Updated on 2020年6月2日. Posted on 2020年5月26日

    健康的に生きることは正しい。でも… 「アンソーシャル ディスタンス」な男女を描いた芥川賞作家が伝えたいこと

    5月7日に発売された月刊『新潮』に掲載された小説「アン ソーシャルディスタンス」。著者・金原ひとみさんが今、問いかけたかったこととは。

    小説はこの世を生きるため、あらゆる衝撃を和らげてくれる1つの緩衝材。これまで生きてきた中で、小説を読むことで手にしたのは今を生きるための力だった。

    彼女はこう言葉にする。だから、新型コロナウイルスの影響が続く今の状況すら素材として、小説へと取り込んだ。

    「ソーシャルディスタンス」。感染拡大を防ぐために2m程度の社会的距離を保つことを推奨する、そんな言葉をテレビや新聞、インターネットで連日目にする。新型コロナの感染拡大と共に登場した言葉はすっかり、生活に定着してしまった。

    書き上げた短編小説には、そんな価値観と紐づいたタイトルを付けたかったとその作家は口にする。

    5月7日に発売された月刊『新潮』に掲載された、その小説の名は「アンソーシャル ディスタンス」。物語はある大学生のカップルに突然、新型コロナの影響が襲いかかる様子を描いたもの。大好きなバンドのライブが中止になり、彼らは心を病んでいく。

    提供写真

    金原ひとみさん

    書いたのは作家・金原ひとみだ。

    芥川賞を受賞したデビュー作『蛇にピアス』(2003年)以降、死やドラッグ、不倫など、どこか世間一般の「正しさ」とは距離を置いた人の物語を書いてきた。

    そして、今、新型コロナで命を守ること、感染防止をすることの「正しさ」が何よりも大きくなっている社会に静かに問いかける。その「正しさ」からこぼれ落ちてしまう人々の切実さは見えていますか、と。

    2度の非常事態を経験して…

    Yuto Chiba / BuzzFeed

    月刊『新潮』5月号

    ーーなぜ、今回、新型コロナの話を真正面から物語に取り入れたのでしょうか?

    実は当初は全く違う話を想定して、次の小説の構想を練っていました。

    でも、準備をしていた別のプロットで小説を書こうとした矢先に、コロナの問題が大きくなって…突然のことに面食らいつつも、やっぱりこの問題をいま無視して書くことはできないんじゃないかと思ったんです。

    自分自身、生活をする中で、すごくコロナの状況が気になっていましたし、Twitterを開けばコロナについて調べているような状態で。何よりも自分が今、コロナに興味を持っていた。だったら、その問題を絡めた小説を書きたいと思い、1から新しいプロットを書き始めました。

    ーーこれまでも東日本大震災からの経験から『持たざる者』という小説を書かれています。社会を大きく揺るがす出来事を積極的に小説に取り入れていらっしゃいますね。

    振り返って見たときに、2011年の東日本大震災と原発事故という出来事は私にとって大きな事件でした。でも、それはなかなかすぐには言葉にしづらいものでもあったんです。だから、『持たざる者』を書き始めたのは、震災の3年後のことでした。

    当時は自分が混乱していましたし、世界の価値観がここまでぐるっと変わる出来事を体験したことがなかった。何よりも内面的な変化ではなく外的な変化による影響をここまで受けることに慣れていなかったので、自分の感じていることを言葉へと変換していくのに非常に時間がかかりました。

    そして、フランスに移住をして生活をしていたら2015年のパリの同時多発テロも経験した。

    こうして立て続けに非常事態というものを経験する中で、非常事態に直面した時の心の持ちようと言いますか、基盤のようなものができていたのだと思います。

    Kazuhiro Nogi / AFP=時事

    ーーあのタイトルは最初から頭の中に?

