江戸時代の恩返し 小田原城が熊本城に寄付200万円

    城から城へ。

    地震で大きな被害を受けた熊本城を助けようと、小田原城が立ち上がった。城内で集まった募金などを熊本城修復のために、寄付するという。

    「熊本城のああいう姿をみて、同じように城を持つ小田原としても、何かしないといけないと思いました」と小田原市観光課の府川一彦さんはBuzzFeed Newsに経緯を話す。

    思わぬ支援を受けた大西一史・熊本市長はツイッターで「お城からお城への支援は歴史的です。私も落ち着いたら小田原城にお礼に行きたいと思います」とつぶやいた。

    歴史的な支援

    熊本地震で大きな被害を受けた熊本城。被害額は数百億円にのぼり、復興には20年かかるという見方もある

    この惨状に、小田原市は動いた。「リニューアルしたばかりの小田原城とは対照的に、瓦も落ち、櫓も崩れてしまった熊本城の姿は悲惨でした。できることはないかと課内で話し合いをし、入場料の寄付と募金箱の設置を決めたんです」(市観光課・府川さん)

    加藤憲一・小田原市長は18日、小田原城内で集めた約200万円の寄付金を大西・熊本市長に手渡した。城がリニューアルオープンした5月1日の入場料約245万円も、市議会の承認を受けてから寄付される

    江戸時代の恩返し

    小田原と熊本の関係の始まりは、江戸時代にまでさかのぼる。

    1633(寛永10)年の「寛永小田原地震」。マグニチュード7級の地震により建物が複数倒壊し、約150人が死亡。小田原城にも被害が出た。

    市学芸員の佐々木健策さんによると、当時の小田原藩主・稲葉正勝熊本藩主・細川忠利はとても仲が良かったという。ともに明智光秀の姻戚で、稲葉が熊本城を訪れたこともあるほどだ。

    地震を知った忠利はすぐに手紙を、江戸にいた忠利の父忠興も見舞いの使者を送った。稲葉は礼状を返したという。だからこそ、今回の寄付はまさに、「400年前の恩返し」とも言える。

    #くまモンあのね 東京出張中に小田原城に行ったら、熊本城災害復旧支援の募金箱があって、応援してくださってる気持ちに泣きそうだったよ。5月1日の入館料も熊本城に寄附されているし、ありがたいね。がまだすばい熊本城!がまだすばい熊本!

    あこがれの城のために

    BuzzFeed Newsの取材に、佐々木さんは「細川さんは親子ともども小田原のことを心配していたんです。1600年代から続く、とても深い縁ですよね」と感慨深げに語る。

    城に詳しい佐々木さんにとって、熊本城は「まだ行ったことのない、あこがれの城」だ。特に「武者返し」と呼ばれる石垣が良いのだそう。

    その石垣も、今回の地震で大きな被害を受けた。「残念です。文化財にかかわる仕事をしている身として、人的支援などで役に立ちたいと思っています。1日でも早く熊本城が復興するために、自分ができることを模索したいですね

    「胸が熱くなる」

    城と城をつなぐ歴史の縁。ツイッター上には、「素敵だ」「すばらしい」「泣ける」。心を震わせる人たちの声が溢れる。熊本県人からの感謝の声も相次いだ。

    遠い神奈川の地での皆さんの思いに胸が熱くなる

    熊本城の復興、私たち熊本県民も勿論頑張ります!そしていつか小田原城にも行きたいです

    小田原城内での募金は今年度いっぱい続く。「城の外でも寄付をしたい」という市民の声もあり、観光課では設置場所を増やすことも検討している。

    400年ぶりの「恩返し」はまだ終わらない。