超過酷な課題だからこそ、笑顔で。 彼は“不真面目“に福島を発信し続ける

    震災から8年、常に外部へ福島の情報を発信し続けた。著書『新復興論』は2018年の大佛次郎論壇賞を受賞している。そんな小松理虔さんは、なぜここまで議論を外へと開くことにこだわるのだろうか。

    とかく「福島」をめぐる議論はしかめっ面で口角泡を飛ばしてなされることが多い。しかしこの日、大きな部屋は笑顔で満たされていた。

    震災から8年、福島の情報を発信し続けてきた小松理虔さんの著書『新復興論』が大佛次郎論壇賞を受賞したことを祝う会だ。2019年3月30日、福島市いわき市で開かれた。

    小松さんは、「不真面目さ」を突破口に、どんどんと焦点が狭まっていきがちな議論を、外へと開いていくことへこだわってきた。

    だからこそ、彼がいるところ、人が集まり、笑顔が絶えない。

    小松さんは生まれも育ちもいわき市小名浜。大学卒業後は福島テレビに就職し、報道記者として勤めた。2012年から3年間は地元のかまぼこメーカーで広報を担当しており、食を取り巻く様々な風評被害にもさらされた。

    2015年にフリーのライター・編集者として独立して以降は、その活動の幅を文筆業に止めることなく広げている。

    地元・小名浜ではコーワーキングスペース「UDOK.」を運営。2013年からは魚の放射能汚染の度合いを調査するための独自の取り組み「うみラボ」を筑波大学・五十嵐泰正准教授をはじめとする仲間たちと立ち上げた。

    この市民による海洋調査活動は、今も続いている。

    震災後の福島について話を聞こうとしたとき、いまや真っ先に名前が思い浮かぶ人の一人とも評される。

    だが、彼はあくまで自分は何事においても素人であることを強調する。

    「これから、俺はますます不真面目にならないといけないんだよ」

    インタビュー冒頭、飛び出したのは意外な一言だった。

    外へ外へと開いてきたのは、大変な課題だからこそ

    「福島に関する議論は、簡単には加われない」。SNSを主戦場に繰り広げられる論争を眺めながら、そう感じてしまうときがある。

    時間が経つほどにより高度になっていく議論の中で、関心を持っていたとしても一歩踏み込むことを躊躇う人もいるのではないだろうか。

    震災後、根拠のないデマや悪意ある言葉に傷ついた人も少なくないことは十分に理解した上で、それでも「ちゃんと勉強して」「真面目に」関わることだけが是とされてしまうことに、少なくとも私は息苦しさを感じてきた。

    そんな中で、小松さんは一人ひとりが福島について関心を持ち、語ることへのハードルを下げるために言葉を発する。

    だが、なぜそこまで「外へ開く」ことを意識するのだろうか?

    《大変な課題を抱えている人たちの議論はどんどん真面目になり、専門的になり、高度になっていく傾向にある。このままだと、問題を共有している内側では議論が進んでも、外側へは広がっていかない。

    でも、福島の問題は議論を外へ開いていく必要があるはずなんだよ。

    福島がいま抱えている問題は、俺らの代では終わらない。自分の子ども、もしくは孫、もしかしたら曽孫の代まで議論が続いていくかもしれない。そうすると、福島の外の人たちを巻き込んでいかないといけない。

    いま福島では語る人、そして語り口の固定化が起きている。震災後の8年間、ここでずっと発信し続けることそのものが難しいからね。でも、このままでは遠くの人に福島のことを届けることはできない。

    内側にいる人間は「なんで外の人たちはこんなことしかわからないんだろう?」と考えがちだけど、そんなコミュニケーションを続けていたら、人は離れていくばかりでしょ》

    小松さん自身、最初から現在のような外へ開いた姿勢を貫き続けてきたわけではない。震災後しばらくは、ちょっとした一言を聞き流す余裕すらなかったと振り返る。

    《2015年に東京の大学生がいわきに遊びに来てくれた。でも、彼に「実は空間線量がものすごく心配なんです。本当に大丈夫なんですか?」と聞かれたときに愕然としてしまった。

