州市は有名な市になった。450万人のこの "小さな"都市はようやくその価値に値する認知度を得たのだ。

    最後に立ち寄ったのは、この旅を実現可能にしたウェイボーだ。これがなければ、ブラザーと僕は出会うことはなかった。

    ウェイボーのオフィスには、BuzzFeedのようにオープンなスペースがたくさんあった。若い人も多い。親しみを感じた。

    ウェイボーは、かつてほど人気がないらしい。今はWeChatというメッセージングアプリが、ユーザー数を伸ばしている。でも僕とブラザーの物語はウェイボーの力を証明した。中国のインターネットの力を見せつけたのだ。

    その夜はウェイボーの人たちとのディナーだった。中国まで来て、自分と似た仕事をしている人たちと話をするのは不思議な感じだ。今回の旅で感じたのは、インターネットに関することはどこにいっても似たようなものだということ。彼らはコラ素材を楽しみ、ネットスラングを使う。BuzzFeedの「このドレス、何色?」の記事は中国でもバズった。社内で意見が分かれてケンカになったらしい。

    ブラザーと乾杯した。僕らは地下鉄でホテルに帰った。互いの部屋で座って時間を過ごした。もうすぐ旅は終わる。

    最後の朝。

    通訳はもういない。

    旅は終わった。

    クルマの後部座席に座って、僕らは二人とも涙を流している。次に会うのはいつなのか。どんな再会になるのか。彼は僕に会いにニューヨークに来てくれるのか。

    全てが終わった。

    その瞬間、僕らが越えた境界線について思いを馳せた。携帯電話とコンピュータは全てを変えた。言語の壁はたいしたことじゃない。翻訳アプリで問題なくコミュニケーションがとれたから。

    何でもできる。スティーブ・ジョブズ、ありがとう!

    僕らは物語の最後らしく、さよならを言った。

    彼はゲートに立ち、見えなくなるまで手を振っていた。

    さようなら、ブラザー!

    昔の僕だったら、これで「めでたしめでたし」と言っていただろう。だが、今回のことで人生、何が起こってもおかしくないということを経験した。一台の盗まれたiPhoneが、このような物語と真の異文化友好につながると誰が想像しただろうか。

    僕にはこの話の第4章があると信じている。またブラザーに会うだろう。運命だから。僕は運命を信じている。

    マットとブラザーオレンジの物語のドキュメンタリーが製作中です。こちらの予告編をご参照ください。

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