    いや、私は基本的にはタイトルは最後につけるタイプなんです。本当に原稿を送らなきゃいけないタイミングで、タイトルはどうしようかと頭を悩ませます。

    ソーシャルディスタンスってすごいパワーワードじゃないですか(笑)。言葉としても面白いし、そうした概念が生じたこと自体、興味深いことですし。

    新型コロナの影響で新しい言葉が生まれる状況は、物書きとしてはグッとくるものがあるんです。切実な状況的要請によって言葉が続々と誕生するということは、なかなかないことですから。

    ただ、「ソーシャル」という言葉はとても抽象的だし、意味するものが広いと思うんです。その言葉を聞いて想起するところが、ぼんやりしてしまう。

    そういった意味で、問題のある言葉というか、ちょっと曰く付きの言葉という印象を受けますよね。

    「ソーシャル」という言葉を使ってしまうと、それを守らない人が反社会的であるという感覚が刷り込まれてしまうところもあります

    そうしたことを踏まえて、「アンソーシャル ディスタンス」とこの小説を名付けました。

    「必要緊急な個人的な問題を抱えている若者たちの物語」

    ーー非常事態を経験したときに、それを物語として残すことにはどのような意味があると考えていますか?

    小説って、世界は、人はこうであるべきという主張をするものというよりは、この世界を生きる時の一つの緩衝材のようなものだと思うんです。

    私自身も小説を若い頃から読んできて、今を生きるための力をもらってきました。例えるなら、現実の中で息を止めていて、小説の中で息つぎをするような感覚です。

    人ぞれぞれ表現の仕方は違うと思いますが、小説家にできることは、物語によって1つの視点を提示するということ。

    今回の小説は超個人的な視点からアフターコロナの世界が描かれています。自粛や世間の空気に抗って生きているカップルを描くことによって、読んだ人が自分と違う次元、違う優先順位で生きている人が存在しているということを、肌で感じられるのではと思います。

    誰しもが知り合いに一人はいるようなメンヘラなカップルの日常にコロナが入り込んできた設定で、今回の小説を書いています。大学生たちの長閑な日常と、その中でも何かと戦っている姿を伝えるために、彼らの生の感覚を一人称で描きました。

    時事通信

    世界的に感染拡大するコロナすら、自分たちを取り巻く些末な問題の1つとして捉えてしまえることは、若さがなせるものでもあるでしょうし、子どもや仕事といった「守るもの」がない人や、破滅的な人の実感を表現したかったんです。

    私自身は夫もいるし、子どももいる。だから、コロナのことを考えるときは自然と自分に付随するあらゆる者への影響を考えてしまいます。それはある意味で、たくさんのものに縛られている状態とも言うことができる。

    でも、この小説に登場する2人の大学生は、その辺をふわふわと飛んでいる風船のような存在です。しがらみが少ない分、彼らにとってのコロナは全く違う存在だと考えました。

    みんな、とにかく人が死なないこと、自分が感染しないこと、自分が誰かに感染させないことに重きを置いて行動している中で、そもそもコロナとは無関係な自分自身の問題に精一杯になっていて、他人のことを考える余裕など持ち合わせていない、エイリアンのような生き方をしている普通の女の子の生活を目の当たりにすると、自分の見えなくなっていた部分や知らぬ間に抑圧していた側面が相対的に見えてくるのではないかなと。

    ーーそうした光の当たらない人の声を伝えようとした時に、なぜ恋愛をモチーフに書くことを決めたのでしょうか?

    恋愛って超個人的な関係ですよね。親子の関係よりもずっと個人的で、何よりそこにはお互いの意志がある。

    仕事で何百人もの人と会うよりも一人の人と1年一緒に暮らしたり、1年向き合って言葉を交わし続けることの方がずっと大きな体験であるように、恋愛関係で人間の本質的な側面が見えると思うんです。それこそフィジカルな関係も持ちますし。

    今回は社会や家庭、政治や宗教といったことを抜きにして、純粋に2人の男女から見えるコロナを描きたいと思いました。

    時事通信

    ーー新型コロナの感染拡大を防ぐため、不要不急の外出を控える呼びかけもなされました。そんな中、取材前にメールでやりとりさせていただいた際に、今回の小説を「必要緊急な個人的な問題を抱えている若者たちの物語」と表現されていましたね。その意味を教えてください。

    例えば、タバコは体に良くない、お酒も体に良くない、そう言ったものは寿命を縮めると言われていますよね。そうした中で、みんながそれぞれのリスクをわきまえた上で選択をしている。

    「なぜそんなに体に悪いことをするのか?」と理解をできない人も当然いるとは思います。でも、人々がタバコやお酒で得ているものは、他には変えがたいものなんじゃないかとも思います。

