築地市場は「もう限界」 残せばいいとの声に困惑する現場、追いつかぬ改修と多発する事故

    壁にひび、通路には穴。衛生面の指摘も。

    豊洲への移転をめぐって揺れる築地市場。「豊洲に問題があるのなら、築地に残せばいい」という意見もある。

    だが、もともと築地市場に限界が来ていたから移転の話が持ち上がった。築地に残すことはあり得るのか。老朽化した建物を騙し騙し使っている現場の人はシンプルにこう言う。

    「非常に厳しい」

    築地市場の誕生

    築地市場が開場したのは、1935(昭和10)年のことだ。

    もともと東京の魚河岸は、江戸時代から日本橋にあった。しかし関東大震災で焼失。復興事業として、海軍技術研究所などの跡地に建てられたのが築地市場だ。

    「鉄道輸送のためにつくられた市場なんです」。築地市場の設備課長を務める吉田順一さんはBuzzFeed Newsにそう語った。

    たしかに上から見渡すと、大きなターミナル駅のように見える。

    市場の開場と同時に開業した「東京市場駅」。大量の品物を積んだ貨車が出入りしていたが、戦後は自動車輸送が主流となり、1984年に廃止された。

    名残はいまだに残っている。ホーム部分は健在で、いまでも工事のために道路を掘り返すと、レールが見つかるという。

    いくつもの「絆創膏」

    開場以来81年、使われ続けている多くの施設。それぞれにガタが来ている。

    都の市場事務所が置かれる本館や、魚の卸売り場の一部は、開場当時から残るいちばん古い建物だ。戦後、昭和30年代後半につくられた部分も含め、老朽化が激しい。

    雨漏りは日常茶飯事だ。「ターレー」と呼ばれる運搬車が走り回る通路にも、長年の磨耗により、大小様々なくぼみができている。

    耐震性を不安視する声は大きい。東日本大震災では、本館の壁にひびが入るなどの被害があった。

    しかし、市場が稼働している限り、屋根を付け替えたり、耐震性を高めたりする工事はできない。応急処置を繰り返し、年間1.5億円ほどかかるという。

    「何度も補修をしていますが、追いついていません。築地で働く人は、いくつもの絆創膏を貼っている建物の中にいるようなものです」

    「『築地は持ちますか』と質問されれば、現場で働く身からすると、『非常に厳しい』と答えるしかありません」

    渋滞、そしてベンゼン

    建物の問題だけではない。場内の狭さや衛生面を問題視する指摘もある。

    先述の通り、鉄道輸送を念頭につくられた施設だ。自動車輸送には適していない。市場がいちばん忙しくなる朝方には、トラックやターレー、オートバイなどが激しく行き来し、渋滞が起きてしまう。

    また、作業スペースも足りなくなっている。半屋外で魚をさばいたり、荷物を屋外に置かざるを得なかったりする状況が長年続いている。その真横ではトラックがアイドリングをしているにもかかわらず、だ。

    環境基準は満たしているが、8月半ばに都が調べた空気中のベンゼン濃度は、築地市場の方が豊洲市場よりも高い。排気ガスが内部に入り込むからだ。

    このままでは商品の品質や鮮度保持にマイナスだし、作業効率だって落ちる。副場長の村上章さんは言う。

    「輸送コストや時間のロスは大きいですね。また、豊洲のように閉鎖型のコールドチェーンではないため、温度や衛生管理などの面でも、時代の要請にはあっていません」

    穴だらけの通路に、交通ルールはない

    BuzzFeed Newsは許可を経て、市場内を取材した。ある仲卸業者の男性が、ターレーの荷台に乗せて、記者を案内してくれた。

    走りはじめると、「ガタガタ」と、手に大きな振動が伝わってくる。思わず小さな叫び声を上げてしまうほどだ。

    「すごいだろ、この振動」と男性は言うが、その声も聞こえづらい。

    通路の床には、ところどころに穴が空いた場所もあった。そこを通れば、車体が大きく揺れる。手すりを力強く握っておかなければ振り落とされそうだ。乗っている間、風景を楽しんでいる余裕はない。

    ターレー同士がすれ違うとき、一方が止まらなければ、前に進むことができないこともある。「ありがとうよ」。威勢の良いそんな譲り合いが、お決まりだ。

    狭い通路に多くのターレーや人、オートバイなどがひしめく。公道のような交通ルールがあるわけではなく、事故も多い。

    都によると、市場には約2100台のターレ、約450台のフォークリフトが登録されている(2014年度)。その年には414件の交通事故が起き、うち152件が人身事故だった。

    通路に所狭しと積み上がる魚たちを横目に見ながら進むと、男性の店に着いた。古びた白熱電球が、木造の店を優しく照らす。店先に敷かれた石畳は、開場当時からのものだ。

    「ここの風景もいいもんだよ。でもさすがに、もう限界だよ」

    再びターレーに乗り込むと、男性にこう尋ねられた。

    「このでこぼこ、慣れてきた?」

    少しは、と答えると、こんな言葉が返ってきた。

    「ここで何年も働いてると、慣れちまうんだよ。狭さだって衛生面だって、全部な」

    混迷する市場のゆくえ

    このような一連の問題は、いまになって顕在化してきたわけではない。昭和60年代から指摘されていたことだ。以来、築地の再整備や移転にまつわる問題は、常に都の大きな課題となっていた。

    混迷を抜け出し、ようやく決まったのが、豊洲への移転だった。しかし、「安全性の確認」を公約に掲げた小池百合子都知事の誕生によって、移転には一旦ストップがかかった。

    事前の計画にあった「盛り土」がなされていなかったことがわかり、改めて安全性の確認をすることになった。

    11月18日の定例会見で、小池知事は、築地市場の豊洲移転が最速でも2017年の冬以降になることを明らかにした。本来なら今年11月7日に開場していたはずの豊洲市場。使っていない間にも、1日あたり500万円のコストがかかる。

    築地市場をそのまま使うという選択肢も、まだ残っているという。

    建物の安全性や環境面の問題が指摘されていたから、移転が決まった。築地市場をそのまま使う場合、築地市場の安全確認はどのようになされるのだろうか。

    仲卸業者などでつくる「築地市場協会」の伊藤裕康会長は11月14日、都に対し要望書を提出した。豊洲市場の安全性の早期確認や移転期日の早期決定を求めた文書の最後には、こんな言葉がある。

    「いま私共は、東京都の何を信じ、何処と話をし、何を頼ればよいのかわからない状態におかれております」