「サブカル化」した若者デモ。社会学者が指摘するその理由

    社会運動の「サブカルチャー化」を研究する立命館大の富永京子准教授に話を聞いた。

    特定秘密保護法、そして安全保障関連法に反対する市民運動を展開し、国会前に数万人を集め、メディアの注目を浴びたいわゆる「若者デモ」。

    ただ、安保法の成立を機に「SEALDs」(シールズ)は解散。7月11日に成立したいわゆる「共謀罪」法では後継団体「未来のための公共」が生まれたが、以前ほどの勢いはない。

    いったいなぜなのか。その要因は、デモの「サブカル化」にあると指摘する、若手社会学者に話を聞いた。

    「デモを一般的にしてメインカルチャーにかなり近づけたけれども、結局新しい敷居を作らざるを得なかったことで、サブカルチャー化が進んでしまったと、個人的には思っています」

    そうBuzzFeed Newsの取材に語るのは、立命館大准教授の富永京子さん(30)だ。

    全国に広がった「若者デモ」に参加した学生たちにインタビューを積み重ね、3月には「社会運動と若者ーー日常と出来事を往還する政治」(ナカニシヤ出版)を上梓した。

    ここ数年の「若者デモ」の専門家とも言える富永さんは、現状をこう論じる。

    「デモは怖いとか、古臭いとか、ヘルメットにゲバ棒のイメージだと思うんですが、そういうのをできる限り払拭して運動をつくろうとしたのが、いまの20代の方たちの取り組みだったと思います」

    「そもそも、彼らには日常の延長線上として社会運動を広めるという狙いがありました。もちろん、一定の成功を収めたとはいえると思います。ただ、目的としていた多くの若者の政治参加を妨げた面もある」

    若者デモが「サブカル化」した理由

    すでに解散したが、一時はメディアでよく名前を見かけた「SEALDs」。特定秘密保護法に反対する学生有志の会(SASPL)が前身で、「自由と民主主義のための学生緊急行動」の頭文字をとり、2015年5月に立ち上がった。

    「Supreme」などのブランドやクラブカルチャーを取り入れた雰囲気。ビラやホームページ、プラカードなどのデザインにもこだわりを見せ、「新しい風」をもたらしたように、たしかに見えていた。

    「こんなに多くの若い人たちが『デモ』という言葉を知っている社会は、ここ数十年なかった。良くも悪くもですが、認知度が上がりましたよね。政治参加の一つの手段、手法、声の上げ方としてデモがある、ということ」

    それでも、運動の広がりには限界があった、と富永さんは見る。根底にあるのは、デモの「サブカル化」だ。一体、どういうことなのか。

    「玄人向けになってしまった、ということです。たとえば、サークルでもバンドでも同じだと思うのですが、集団がある程度持続すると、内部ではルール、マナー、しきたりを作ってしまうんです」

    富永さんは、SEALDsにあった「幟を持った人は入っちゃいけませんとか、スタイリッシュさを前面に出しましょう」というしきたりについて、「こだわりの先鋭化」と呼ぶ。

    もう一つの「サブカル化の要因」としてあげるのは、参加者側に「知識」がついたことだという。

    「彼らはデモ以外にも、勉強会を開くということをやっていた。それ自体はいいことなのですが、そうすると、参加者側には法律や、社会問題に対する知識がどんどんとついていくんですよね。知識のない人が入れなくなってしまう」

    「私から見ても、入りづらいものになってきたなあという印象を持っていました。構成員が固定され、マナーを共有し、成長して自然と敷居をあげてしまった」

    それはいつしか、「新しい人たちに対する参入障壁」を生み出してしまったのだ。

    同じことはアメリカでも

    こうして「敷居が上がった」ことにより、運動の広がりが鈍化してしまったというのが富永さんの見方だ。ただ、こうした「サブカル化」は当然の帰結であるとも言えるという。

    「まず、何にしてもサブカル化せざるを得ない側面はある。人が継続的に集まっていたら、仕方がないこと。彼らに、『初めてデモに行った時の気持ちを持ち続けろ』というのも難しいわけですから」

