就職・結婚・出産…夢や人間関係すらあきらめた。『パラサイト 半地下の家族』が描いた、ある世代の深すぎる絶望

    『パラサイト 半地下の家族』でポン・ジュノ監督、主演のソン・ガンホが伝えたかったメッセージとは。

    フランスのカンヌ映画祭で最高賞のパルムドール、ゴールデングローブ賞では外国語映画賞を受賞した『パラサイト 半地下の家族』。

    外国語映画でありながらアメリカで異例のヒットとなっており、アカデミー賞最有力作品との呼び声も高い。

    日本では12月27日から全国公開を前に先行上映がスタート、劇場は公開を待ちわびていた人で溢れた。

    話題作に込められたメッセージを、ポン・ジュノ監督とソン・ガンホに聞いた。

    就職することが困難な社会で

    「半地下」と呼ばれる居住スペースに暮らす全員失業中の4人家族。この家でもっとも高い場所にあるのはトイレだ。Wi-Fiの契約はない。必死に他人のWi-Fiの電波をキャッチしようとスマホを高く掲げるシーンから、映画は幕を開ける。

    キム一家の長男・ギウは4度大学受験に失敗し、再びチャレンジするべく勉強を続けている。妹のギジョンも貧しさゆえに予備校に通うことができず、希望していた美大への進学は叶わない。

    ギウが裕福なパク社長一家の家庭教師をはじめるところから、『パラサイト 半地下の家族』の物語は思わぬ方向へと舵を切る。

    コメディータッチで進む映画のいたるところに、散りばめられた韓国社会の今。そこからは、苛烈な格差社会が顔をのぞかせる。

    韓国は緊縮財政の末に、これまでにないレベルで仕事に就くことが困難な状況に陥っている。

    有名大学を出ても、就職できるかどうかはわからない。安定を求めて公務員試験を受ける大卒者が増加したことで、これまで公務員に就職していた高卒者の就職事情も悪化している。

    有名大学に進学するためには有名な高校に入学することが、有名な高校に進学するためには有名な中学に入学することが近道とされている。

    有名中学のある学区へ引っ越しをする家庭も少なくない。

    幼い頃からはじまっている格差社会を生き抜くための競争。レールを外れたら、もう後には戻れない。

    だが、この映画で描かれていることは決して韓国だけの問題ではないと主演のソン・ガンホは語る。「日本やアメリカ、私たちが生きている地球上すべての物語」だ、と。

    「計画を立てると人生その通りにいかない」その一言に代弁させた社会の空気

    映画の終盤、ソン・ガンホ演じる一家の大黒柱・ギテクは息子のギウに「計画を立てると人生その通りにいかない」と淡々と語る。物語の展開とあいまって、この言葉は見た人の心に重くのしかかる。

    近年、韓国では「N放世代」という言葉が生まれている。恋愛、結婚、出産を諦める「三放世代」。恋愛、結婚、出産に加えて就職とマイホームを諦める「五放世代」。そして人間関係と夢すらあきらめる「七放世代」。

    時が経つほど、人々が手放すものも増えてきた。計画したとしても、思い通りにはいかない。何かを望んだところで裏切られ、失望するだけ。

    そんな社会の中で、ギテクは人生を生きていく上で計画を立てることすら手放すことを息子に諭す。

    「社会というのは希望や野望や人生の計画があったとしても思い通りにはならない。思い通りにならないのが社会だと思う」と前置きした上で、ソン・ガンホはこのセリフについて「映画の中で最も"現実的"なセリフだ」と説明する。

    「このセリフは映画の中では最も大切なセリフです。まさに今の社会の空気を代弁しています」

    ポン監督が書き上げた脚本には当初、このセリフは存在していなかった。だが、ギテクならばこんな言葉を言うのではないかと考え、撮影が差し迫った中で監督が書き加えたという。

    その背景にあるものとは何か。ポン監督が話す。

    「ギテクは序盤では締まりのないキャラクターとして描かれています。そんな彼の心の中にある井戸の深い部分、暗い部分を覗き込むようなシーンになっているのではないでしょうか」

    「あのセリフは、本来は父親として息子に言うべきことではありません。でも、彼の正直な気持ちが現れた言葉だと思っています」

    自分が感じる不安や恐怖を映画に込めて‥

    この映画の物語は、富を持つ者と貧しい者の善悪やヒーローが悪を倒すといったわかりやすいものではない。

    だが、「悪魔や悪党は出てこないのに、おぞましい事件が起きる。そのことが映画を見た人に問いを投げかけているのではないか」と監督は考えている。

    「明確に悪魔やヒーローがわかれていて、わかりやすく彼らが戦うストーリーもいい映画になりうると思いますし、それについては尊重します。でも僕の頭の中ではそれがそんな風に簡単に整理はされないんです」