    健康的に長生きするということに一番の価値を置いている人と、そうではない人との間にはとても大きな価値観の差異が存在している。

    コロナにかからないことや感染させないことに重きを置いて、人に非難されるような行動をせずに生きていくことでは得られないものもある。そしてそれは、正しいかどうかという判断は別にして、人間として忘れられない何かでもあると思うんです。

    それこそ小説がこれまでも表現してきたものは、健康を求める人たちが求めているようなものばかりではなかったはずです。ある種、表現物というものが与えてきたものと、不健康になっていくタバコやお酒が与えてくれるものには似通っている部分があると思うんですよ。

    そうしたものを無視し、自分を守る、他人を守るという「正の力」に身を任せて生きるだけでは補いきれない部分が人間にはあります。

    Kiyoshi Ota / Getty Images

    ーー小説の中では、その象徴としてバンドやライブが描かれています。

    そうですね。今回の作品では若い男女が人生に絶望する大きなきっかけとして、大好きなバンドのライブが中止になるという出来事を描きました。

    ーー金原さんご自身も、エッセイ集『パリの砂漠、東京の蜃気楼』でライブやフェスへの思いを語っています。そこでの言葉と小説での描写が重なりました。

    私自身、もう、ライブとフェスが続々と延期や中止になって…その連絡が来るたびに泣いてます(笑)。

    夏フェスは軒並み中止の決定を下していっていますよね。でも、「死んでもいいから行きたい」と思う人や、死なないためにチケットを取って、このために必死に生きてきた人がどれだけいるだろうと思ったんですよ。

    このライブやフェスの中止に目の前が真っ暗になるほど絶望している人がどれだけいるだろうって。

    「そんなところに行ったら、クラスターになっちゃうじゃん」と言われてしまうのはわかっている。それはもう、社会的にはどうしようもないことだとは理解はしています。

    でも、個人の中ではどうしても割り切れない部分が出てくるのも当然で、主人公カップルのようにライブがなくなるなら全部めちゃくちゃになってしまえと思うような人だっているはずです。

    「死にたい」という感情に向かってきたからこそ

    時事通信

    ーーコロナは周囲の人とのリスク感覚の違いも顕在化させています。金原さん自身はこの点についてどう思われますか?

    小さな差異が人間関係にすごく影響するシチュエーションですよね。

    人によってコロナをどれほど気にしているかのレベルも違いますし、どういうところから情報を得てるかによって怖がり方も全く違う。そうした中で、家族間や夫婦間で多くの衝突が生まれているのではないでしょうか。

    基本的に家にいなければならない中で、面と向き合って話すことの増えた夫婦もいるでしょう。逆に不倫中の人は不倫相手と会えない日々が続いているかもしれません。

    そうした人間関係の大きな変化によって人々のドラマや感情の振れ幅が限界まで拡大して、可視化されている感覚があります。この変化は興味深いなと、小説を書いていても感じました。

    一方で、私の周りではコロナで生きやすくなったと感じている人は少なくありません。リモートワークになって通勤が苦痛だった人は楽になったし、職場で誰かと顔を合わせることが苦痛だった人も、今は自分の仕事を自宅でやっていれば問題ない。それに、自分の趣味などに費やす時間は相対的に増えましたよね。

    私も「ちょっとお花を育ててみようかな」とか、普通だったら考えつきもしないことを考えたり、ランニングを始めたり(笑)。この異常事態の中で、素朴な生き物としての楽しみを見出すきっかけが生まれ、本質的な喜びに向き合うことにつながっているようにも感じます。

    ーーネガティブなことばかりではないということですね。

    そうですね。

    フランスに住んでいた頃の友人が、このコロナの最中に本帰国を決めて、先週子どもを連れて日本に帰国したんですよ。

    「こんな時期に?」って思ったんですけど、彼女からすると、もう「今しかない!」と。渡仏して15年。数年前から本帰国について考えてはいたようですが、この機を逃すともう一生ないかもしれない、といったタイミングで、コロナが背中を一押ししたようです。

    どこで生きるか、どう生きるのか、そして誰と生きるのか。コロナによって日常が奪われたことが、こうした根源的なことを考え直すタイミングになっているのかもしれません。

    この変化は少しだけ死に直面している現状と決して無関係ではないと感じます。

    いつか自分が死ぬということを、そして全ての人が死と隣り合わせであることを意識しながら生きることになった今、何を大切に思うかがよりクリアに見えてきているのではないでしょうか。

