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歌川広重作「東海道五十三次」で江戸・戦前・現代 3つの時代を巡る

180年分の時を旅する。

総距離およそ490キロ。江戸と京都を結ぶ東海道の旅を描いた、55枚に及ぶ歌川広重の大作「東海道五十三次」が世に出たのは1833年のことだ。

東海道の出発地点、日本橋

歌川広重 / Via commons.wikimedia.org

大正時代の日本橋

それから85年が経った、1918年(大正7年)。広重が見た景色がどのように変化したのか、当時の写真で振り返る図録、「東海道」(秋好 善太郎 編)が出版された。
東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照 / Via dl.ndl.go.jp

それから85年が経った、1918年(大正7年)。広重が見た景色がどのように変化したのか、当時の写真で振り返る図録、「東海道」(秋好 善太郎 編)が出版された。

現在の日本橋

江戸・大正・現代、3つの時代の「東海道」を、浮世絵・写真・Google Mapで旅する。

1番・品川宿

東海道第一の宿場。品川宿は西国へ通じる陸海両路の江戸の玄関口として賑わった。江戸時代には、武士だけでなく「物見遊山」の旅に出た庶民も利用した。
歌川広重 / Via commons.wikimedia.org

東海道第一の宿場。品川宿は西国へ通じる陸海両路の江戸の玄関口として賑わった。江戸時代には、武士だけでなく「物見遊山」の旅に出た庶民も利用した。

大正時代の品川
東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照 / Via dl.ndl.go.jp

大正時代の品川

現在の品川宿周辺

3番・神奈川宿

江戸を出発した旅人たちはここで最初の宿をとった。神奈川沖の海は、葛飾北斎の『富嶽三十六景』神奈川沖浪裏でも描かれている。
歌川広重 / Via commons.wikimedia.org

江戸を出発した旅人たちはここで最初の宿をとった。神奈川沖の海は、葛飾北斎の『富嶽三十六景』神奈川沖浪裏でも描かれている。

大正時代の神奈川
東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照 / Via dl.ndl.go.jp

大正時代の神奈川

現在の神奈川宿周辺

10番・箱根宿

東海道一番の難所が箱根だった。芦ノ湖を望む険しい山間の坂道を、大名行列が越えて行く様子が描かれている。
歌川広重 / Via commons.wikimedia.org

東海道一番の難所が箱根だった。芦ノ湖を望む険しい山間の坂道を、大名行列が越えて行く様子が描かれている。

大正時代の箱根宿
東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照 / Via dl.ndl.go.jp

大正時代の箱根宿

現在の箱根峠から見た箱根山の景色

11番・三島宿

朝霧で霞む三島大社の鳥居が描かれている。三島宿は難所の箱根を越えてきた旅人や、これから箱根を越える旅人で賑わったという。
歌川広重 / Via commons.wikimedia.org

朝霧で霞む三島大社の鳥居が描かれている。三島宿は難所の箱根を越えてきた旅人や、これから箱根を越える旅人で賑わったという。

大正時代の三島大社の様子
東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照 / Via dl.ndl.go.jp

大正時代の三島大社の様子

現在の三嶋大社

戦後、「三嶋大社」に表記が変更された。

16番・由比宿

由比宿と興津宿の中間に位置する薩埵峠から見た富士山が描かれている。この峠からの眺めは東海道の中で最も美しいといわれている。また、「親不知」の異名を持つ難所でもあった。
歌川広重 / Via commons.wikimedia.org

由比宿と興津宿の中間に位置する薩埵峠から見た富士山が描かれている。この峠からの眺めは東海道の中で最も美しいといわれている。また、「親不知」の異名を持つ難所でもあった。

大正時代の薩埵峠から見た富士山
東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照 / Via dl.ndl.go.jp

大正時代の薩埵峠から見た富士山

現在の東名高速から見える富士山

20番・鞠子宿

鞠子はとろろ汁が名物の地といわれ、茶店が軒を連ねていた。広重が描いた「丁子屋」は慶長元年の創業で現在でも営業中。名物のとろろ汁を味わえる。
歌川広重 / Via commons.wikimedia.org

鞠子はとろろ汁が名物の地といわれ、茶店が軒を連ねていた。広重が描いた「丁子屋」は慶長元年の創業で現在でも営業中。名物のとろろ汁を味わえる。

大正時代の鞠子宿の様子
東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照 / Via dl.ndl.go.jp

大正時代の鞠子宿の様子

現在の鞠子宿

37番・藤川宿

幕府は毎年朝廷に馬を献上することになっており、一行が藤川宿にさしかかる様子を描いている。広重もこの行列に参加したことがあるという。
歌川広重 / Via commons.wikimedia.org

幕府は毎年朝廷に馬を献上することになっており、一行が藤川宿にさしかかる様子を描いている。広重もこの行列に参加したことがあるという。

大正時代の藤川宿
東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照 / Via dl.ndl.go.jp

大正時代の藤川宿

現在の藤川宿周辺

図録の写真に写されていた、石灯籠とみられる。

42番・宮宿

熱田神宮の門前町の宮宿。伊勢参りの旅人も集まり、大変賑わった宿駅だったという。神宮の祭りに出る馬が描かれている。
歌川広重 / Via commons.wikimedia.org

熱田神宮の門前町の宮宿。伊勢参りの旅人も集まり、大変賑わった宿駅だったという。神宮の祭りに出る馬が描かれている。

大正時代の宮宿の様子
東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照 / Via dl.ndl.go.jp

大正時代の宮宿の様子

現在の宮宿

現在の熱田神宮

45番・庄野宿

庄野の宿近くの街道で、突然の雨にあう人々の様子が描かれている。歌川広重の最高傑作としても知られている。
歌川広重 / Via commons.wikimedia.org

庄野の宿近くの街道で、突然の雨にあう人々の様子が描かれている。歌川広重の最高傑作としても知られている。

大正時代の庄野宿周辺の様子
東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照 / Via dl.ndl.go.jp

大正時代の庄野宿周辺の様子

現在の庄野宿

庄野宿に残る膨大な宿場関係資料を保存している庄野宿資料館

47番・関宿

関宿は、古代から交通の要所で、かつては「鈴鹿関」があった場所といわれている。関宿の祭りに出る山車がこれ以上ないほど立派なものだったことから、「これ以上のものはない」という意味の「関の山」の語源にもなっている。
歌川広重 / Via commons.wikimedia.org

関宿は、古代から交通の要所で、かつては「鈴鹿関」があった場所といわれている。関宿の祭りに出る山車がこれ以上ないほど立派なものだったことから、「これ以上のものはない」という意味の「関の山」の語源にもなっている。

東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照 / Via dl.ndl.go.jp

現在の関宿

終着地点・京都三条大橋

東海道五十三次の終着地点。三条大橋を渡れば京都だ。当時、江戸・京都間を普通に歩けば十数日の行程だったという。
歌川広重 / Via commons.wikimedia.org

東海道五十三次の終着地点。三条大橋を渡れば京都だ。当時、江戸・京都間を普通に歩けば十数日の行程だったという。

大正時代の京都・三条大橋
東海道 : 広重画五拾三次現状写真対照 / Via dl.ndl.go.jp

大正時代の京都・三条大橋

現在の京都・三条大橋

浮世絵「東海道五十三次」は広重が実際に東海道を旅した翌年に制作されたという。

広重が歩いた道は、現代にも続いている。