    ポン監督は、あえてわかりやすい物語から距離を置いたわけでも、難しいテーマにチャレンジするほどにやりがいを感じているわけではないと強調する。

    弱者や貧しい人々の物語を描くことへの執着も否定した上で、明かされたのは「苦境に立たされた人間の姿を描くのが好きだ」という彼の創作の原点にある思いだった。

    「僕の映画の登場人物たちは自分の能力を超えた苦境に立たされ、自分の能力を超えた何かを解決していかなくてはならない。その過程でもがく彼らを見て、映画を見る人々の中には複雑な感情が生まれてくるのだと思います」

    「映画狂」であることを自負するポン監督。頭の中にはいつだって見たい映画で溢れている。

    しかし、絶えず映画を見ていると、見たいのに誰も撮ってくれない物語と出会う瞬間がある。そんな時には、「自分が見たい映画は自分で撮ると決めている」。

    「僕は今、自分の身の回りで起きていることが一体どういうことなのか、自分でもわからないことがあるんです。私たちが生きているこの時代がよくわからない。どのように解釈すべきなのかがわからないんです。わからないからこそ感じる不安や恐怖、それは誰もが抱くものではないでしょうか?」

    「自分が感じているこの世界の複雑さ、わからないからこそ感じる漠然とした思い、そこからくる恐怖、いま世界というのはどんな風に回っているんだろうかといった不安を正直に映画で表現しています」

    韓国映画の鬼才も抱えた恐怖

    12月26日の記者会見そして今回の取材の中で、ポン監督は映画のクライマックスシーンを書く上でぶつかった「恐怖」を繰り返し口にした。

    映画はクライマックスシーンで衝撃的な結末を迎える。その映画の幕引きは、ポン監督自身も「議論にならざるを得ない」と自覚している。そこには当然迷いもあった。

    「一人で孤独にシナリオを数ヶ月間書いて、終盤に到達すると、怖くなる時期がある。それは、もうじき他人に自分の書いたシナリオを見せる、世に出る直前のタイミングです」

    クライマックスシーンのシナリオを書いているとき、これで観客を説得することができるのか、そんな疑問が頭をかすめてキーボードを叩く手が止まった。

    「もうじき日の目のあたるところに出て行くタイミングになると、おびえてしまう、気が小さくなってしまう時期というのがくるんです。そのタイミングというのは、まさにクライマックスやラストのエンディングを書いている時期でもあるわけです」

    「8割、9割とストーリーが進んでいくと、自分のとることのできる選択肢の幅とは狭まってくる。物語の中ではすでにいろんなものが動き始めていて、歯車が大きく回転していますから、無責任な選択はできません」

    すでに物語の歯車は大きく回り出している。

    「果たしてギテクがとる行動は人間の合理的な行動としてありうるのか?」
    「彼はこの状況でこの行動をとるだろうか?」
    「作家がそれを観念的な考えで突き通してもいいのだろうか?」

    頭の中はそんな迷いでいっぱいだった。

    誰にも打ち明けることのできない恐怖を抱え、シナリオを締めくくるべく頭を悩ませる。そんなとき、筆を進める助けになったのが、これまでも数々の作品で一緒にタッグを組んできたソン・ガンホという一人の俳優の存在だった。

    「ソン・ガンホであれば観客を説得することができるという信頼があったからこそ、書き進めることができた。恐れを抱いて躊躇してしまいそうになったとき、彼が演じるのであれば、このシナリオでも大丈夫だと自信を与えてくれました」

    見た人の心に永遠に寄生する物語を

    「この映画が描いたのは貧富の差や、葛藤だけではない。語ろうとしたのは、『私たちはどう生きるのか?』という問いです」

    ソン・ガンホはこう説明する。

    「映画を見た後、悲しみや喜びといった感情を通じて、自分はどんな風に生きていったらいいのか、周囲の人々とどのように調和して生きていったらいいのかを考えさせられるはずです」

    「その問いへの答えは映画館を出た後、すぐに手に入るものではない。でも、大きな問いは心のどこかにひっそりと入り込んで、育っていく。長い目で見たとき、そうして少しずつ世の中が変わっていくのではないかと思います」

    見た人の心に長く止まり、永遠に寄生する物語を。監督と主演俳優はこの映画にそんな願いを託している。