    Ludovic Marin / AFP=時事

    ーー基本的に日常生活を送る中では、死と隣り合わせの感覚というものは抱きにくいものです。これまでも「死にたい」という感情や希死念慮的なものを丁寧に描かれてきた金原さんだからこそ、そうした現状に目が向きやすいのかもしれません。

    私の小説にはすごく健康的で、健康に生きることを至上の目的としている人はあまり出てきませんからね(笑)。

    自粛しましょう、きちんとしましょう、みんなでコロナに打ち勝ちましょう。こういった精神論的なことを言う人たちがいる一方で、常日頃から生きるのがとても辛い人たち、なんとか息をつないできたような人がいるとこれまでも伝えてきたのだと思います。

    今の段階で政府や専門家が発信するメッセージは、みんなが健康に生きるためのもの。その価値観の中では、そこからこぼれ落ちる人たちの存在は完全に無視されます。

    彼らがもしも何か言葉を発しようとすれば不謹慎だと言われて、炎上してしまう。そうした状況で抑圧されている人たちは少なくないだろうと感じていたので、「それって、どういった形であれば表現できるのだろうか?」と考えました。

    時事通信

    Twitterで呟いても炎上するし、実生活でそんなことを口にすれば人間性を疑われる。そういう状況で小説は小回りがきく媒体です。

    あらゆる不謹慎な小説を読んできましたが、重要なのは、どれだけきちんと描くことができるのかということだと思います。ノリで描くのではなく、どれだけ苦しさを感じている人たちの本心に肉薄できるのか。

    不謹慎と思われるかもしれませんが、この苦しみは言葉にする意味のあるものだと思いました。

    私は声が小さい人の側にいたいし、自分自身もそうだと感じています。だから、今このタイミングで自分に唯一できることはこの小説を書くことでした。

    書くことで回避してきたもの

    時事通信

    ーーもしも金原さん自身が今回の小説の主人公のように10代、20代でコロナを経験していたら、どのように過ごしていたと思いますか?

    それはもう、不謹慎の極みみたいなことをしていたんじゃないでしょうか。隠れて営業しているようなバーやパチンコ屋に入り浸ったり。きっと誰かに叩かれても開き直っていたでしょうね。

    ただ、実際はそうした人たちを小説の中に描くことで、自分がそうした行動をとることを回避しながら生きてきたなという気がします。

    ーー書けば回避できるものですか?

    デビュー作の『蛇にピアス』に登場する舌を裂く身体改造「スプリット・タン」も、最初は自分自身が挑戦してみたいと思ったものでした。

    でも、ちょっと怖いし、そこまでは踏み切れなくて… だから、小説の主人公にやらせてみて、その行く末を見守ることにしたんです。その結果、最終的に自分ではやらなかった。

    「こうしたらどうなるんだろう?」とあらゆる衝動に駆られた時に、実際にどうなるのか小説で描いてみる。自分にあり得た世界線を想像して一つの物語にするということは、デビュー当時からの1つのやり方です。

    Yuto Chiba / BuzzFeed

    デビュー作の『蛇にピアス』

    ーーエッセイ集にも、「小説に本音を書いている」と書いていましたね。

    そうですね。私はあまり口が達者ではないので、言いたいことや思っていることを伝えるのに文章が最も適している。いつも、自分でもちょっとよくわかっていないくらいのことを、何度も何度も文章を練り直して書いています。

