「あの人は才能があっていいなぁ」
そう思ったことはないだろうか。身近な人に羨望の眼差しをむけることもあるし、キラッキラに輝くアーティストたちを見ては、「違う生き物だから」と自分を納得させる。
だって、才能がなければステージの上に立つ権利なんて、得られる訳がないのだから。
それを否定する人がいる。西川貴教だ。

1996年にT.M.Revolutionとしてデビュー。翌年には『WHITE BREATH』がミリオンセールスを遂げ、90年代を代表するアーティストになった。2010年代には、声優・水樹奈々とのコラボレーションが話題となり、紅白歌合戦を席巻。最近では、NHK教育テレビで『マーヴェラス西川』として、圧倒的な歌唱力で童謡を歌い上げるお兄さんとしても活躍中だ。
ここに書いたのは、彼の仕事のほんの一部。昨年、デビュー20周年を迎え、それでもなお最前線で走り続ける彼が「自分は凡人」だと言う。
才能がないのに、ステージに立ちつづけられる。そんなことは可能なのか――。
ソロなのに「T.M.Revolution」
――西川さんは、ソロにも関わらずT.M.Revolutionという名前でずっと活動されてますよね。単刀直入に、これってどういうことなんでしょうか?
僕は一度、20歳のときにバンドとしてデビューしたんですけど、思うようにうまくいかず……。その後にT.M.Revolutionとして再デビューしてるんです。正直、バンド時代から「西川貴教」という名前で活動するのが、少しコンプレックスだったんです。画数も多いし硬い。「ロックをやるにはふさわしくないんじゃないか?」と…。
「ソロデビュー」というのは、バンドが大成した上で、自分の表現を突き詰めていくために選ぶ道だと思っていたので、踏ん切りがつかなかった部分もあります。いきなり自分の名前を出すには、後ろめたさを感じて。
でも、バンドの挫折経験から、今の自分が生まれてくるんですけど。
――立ち直る、ということですか?
自分は、天才じゃない。僕みたいなタイプは、何かを犠牲にしないといけないんだって思いが強いですね。鍛錬っていうか。
こういうことを生業にしていると、「パーティーナイトみたいな毎日を送っているんでしょう?」と聞かれることもあるのですが、そんな生活をしていたら、あっと言う間にダメになると思うんです。凡人タイプな僕の場合は。
ライブでいいパフォーマンスをするためには、体調管理が何よりも大事なので、飲みにいくことも少ない方です。付き合いは悪い方かもしれません(笑)。
ジムには週4日通い、1回4〜5時間いる生活
――とても47歳には見えない、肉体美にただ驚くばかりです。もともとは、ツアー中に倒れてしまったことがきっかけで、体力づくりをされたと聞きました。
そうですね。1日おきにジムへ行って、1回あたり4~5時間にいますね。ずっと、激しい運動をしているわけではなくて、準備運動からはじまって、トレーニングと、その後のマッサージ含めてですが。
――休息時間はとれているのでしょうか?
ジムと仕事以外は、外出せずに家にいるので、ずっとアニメを見てますね。喉に負担をかけたくないので。
アニメを見るのにはPCに助けられていて、Netflix、Amazon Prime、Hulu……全部入ってますね。それぞれでしか見られない作品もありますから。リアルタイムで追いかけられるものと、過去作品も遡って。昔はハードディスクに溜めて見るしかなかったので、なかなかの苦労があったのですが、今は労せず堪能できるようになりましたね。
とはいえ、アニメのお仕事もいただいているので、オンオフの切り替えはかなり曖昧です。
すごく好きな作品だったので、声をかけていただいて純粋に嬉しかったです。劇中の音楽を担当されている神前暁さんとも一緒に作れてすごく有意義でした。

「好きなように作ってください」とのオーダーだったので、ファン目線を存分に注ぎました。「どうやったら、Fateの世界観が上手く伝わるか」というのは、ファンだからこそ真剣に考えました。とはいえ、この作品も、立ち上げのゲームから入ったわけではなくて『stay night』ぐらいからのスタート。オタクというより、いちファンです。
――コミケに出展したり、かなり詳しいのに。
僕の中で「オタク」の人たちとは、「一つのことに対して極めているすごい人」なので、畏れ多いです。アニメだって、全ジャンル見ているわけではないので…。僕は圧倒的な知識や情報を持っているわけではない。実際、コミックスとゲームまで手が伸ばせていないですしね。
子どもたちから愛される「マーヴェラス西川」の顔
――新しい仕事に挑戦する時、ブランディングって考えますか?
なけなしのプライドはあるつもりではいるんですけど、ブランディングには固執していない方だと思います。昔と同じことをやっている自分は魅力的に見えない。今は、情報の新陳代謝が高い時代なので、変わらなければあっという間に過去のものになる。だから、自分もOSのようにアップデートしていきたいんです。
――周りの反応はどうですか? それこそ、西川さんは事務所の社長でもあるので、大きな失敗をすると経営が傾くというか。
新しいプロジェクトをはじめるとき、半ば懐疑的に見られるようなことも、もちろんあります。「ブランディングを考えると、そんなことやる必要ないのに、どうして?」というような感じで。

地元・滋賀県を盛り上げるために始めた「イナズマロックフェス」、「マーヴェラス」にしかり。続けることで定着してきました。今では、歌番組に出ていると、小さいお子さんが「なんでマーヴェラスここにいるの?」「普通の服着てる」と言ってくれるんですよ。逆に90年代から僕のことを知ってくださってる方からすると、「なんでこんなことやってるの?」ってなると思うんですけど。
全世代にアピールできる存在ってすごく希少なので、今の状況はすごく心地良いです。努力が報われるというか。お断りしていたら得られなかった成果です。
これでまた、新たな出会いや作品づくりに繋がるキーワードをもらえたりする。迷うならやった方がいいと思いますね。もちろん、難しくはあるんですけれど。やっぱり差し出すものがないと。
20年かけて、ようやく受け入れられた自分の名前

――『Bright Burning Shout』は、はじめて「西川貴教」名義を採用しています。心境の変化があったのでしょうか。名前にコンプレックスがあったと…。
昨年、T.M.Revolutionとして20周年を迎え、それが非常に大きな節目でした。これまでは、T.M.Revolutionという1つのフォーマットを踏襲しながら活動させていただいていたのですが、その枠組みを1回はずしてみたくなった。新しく自分名義のプロジェクトを立ち上げたという感じです。これまでの活動をやめるわけではありません。
――西川貴教という名前が、受け入れられるようになった…?
音楽以外にも本当にいろんなことをやらせていただいて20年が経って。「T.M.Revolution」や「TM」と呼んでいただいた呼称も、今や西川貴教として認識していただいている。認識の隔たりがなくなった。いい意味で、名前は記号でしかないな、と。そうならば、なおのこと自分自身、より裸の状態でいろんなものを受け入れていく。今こそ西川貴教として勝負していくタイミングだと思ったんです。

西川貴教は、ステージの上で輝き続けてきた。一方で、「何者かになれない」コンプレックスを抱え続けてもいた。圧倒的な才能が集まる表現の世界。ここでもがいた20年こそが「本気をタテにして未熟な革命」だ。
「本気」こそが、人を「何者か」にさせるのだろう。ジャケットに書かれた「TAKANORI NISHIKAWA」というクレジットが教えてくれる。