    ここまで必死になって福島の情報を発信してきたのに、何にも伝わっていないのかと。

    その話をTwitterに投稿したら、「勉強不足だ」「それはおかしい」といった多くの賛成意見に紛れて、「なんで小松さんは、そんな放射能汚染が怖いという学生がわざわざいわきへ来てくれたということを評価できないんですか?」という言葉が届いたんだ。

    そのとき、俺はこれまでの自分のコミュニケーションを反省した。「お前はバカか。よく勉強もせずに、ここに来たな」と頭ごなしに切り捨てるのではなく、「心配なのに、よく来てくれた」「なんで来たの?」って声をかけたら、そこから会話が広がっていく。

    「お前はバカだ」「そんなのは間違っている」って言ってしまった方が気持ちはいいんだ。スッキリする。でも、これから震災を知らない世代が育ってきたときに、「お前ら震災を経験していない奴らに、俺の苦しみがわかるか?」って言ってしまったら、そこで終わってしまうんだよ》

    正義感をぶつけ衝突が生まれる。そんな状況に疲れた自分がいた

    「これは福島の問題だ。だから、福島の人間以外は語るな」と線引きをしてしまったら、その先に待ち受けているのは課題の矮小化だ、と考えている。だからこそ、外部を排除する方向へと議論が進んでいくことに疑問を呈す。

    《東北を離れれば、多くの人が「私は家族が被害を受けたわけでも、親戚が福島にいるわけではないので…」って前置きをした上で、自分の意見を言葉にするよね。でも、そういう風に被害の濃淡や当事者性の濃淡を語ってしまうと、どんどん人は関わってくれなくなってしまうんじゃないかな。

    当事者性って強いよ、実際には。でも、「どうぞ好き勝手に福島のことを語ってくださいよ」「真面目に考えるだけじゃなくて、楽しんでくれればいい」って福島で生まれ育った俺が言ってもバチは当たらないでしょ?

    語れない状況、語らない状況が続いていくと人は本当に忘れていく。だから、やっぱり暮らしの中に東北や福島、いわきを思い出すチャンネルを持ってもらうことが必要なんじゃないかな。

    思い出してもらうための回路を作るためには、「福島の人の苦しみは福島の人にしかわからない」と閉じるのではなく、広げていくことが重要なんだよ》

    《やっぱり俺自身が発信して、自分の正義感をぶつけていけばいくほど、そこに衝突が生まれる。衝突が生まれると、周りの人間って関わりにくくなるでしょ。この状況を前にして、俺も疲れてしまった。疲れるから、少しずつ、俺が楽になるにはどうしたらいいかを考えた。

    震災後、結果として俺の発信力も変に高まってしまった。周囲の期待を先取りして、ウケることを言ったりしてね…俺の意見に反発する人たちも論破したくなってしまう瞬間だってある。

    でも、一歩引いて考えてたんだ。「これを続けて一体何が残るんだろう?」って》

    外へ開いていく中で、小松さんが活路を見出したのは「不真面目さ」だ。

    自身を「専門家ではない人間のプロ」と表現する。それは、大佛論壇賞を受賞したいまも変わらない。

    震災後、数多くのデマや風評被害に苦しんできたからこそ、「議論を外に開いた結果、科学的根拠のないデマも増えてしまうのではないか」という批判が寄せられることもある。

    《賛成と反対が拮抗しているような議論って、その外側に実は膨大な無関心層がいる。当事者を増やすには、この無関心層をどう取り込んでいくかが大事でしょ。

    だから俺は専門家・当事者以外が関わることを肯定したい。そのために、「不真面目さ」を強調し続けて来たんだよね。

    俺は学者でもなければ、漁師でもなければ、水産加工業者でもない。常になんらかの専門性の外側にいたんだ。「専門家ではない人間」のプロとして、専門家では伝えられないことを伝えようとしている。