    「スプリット・タン」にしても、なんでやりたいか、なんで惹かれるのかはわからない。でも、その衝動はあるという時に、誰かに憑依した形で探っていく。

    自分自身で完全に理解している欲望や衝動について書いているのではなく、自分でもちょっとわからないことを解き明かしたい気持ちがあって、初めて小説になっていきます。

    「伝わると信じていなければ書けない」

    ーー本来、そうした個人的な欲望や衝動を誰かの目に触れる場所に置くことはないのではないでしょうか。なぜ、あえて人目につく小説の中にそれを置くのでしょうか。

    最もプライベートなことほど、最も社会的なことであるという感覚を持っているんです。

    どんなに反社会的な人間を描いたとしても、根本へと迫って行けば行くほどに、この社会の成り立ちともつながっていくと思うんです。

    ちなみに、私は人間って実はそんなにバリエーションが存在していないと思っています。

    例え、表面上は全く正反対の主張をしている人同士でも、突き詰めていくと同じようなところにたどり着いたりする。

    だから、自分はこちら、相手はあちらという認識の仕方をするのではなく、どちらかというとこちらの色が強いといった形での理解が必要だと考えているんです。

    もちろん、目の前にいる人は自分とは全く相容れない生き物で、別の世界に生きていると切り離してしまった方が楽な時もあります。

    でも、ノーマルとアブノーマル、男と女、マジョリティとマイノリティみたいな区分が存在して、どちらかにキッパリ分類されるのではなく、本来は誰もがその間のグラデーションを生きている。

    そうやって考えてみた方が、より良い形での他者理解ができるのではないでしょうか?

    時事通信

    2004年に直木賞を受賞した江國香織、京極夏彦、芥川賞を受賞した綿矢りさ、金原ひとみ。(敬称略)

    ーー人間にそんなにバリエーションが存在しないと捉えたとしても、決定的にわかりあえないと感じてしまうことはありませんか?

    わかりあえなさはすごくありますね。もう本当に諦めてしまう瞬間はあります。

    エッセイ集にも書きましたが、私は自分の母親のことを昆虫だと思っていて…

    彼女は別の生き物だ、別の目的と価値観を持って生存し続けていると思うことで、ある種自分の平穏を手に入れることができるんです。

    でも、同時に自分の中にも自分の母親的側面が全くないわけではないと、自覚しなければいけないとも感じます。

    Yuto Chiba / BuzzFeed

    金原さんのエッセイ集『パリの砂漠、東京の蜃気楼』

    ーー同時に「伝わると信じていなければ書けない」ともエッセイ集の中では言葉にされていたのが印象的でした。とはいえ、伝わらないことも少なくないのでは…

    そうですね…圧倒的に「伝わってねえな」と思うことの方が多いのは事実ですね(笑)。

    でも、一本筋がないと保てないものってあるじゃないですか。何かを表現することにおいて、伝わるということは大前提で。

    もし全ての私と話す人、私の小説を読む人が、全然伝わってこねえよと思っていたとしても、私は伝わると信じ続けると思います。そういう意味で、伝えるというのは一方通行ですね。

    伝わらないことも含めて、伝わると信じて書いています。

    ーー伝わると信じて書く中で、今回の小説がどのように読者の方に届くことを期待しますか?

    自分の生活が制限されてストレスが重なる中で、どうしても他者に対する他罰的な感覚が芽生えてしまう。そうした感覚による摩擦が起きているように感じています。

    「自分は正しい」「自分が我慢しているものを、他の誰かが享受しているのは許せない」といった感覚は、すごく原始的で本能的なものです。

    でも周囲の誰かを責めている人もまた、他人を責めながら、自分も苦しんでいると思うんです。

    David Guttenfelder / AFP=時事

    原発事故後の福島第一原子力発電所

    私自身、原発事故後は放射能の問題についてとにかく不安でした。不安を抱える人同士で仲良くなったこともあり、当時は周りの意見が全く耳に入らず、意見が食い違う人を「愚かだ」と決め付けていた時期もあった。

    私がそうした一元的なものの見方を改めることができたのは、放射能の問題は自分の人生を決定づけるものなのではなく、あくまで人生の1つの要素だと頭の中で整理することができたからなんです。

    何か一つの要素で容易に決定づけられるようなものではない、多元的、多層的な人間のあり方を思い出させてくれたのは、それまで読んできたあらゆる小説が与えてくれた数々の視点だったという実感があります。

    「これだけは守りたい」「これだけは破りたくない」といった感覚を和らげたり、解除してくれる。小説が多くの人にとって、そんな存在になったらいいなと思います。

    今、大きな不安を抱えている人や自分の正しさを他の誰かにも当てはめてしまいがちな人も、一瞬だけでも自分の視点を離れて、20代の男女が見ている世界を垣間見ることで、切羽詰った生活の中で自分に見えている世界の外側を見る機会につながればと思います。

    Contact Yuto Chiba at yuto.chiba@buzzfeed.com.

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