日本の最高峰・富士山(標高3776メートル)。79歳になった親父は「頂上まで登ってみたい」と願った。
だから、息子は親父の荷物を背負い、体を支えながら頂きを目指した。すべては親父の夢を叶えるため。
親父は高山病に苦しみながらも、日本のてっぺんにたどり着いた。そこには、彼が見たことはない絶景が広がっていた。
80歳までに登頂したかった
初登頂に成功したのは、広島県福山市の守屋常夫さん(79)。2017年7月23日、ツアー旅行で初めての富士山登頂に挑んだ。
中腹の5合目にはこれまで何度か車で行ったが、先に進んだことがない。だから、頂上からどんな景色が見られるのか、80歳までに自分の目で確かめたかった。
この日の出発は、同じ5合目から。
常夫さんは、現役でハーフマラソンを走る。ツアー参加者の中で最高齢だったが、体力には自信があった。ところが、登山に慣れていない。
東京で暮らす息子の浩一さん(51)は、出発地点でこっそり待ち伏せした。BuzzFeed Newsにこう話す。
「ツアーとはいえ、親父のことが心配でした。79歳で、富士山に登るのは初めてなんですよ」
浩一さんが「おう!」と呼びかけると、常夫さんは驚くと同時に微笑んだ。
「親父は、やる気満々でしたよ。自分で予約して、強い思いがあって来てるんだもん。さらに、息子が待ってるから喜んでましたよ」
登山は装備が重要だ。持ってきていないだろう、と予想して、ライトや携帯酸素、携帯食など必要最低限のものを用意していた。
浩一さんは荷物を選別し、常夫さんを見送って東京に帰った。
「一緒に登っても良かったんだけど、そこまでする必要はないな、と。すごく良いガイドが付いてましたしね」
この時、夢は叶わなかった
しかし、常夫さんから後日、送られてきたメールを読むと、おかしく感じた。
富士山登山は良かったよ。七合目でも日の出は本当美しかった!
浩一さんは振り返る。
「結局この時、親父は頂上まで登れなかったんですよ」
「ご来光を見るために頂上までアタックする時は、深夜だから真っ暗でしょ。親父は耳が悪いから、高山病とか体調不良の人と一緒に『山小屋で待っててください』と山岳ガイドから断られてしまったらしいです」
メールには「楽しい旅でした」とあったが、悔しさが手に取るようにわかった。体調は良く、体力に自信があったからこそ、なおさらだった。
「悔しかったんだろうね。またチャレンジしたい、と話していました。でも、79歳ですよ。いつやるんだよって思って」
だから、常夫さんの無念を晴らすため、浩一さんは父を頂上まで連れて行こう、と決心した。
常夫さんは遠慮しがちな性格だ。再挑戦に誘うと、最初は「もういいわ。迷惑になるから」と嫌がっていた。
浩一さんは「もう日程を決めて、会社の休みを取ったから行くで」と嘘をつき、説得した。すると「じゃあ行こうかな」と返ってきた。
18歳から一緒に暮らしていない。会うのも年に1、2回。人生初の親子2人での旅行が決まった。
そして、約1ヵ月後の8月25日。再び5合目からスタートした。
最初は順調。しかし突然の異変
順調に登り始めた2人。6合目になると、浩一さんは、常夫さんのバックパックも背負った。
7合目までは、通常より40分ほど早いペースだった。
ところがその後、常夫さんを高山病が襲った。それまで会話を楽しんでいたが、8合目になると黙り込んだ。弱音を吐かないタイプなのに「腰が痛い」とも訴えた。
休む回数が自ずと増える。中腰になれるよう石に座らせ、携帯酸素を吸わせる。浩一さんは言う。
「一回失敗こいてる分、やっぱり心がハイだったんですよ。ペースが早すぎたせいで、大失敗したと思いました」
登頂を諦めかけた
なんとか標高3600メートルの9合目に着いた。頂上はもう目の前だ。
だが、常夫さんは限界を迎えていた。浩一さんは、その日に泊まる山小屋がある8合目まで引き返すか悩んだ。
苦しそうな常夫さんがその時、言った。「絶対に頂上まで登りたい」。
その言葉を聞き、浩一さんは先に進むことを選んだ。
浩一さんも辛かった。2つのバックパックの重さは、計約30キロ。着替えのほか、万が一に備えて大量の飲料水や携帯食などが入っていた。
登山が趣味で、重さ自体は苦ではなかったというが、常夫さんの手を握りながら登ったり、引っ張りあげたりするのがしんどかった。
常夫さんの体を懸命に支えながら、騙し騙し歩を進める。「あと少しやで!」「頑張ろう!」。自然と、常夫さんを励ます言葉が出ていた。
頂上を見上げると、笑顔で手を振る若い男女4人組がいた。「あれは嬉しかった。力が出ました」と常夫さん。
そして、やっとの思いで山頂にたどり着いた
親子2人で成し遂げた登頂だった。
ちょうど夕暮れ時。麓を見下ろすと、くっきりと「影富士」が見えた。夕日によってできた、日本一大きな影が徐々に伸びていく。
まさに絶景だった。2人を頂上で待っていた若者たちと一緒に喜びを分かち合った。常夫さんは、その時言った。
「嬉しい。冥土の土産になる」
親子2人の思い
頂上から8合目にある山小屋まで戻ると、常夫さんは倒れ込んだ。
そこは、かつて皇太子さまが宿泊されたところ。浩一さんからのプレゼントだった。疲れ切った父親の靴をそっと脱がす。
「親孝行ですね」と記者が話すと、浩一さんは照れ臭そうに言った。
「そう言ってもらえると、そうだったんですかね。しんどかったけど、親父の夢が叶えられて、一緒に登頂できて嬉しかったですよ」
「あの時、親父が最高の笑顔を見せてくれました。疲れが全部吹っ飛びました」
登頂時間が遅く、70歳以上(数え年)の登頂者の特権である「高齢登拝者名簿」への記帳はできなかった。山頂にある郵便局から手紙を送ることも叶わなかった。
しかし、確かに日本のてっぺんから絶景を見た。
常夫さんは当時の思いをこのように語った。
「山頂の素晴らしい景色が、いつまでも変わらないでほしいと思いました。若い人たちにも会えて、楽しかったです。一文字ではないですが、気持ちを表すとしたら『嬉しい』です」