    富永さんによると、アメリカの学者、ケニース・ケニストンがベトナム反戦運動に参加した学生たちの分析をした結果、運動が排他的になっていくことがわかったという。

    ケニストンは、「カプセル化」という言葉を用いてこれを説明した。

    「運動が排他的になる代わりに、内部の関係は密接になっていった。そして今度は、『周りがわかってくれない』というようになり、さらに密接の度合いが増したのです」

    「彼らは彼らの言葉で話しているし、共通言語や体験を共有しているんですが、外からバッシングを受けたり、警察の存在が運動を脅かすようになる。秘密結社とまでは言いませんが、サークルとしての閉鎖性が生まれる。外部の脅威と内部の文化的硬度により、外を遠ざけていってしまった」

    それと同じことが2015〜16年の日本でも起きた、ということだ。

    大人たちの視線の「息苦しさ」

    そもそも「SEALDs」などの「若者デモ」が目指してきたのは、「普通の人たちに、政治に興味を持ってもらうこと」だった。しかし、ここにも問題が生じるというのが富永さんの見方だ。

    「政治に興味がない人たちに訴えるための彼らの戦略は、日常を結びつけることでした。『日常を守りたい』から『戦争をしたくない』などと主張してきた。ただ、それぞれの日常が画一的ではないため、いまの時代にはちょっと広すぎるフレームを使ってしまったのかもしれません」

    「また、運動のテーマを『戦争反対』というシングルイシューにしてしまったのも問題だったのかもしれません。たとえば共謀罪や森友学園、加計学園などに対して行動を起こそうとするとき、参加者ですら『戦争とは関係がない』と、安保法制とのつながりが見えづらくなってしまった」

    運動が鈍化した理由として、富永さんがもう一つあげるのが、「バッシング」の存在だ。

    「あまりメディアの発達のせいにはしたくありませんが、やはりネットでこれだけバッシングが可視化されると、やりたがる人は少なくなりますよね……」

    富永さんはSEALDsの解散まで関わっていたメンバーのうち、運動への「バッシング」に触れていた女性にインタビューをした。

    「その子は、『いろいろ言われたけれど、正しいことをしたと信じたい』と話していたんです。そこまで言わせてしまうほど、バッシングの声は大きかったし、彼らを傷つけた」

    そういうバッシングは、往々にして「大人たち」から投げかけられた。ただ、活動していた参加者たちを息苦しくさせていたのは、決して否定派だけではなかった、ともいう。

    「『若者デモ』というフレームで彼女ら、彼らが括られてしまったことにも、その要因はあると思うんです。参加者の中には、『若者の問題として捉えられるのが最後の方は辛くなった』という声がある。安保法案はすべての世代に関わることなのだけれども、若者に矮小化された感があった、と」

    そのような息のしづらさを引き起こした一因は、「発言力のある年長者やマスコミの取り上げ方にあった」と富永さんは言う。

    「肯定的な人も、否定的な人も、同様に若者は政治に無関心で、彼らのみで運動や政治に関わることはできない弱い主体という見方を内面化していた」

    「肯定派の年長者は過度なサポートや自分の若い頃を投影する側に周り、否定派の年長者からはバッシングが向けられた。その相互に囲まれてしまったことは、サブカル化の大きな要因だと考えています」

    このままじゃ、社会は変わらない

    富永さんはその上で、サブカル化を乗り越える必要がある、とも指摘する。

    「人は、利害構造も政治に対する関心もバラバラで当たり前の生き物です。この時代に政治的なことをしようとするのなら、仕方のない帰結だと思います」

    参加したいのなら、SEALDsのようなデモでも良い。フェアトレードのような消費運動でも良い。勉強会や、講演会でも良い。自分に合うもので良いじゃないか、ということだ。

    「運動したいならデモは参加へのプレッシャーを生み出してしまう抗議手法でもある。デモ以外にもいろいろ道はあるんだ、と考えるのも手だと思うんです」

    ただ、と富永さんは言う。そもそも社会運動は、「社会をよりよく変えたい」がために運動する行動だ。大勢が集まること、団結することによって効果を発揮する。

    「運動が効力を持つためには、そこそこの人数を集めたり、立候補者を立てて制度的な政治に参加したりする必要が出てきます。しかし、サブカル化したら、それはできない」

    「サブカル化を乗り越え、どう集まることができるか、という方策を探すことが求められる。それぞれが心地よいところで生きているだけじゃ、社会は変わらないですから」