菅義偉新総裁、どんな人?好きな食べ物は?一番好きな武将は? 13のポイント
自由民主党の第26代総裁に選出された菅義偉氏。新しい日本の総理大臣はどのような人物なのか。
9月14日に行われた自民党総裁選。菅義偉氏が自由民主党の第26代総裁に選出された。
特定の派閥に所属せず、かつ世襲議員ではない総裁の誕生は、自民党の歴史で初めてだ。
さらに秋田県出身としても、法政大学の出身者としても、初の総裁となる。
菅氏は15日には党役員人事を行い、16日に招集される臨時国会で第99代首相に選出され、新内閣を発足させることになる。
新しい総理大臣となる菅氏とは、どんな人物なのか。
1. 秋田のいちご農家の生まれ

1948年、秋田県の生まれ。実家はいちご農家。高校卒業後に上京し、数ヶ月の工場勤務を経て、大学進学を志した。
大学進学のための資金は、アルバイトをして貯めた。そのため2年遅れで大学進学している。
法政大学法学部を卒業後は建電設備株式会社への就職を経て、1975年から衆議院議員(当時)の小此木彦三郎氏(自民、旧神奈川1区選出。1991年没)の秘書を務めた。
1987年に横浜市会議員選挙に立候補し、2期務めた。
さらに1996年に衆議院議員選挙に神奈川2区から立候補し、初当選を果たした。以降は8期連続で当選している。
なお、小選挙区制となって初の衆院選となった96年の選挙では、かつて小此木氏が地盤とした旧神奈川1区が、新2区と新3区に分割された。2区には菅氏が、3区には小此木氏の三男・八郎氏が立候補し、地盤を分け合うこととなった。
小此木八郎氏は、今回の自民党総裁選で菅氏陣営の選対本部長となった。
2. 昼食時間は5分程度
NHKによると、菅氏は朝5時に起床し、主要な新聞全てに目を通す。また、毎日40分のウォーキングと腹筋100回を欠かさず行うという。
その後、ホテルで朝食をとり、官邸に入る。
11時からは午前の官房長官定例記者会見。
12時からの昼食では、ほどんど毎日そばを食べるという。昼食時間は5分程度だ。
16時からは午後の官房長官定例記者会見。
夜は政界関係者などと夕食をとって懇談し、23時には就寝する。
3. 令和おじさん

2019年4月1日、新元号を発表した際には「令和おじさん」として知名度が急上昇。
こうした流れを受け、定例記者会見(2019年5月16日)では、「やっぱり知名度が上がってきたのかなと思う」とコメントしている。
4. 大の甘党、パンケーキ好き
本日、菅義偉長官が食したスイーツはパンケーキ!キタ――(゚∀゚)――⁉︎
菅氏はお酒は飲めず、大の甘党。中でもパンケーキが特に好きだという。
「甘いものに目がないんです。自宅に近い、横浜の『bills』には妻と行列に並んだこともあります」(週刊文春WOMAN 2019年夏号)
2019年10月19日放送の「出没!アド街ック天国」で東京・赤坂見附が特集された際、ホテルニューオータニのレストラン「SATSUKI」の常連客として菅氏が紹介された。
ホテルニューオータニのパンケーキについては、過去のインタビューの中で以下のように語っている。
「ここに来るとほっとするんですかね。1、2ヶ月に1回。番記者の懇談会もここでやることが多いんですよ。私の番記者は今、女性がいないから、全員男でパンケーキ(笑)」(週刊文春WOMAN 2019年夏号)
しかし、このパンケーキは値段が3000円超ということもあり、一部では批判が集まった。
5. 「たたき上げ」をアピール

