back to top

「本物のヒップホップを守ってくれ」日本初のMCバトルが20年の歴史に幕

発起人のCRAZY-A氏に、MCバトルはじまりのきっかけ、そして次世代へのメッセージを聞いた。

今では「フリースタイルダンジョン」や「高校生RAP選手権」などの影響で、日本でも定着してきたMCバトル。

ここでは、日本で初めて大規模なMCバトルをはじめた「BBOY PARK」の歴史と当日のようすを振り返る。

そもそも「BBOY」とはなんなのか?

三歩一 / BBP TOKYO 提供

基本的なことかもしれないが、BBOYとはどのような人たちを指すのか。

「BBOY PARK」の発起人であるCRAZY-A氏に聞いてみた。

「レコードの歌の入ってない部分をブレイクビーツっていうんです。そのブレイクビーツで踊る少年ということでBBOYだったんですよ」

「最初はダンスだったかもしれないけど、ラッパーでも、ブレイクビーツで何かを爆発、自分をブレイクする人であればBBOYだと思います」

CRAZY-A氏によれば、最初はブレイクダンサーを指す言葉だったが、時代の流れとともにブレイクビーツでラップをしたり、DJをしたり、グラフィティをやったりする若者が現れた。

そんな少年たちのことを総称してBBOYと呼ぶようになったという。

1997年に代々木公園で開催

三歩一 / BBP TOKYO 提供

「BBOY PARK」は、1997年に「TOKYO B-BOY'S Anniversary」の名ではじまった。年に1回、ダンサーやラッパー、DJたちが代々木公園に集結するヒップホップパーティだ。

名前の由来は、CRAZY-A氏が所属するブレイクダンスチーム・TOKYO B-BOY'Sからきている。

当時、活動の場となっていた原宿の歩行者天国(ホコ天)が、1996年に一時使用中止になったこと。TOKYO B-BOY'Sが結成15周年を迎えたことがきっかけだった。CRAZY-A氏が35歳のときである。

開催当初はブレイクダンスが中心だったが、友人のRHYMESTER(ライムスター)がライブをしたり、ラップを取り入れた楽曲が流行ったりと、時代の流れと共に自然とラッパーが中心のパーティへと変化していった。

日本語ラップを本当のヒップホップとして認めてなかった

三歩一 / BBP TOKYO 提供

「BBOY PARK」に名を変えたのは1998年。

翌1999年、日本で初となる大規模なMCバトルの大会が、「BBOY PARK」内で行われるようになった。

何もかもが手探りで、試験的に開催した大会。MCバトル開催のきっかけについて、CRAZY-A氏は語る。

「何でMCバトルが必要だったかというと、結局、ヒップホップがはやっていくにつれて、偽物もでてくるわけですよ。だから、『フリースタイルができなきゃ、ヒップホップはMCとしては認められないよ』、というところまで持っていきたかった。日本語ラップは本当のヒップホップとして認めてなかったんですよ」

CRAZY-A氏は、当時、ラップを取り入れた楽曲がヒップホップの一部かのように広がりつつあった現状に危機感を持っていた。

即興で踊り、海外のダンサーとも互角に渡り合っていたブレイクダンスのように、ラップにおいても即興性が重要だと考えていた。

即興でラップバトルができてこそ、本物のヒップホップである

三歩一 / BBP TOKYO 提供

「俺の世代はね、日本語でラップするっていうのは恥ずかしいっていうのが若干あったんですよ。けど、その頃ね、KREVAとか、恥ずかしげもなく日本語で即興でラップする新しい若い世代が出てきたんですよ。突出してうまかったのはKREVAだったんだけど、そろそろ(大会を)できるんじゃないかなぁということで、ZEEBRAに相談してはじめたんですよ」

こうして「BBOY PARK」では、毎年の目玉企画としてMCバトルの大会が開かれるようになった(審査トラブルなどの影響で開催されなかった年もある)。

歴代優勝者には、初開催の1999年から2001年までの3連覇を成し遂げたKREVA氏をはじめ、漢 a.k.a. GAMI氏、般若氏など、今でも現役で活躍するラッパーたちが名を連ねている。

最後の決勝戦は漢 a.k.a. GAMI vs スナフキン

Yuya Yoshida / BuzzFeed

その「BBOY PARK」最後のMCバトルの大会が、8月6日に渋谷Harlemであった。

つい最近まで、ヒップホップレーベル・9sari GROUPに所属していたDARTHREIDER氏を中心に、9sari GROUPが監修、コミッショナーをSIMON JAP氏が引き受け、会場は大盛況のうちに終えた。

優勝は、CRAZY-A氏と同じブレイクダンスをやっており、2003年にも優勝している埼玉県出身のラッパー・スナフキン氏。準優勝は、2002年の優勝者である漢 a.k.a. GAMI氏だった。

最近のMCバトルのルールとは異なり、常にビートが流れ続け、先攻は先に歌い出したラッパー。小節を自由に調整してラップするという、BBOYバトル(ダンスバトル)に近いルールを採用した。

優勝したスナフキン氏は、バトルを振り返り、全体の雰囲気をこう語る。

「空気がすげぇよかったっすね。ちょっと音楽的な、ダンス的な要素が強かったっすね。やっぱりラップなんですけど、楽器なんで。そこは超感じました。もっと(他の大会は)ディス多いですもんね。そういうラッパーは今日は勝てなかったと思います」

息を呑むような緊張感漂う雰囲気ではなく、見ている方も自然と体を揺らし、リラックスしながら楽しめるようなバトルが展開された。

不思議とピリピリとした空気感はなく、まさに公園に集まり、ヒップホップカルチャーで遊んで楽しむという、「BBOY PARK」の魅力を体現するかのような空気感だった。

とはいえ、出場していたのは歴代の優勝者や予選を勝ち上がった凄腕のラッパーたち。いずれも激戦だった。

この様子は、AbemaTVで放送予定。

「本物のヒップホップを守ってくれたらなって」

Yuya Yoshida / BuzzFeed

すべてのバトル終了後、CRAZY-A氏がステージに上がり、会場に集まったヘッズに向けて、「BBOY PARK」、そしてヒップホップに対するメッセージを送った。

「今日というこの日が来たのは俺はうれしくて。俺はもう55でダンスもそんなにできないしね」

「これからね、『BBOY PARK』を見てきて育ってくれた次の世代の子たちが日本のヒップホップを、本物のヒップホップを守ってくれたらなって思ってます。今日までやってこれて、本当によかった。みんなありがとう!」

こうして、「BBOY PARK」最後のMCバトルは、ピースフルな雰囲気に包まれながら幕を閉じた。

MCバトル以外、本当に最後となる「BBOY PARK」は、8月18〜20日の3日間に渡って、東京・代々木公園で無料開催される。

19日と20日は、ここ数年なかった、ステージを使用してのヒップホップらしいパフォーマンスが予定されているという。

「BBOY PARK」は、CRAZY-A氏がニューヨークのブロンクスで見た光景がヒントになっている。

黒人の少年たちが公園に集まり、大人抜きで、少年たちだけでヒップホップカルチャーを楽しむ。

そして、そんなBBOYである少年は、20歳で卒業して、大人になる。

CRAZY-A氏は、そういう意味を込めて、20年目となる今年で最後にすることを決めた。

新しい世代のBBOYに、ヒップホップカルチャーを託して。

Every. Tasty. Video. EVER. The new Tasty app is here!

Dismiss