    そもそも語ることそのものを肯定しないと、当事者は増えていかない。ポジティブな意見だけを増やすことなんて無理だから、デマや嫌なことを言う奴らも一定数は出てくる。それでも、とにかく語ることのできる状況をつくっていくべきだと思う。

    いまってどんな議論もすぐに二項対立になってしまう。でも、俺はそんな風に二項対立の議論になったら、その土俵を降りてきた。その先でまた二項対立になったら、その土俵からも降りる。

    そうやっているうちに、少しずつ議論は外へ外へと開いていくと思うんだよ》

    「専門家」ではない、小松理虔だからこそ切り込める

    「専門家」ではない小松さんが『新復興論』を書いたことに、ノンフィクションライターの川内有緒さんも価値を見出す。川内さんもまた、震災後にいわき回廊美術館を立ち上げ、今も9万9千本の桜の植樹に挑戦する人々を題材にした『空をゆく巨人』を2018年に出版し、開高健賞を受賞している。

    「面倒くさいところ、人間の分断とか(原発事故による避難に伴う)補償の問題、いま原発がどうなっているのかも含めて、もし避けて通れるならば、通りたいところに小松さんは一つひとつ丁寧に切り込んで行く」

    「(小松さんが)研究者じゃないってところが良いんですよね。研究者が研究しましたではなく、自分のもがきや変わっていく過程までちゃんと描かれている」

    『新復興論』の最終章の名は「誤配なき復興」。

    誤配。

    この言葉こそ、この8年の小松さんの歩みを象徴する言葉だと言っても過言ではない。郵便配達員が届け先を間違えてしまうように、ほんのちょっとした偶然が小松さんをいまいる場所へと導いた。

    震災や復興をテーマに本を書く予定などなかった。だが、震災以降に出会った人々が福島が抱える課題への捉え方を変え、『新復興論』刊行へつながった。

    多くは成り行きであり、必ずしも小松さん自身が選び取ったものばかりではない。

    課題の解決には時間がかかる。ならば、せめて笑顔で向き合っていたい

    小松さんが福島県猪苗代市で「はじまりの美術館」の岡部兼芳館長を取材した際に出会ったのは、「震災と原発事故は怪我ではなく障害だ」という言葉だった。

    それ以来、小松さんも震災と原発事故で抱えた負の遺産を「怪我」ではなく「障害」だと捉えている。原発事故が起きてしまったという事実は変えられない。でも、その事実を抱えながらでも前に進むことはできるはずだと。

    福島第一原発の廃炉について、フレコンバッグに入った汚染土についてーー。少なくとも数十年、長ければ数百年の間考えていかなくてはいけない課題がそこにはある。どう足掻いたところで、長期戦へともつれ込むことは間違いない。

    だからこそ、そこに集う人たちが疲弊してしまわぬように、せめて楽しく笑いながら向き合っていたいと願う。

    《「不真面目さ」、さらに言えば「美味しい」とか「楽しい」とかそんな人間の根源的な欲求にフックをかけて関わってもらうのは取り組む課題が過酷だからこそだと思う。

    過酷なところで、「超過酷ですよ」なんて言ってる人に出会ったとして、誰が関わりたいと思う?課題が大変だからこそ、不真面目に取り組むんだ。

    「原発事故って大変なんでしょう?私たちは関わりたくありません」。これが、いまの福島を取り巻く本音だと思う。

    確かに大変だ。でも、大変だからこそ、不真面目さが必要なんだよ。だから俺は真面目に不真面目をやっているんだ》

    小松さんは今日も「不真面目さ」を全面に押し出しながら、人々をいわきに誘う。

    「ここに来れば、美味い肴と美味い酒にありつける」、「楽しいことがここにある」。打ち出すメッセージは、いつだってシンプルだ。