自民党総裁選の所見発表演説会(9月8日)で、菅氏は以下のように自身の生い立ちを強調。たたき上げの政治家であることをアピールしている。
「私の原点について少しだけお話をさせていただきたいと思います。雪深い秋田の農家の長男として生まれ、地元で高校まで卒業いたしました。卒業後、すぐに農家を継ぐことに抵抗を感じ、就職のために東京に出てきました。町工場で働き始めましたが、すぐに厳しい現実に直面をし、紆余曲折を経て2年遅れで法政大学に進みました」
「いったんは民間企業に就職しましたが、世の中がおぼろげに見え始めたころに、もしかしたらこの国を動かしてるのは政治ではないか、そうした思いに至り、縁があって、横浜選出の国会議員、小此木彦三郎先生の事務所に秘書としてたどり着きました。26歳のときです」
その上で、自身が総理大臣を目指すことの意義を以下のように語った。
「まさに地縁、血縁のないゼロからのスタートでありました。時を置いて、今私はここで自民党の総裁選挙に立候補し、皆さんを前に所見の演説をさせていただいております。五十数年前、上京した際に、今日の自分の姿とはまったく想像することもできませんでした。私のような普通の人間でも努力をすれば総理大臣を目指すことができる。まさにこれが日本の民主主義じゃないでしょうか」
しかし、「たたき上げ」を強調することについては、批判の声も上がっている。
菅氏の父親は戦後、いちごの新品種を開発し、地元の生産組合の組合長を務め、さらに雄勝町(現在の湯沢市)の町会議員となった地元の名士だった。
母は教員。2人の姉も大学を出て教員になっている。
菅氏は国会議員としては世襲ではなく、選挙区の地盤のない中で政治家としての頭角を現したことは事実で、近年の自民党では珍しい存在と言える。
だが、父親も地方政治家であり、一部で広がる「貧しい農家の生まれで苦労を重ねながら政治の道を進んだ」というイメージは必ずしも正確とは言えない。
6. 豊臣秀長が一番好きと公言していたが…

第二次安倍政権では7年8ヶ月の間、常に安倍首相を官房長官として支え、「影の総理」と呼ぶ声も。官房長官の在任期間は歴代1位だ。
菅氏の愛読書は『豊臣秀長 ある補佐役の生涯』(堺屋太一)。過去のインタビューでも豊臣秀吉の弟・秀長が一番好きな武将だと明かしていた。
「豊臣秀長は一番好きな武将です。秀吉の弟ですが、自分は表に出ずに物事が前に進むように段取りする。ものすごく気配りができて全体を見ている人ですね。やはり全体を見られる人がいなきゃ駄目です」(週刊文春WOMAN 2019年夏号)
しかし、その心境に変化が訪れ、狙いを天下統一を果たした秀吉に定めた。9月10日、地方の自民党員とのオンライン会合で「今は秀吉を目指している」という発言を秋田魁日報が報じている。
「豊臣秀吉になりたいと思ったが、今は秀吉を目指している。途中から、そうなってしまいました」
7. 政治家としての師は…

政治面で師と仰ぐのが、故・梶山静六元官房長官(1926−2000)だ。
梶山氏は菅氏に対し、「官僚は説明の天才であるから、政治家はすぐに丸め込まれる」と常々言っていたという。
この教えを胸に、菅氏は「判断力を身につけるよう心掛けてきた」。
自著の「おわりに」では初当選時、梶山氏から贈られた叱咤激励が記されている。
《国民からは政治に対する厳しい批判も出てくるだろう。だからといって問題解決を先送りしていたら、この国はつぶれてしまう。これからの政治家には覚悟が必要だ。頑張れ。》
菅氏はかつて、平成研究会(当時の竹下派)に所属した。しかし、1998年の総裁選で、平成研を飛び出して立候補した梶山氏を支えるため、退会した。
2000年に宏池会(現岸田派)に入ったが、2009年に離脱。その後は「無派閥」を貫いている。
8. 自助を前提とした社会を目指す?

「私の目指す社会像というのは、自助、共助、公助そして絆であります。まずは自分でできることは自分でやってみる。そして、地域や家族でお互いに助け合う。その上に立って、政府がセーフティーネットでお守りをする」
新総裁に選出された直後、壇上に上がった菅氏はこのように自身が目指す社会像を改めて説明した。
総裁選期間中、NHKの「ニュースウォッチ9」に出演した際にも「自助・共助・公助。この国づくりを行っていきたいと思います」と同様の発言をした。
自著『政治家の覚悟 官僚を動かせ』の中では、この自助を重んじる考え方について以下のように記している。
《自分のことは自分でする、それが難しいものについて隣近所や会社などで支え合うのが「共助」です。そして、最後に国が責任をもって支えるのが「公助」という順番です。》
《いたずらに給付を拡大しては、国民の自立心は薄れ、国への依存心ばかり大きくなってしまいます。》
《日本社会のすばらしさは、日本人の自立心であり、助け合いの精神にあります。》
「自助」をまず第一に掲げることについて、立憲民主党の枝野幸男代表は「政治家が自助と言ってはいけない。責任放棄だ」と批判している。
9. 「私は戦後生まれなので沖縄の歴史はなかなか分からない」

沖縄の基地問題について、沖縄県内では反対意見が盛り上がりを見せる中で、安倍政権下で辺野古の埋め立て工事が始まった。
菅氏は官房長官会見で工事について「粛々」という言葉を使い続けてきた。
2015年、政府と沖縄県は一度工事を止めた上で1ヶ月間協議を重ねた。しかし、両者の溝は埋まることはなく、翁長雄志知事(当時)が辺野古承認の取り消しを表明。国と県の間で訴訟となったが、その後、和解が成立している。
翁長知事は菅氏とどのようなやりとりがあったのかを語る中で、「私は戦後生まれなので沖縄の歴史はなかなか分からないが、19年前の日米合同会議の辺野古が唯一というのが私の全てです」と菅氏が語ったと言及。
「私が言葉を尽くしても、聞く耳を持たないのか、本当にそういう感受性がないのか」とした上で、「ご理解がいただけない」と感じたとした。
この菅氏の発言について歴史学者らは「沖縄の歴史への認識が不足している」と声明を発表し、抗議した。
10. 「議事録は最も基本的な資料です」

《千年に一度という大災害に対して政府がどう考え、いかに対応したかを検証し、政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。
その作成を怠ったことは国民への配信行為であり、歴史的な危機に対処していることへの民主党政権の意識の薄さ、国家を運営しているという責任感のなさが如実に現れています。》
菅氏は自著で、公文書管理について、このように私見を述べている。
しかし、安倍政権下では公文書をめぐる改ざんや隠蔽、破棄の問題が相次ぎ、「記録にない」「記憶にない」という答弁が繰り返された。
新政権は、公文書をどう取り扱うのか。
11. 「握りつぶしてやるから」

横浜市会議員だった菅氏が初めて国政選挙に望んだ1996年。当時の新進党から立候補した創価学会の組織内候補の現職に挑んだ様子を取材していた朝日新聞記者は、菅氏の「鬼気迫る表情」を目にしたという。
菅陣営はこの時、対立候補の集会にスパイを送り込み、動向を観察していたという。
主婦が多い、サラリーマンが多いといった集会の様子から、どのような質問が上がりどのような答えを述べたのかまで、菅氏には細かく報告が挙げられていた。
菅氏はその様子が記されたメモを手に「全部わかっているんだよ、俺は」とメモを握りつぶし、「握りつぶしてやるから」と語った、と記者は振り返っている。
12. 政権に反対する幹部は「異動してもらう」
2014年5月に内閣官房に新設された内閣人事局について、菅氏は見直すべき点はないと明言した。
官僚の幹部人事を握る内閣人事局の存在は官僚の忖度につながるという指摘がある中で、政権の決めた方向性に反対する幹部には「異動してもらう」と発言した。
《人事権は大臣に与えられた大きな権限です。どういう人物をどういう役職に就けるか。人事によって、大臣の考えや目指す方針が組織の内外にメッセージとして伝わります。》
《改革を実行するためには、更迭も辞さない。》
菅氏は自著の中で、人事権の掌握こそ重要であるとの見解を示している。
「ニコニコ動画」主催の自民党総裁選候補者による討論会で、菅氏は「ものすごく怖いと、特に官僚に思われている」とコメント。その上で、「まじめに仕事をやってくれる人には、こんなに優しい官房長官はいない」と述べた。
13. 「新政権は暫定ではない」

菅氏は「安倍政権の継承」を掲げている。
共同通信のインタビューに対し、菅氏はこの方針について、「安倍晋三首相と7年8カ月間、一緒に仕事をしてきたので、ある意味当然だ」と話している。
安倍政権のもと実現することができなかった憲法改正については、「改憲は自民党の立党精神であり、党是だ」とした上で、「70年前からこれだけ時代が変わっており、改正するのは当然だろう」と断言した。
菅氏の任期は安倍首相の任期の残り、2021年9月までだ。
今回発足する政権は暫定的なものとの見方もある中、菅氏は「新政権は暫定ではない。自信を持って堂々と務めるべきで、それが国民への責務だ」と語っている。