「色彩の洪水」
「こんな映像見たことない」
と話題になっている『スパイダーマン:スパイダーバース』。長年、ディズニーの牙城だと言われてきたアカデミー賞の長編アニメーション賞を受賞し話題になった。
これだけの評価を支えるのは、圧倒的な映像美だ。アメコミの中に入り込んだかのような没入感がある。実は、この映像を生み出したチームには8人の日本人がいる。
映画の全編を通じて制作に携わった、園田大也(ソノダヒロヤ)さんに話を聞いた。『スパイダーバース』の映像美の秘訣を――。
『NARUTO』に影響されて
ソニー・ピクチャーズエンタテインメントは、『スパイダーバース』の製作にあたって、独自のツールを開発している。
すべてのシーンでCG(3D)と手描きのアニメーション(2D)をブレンドさせ、コミック感とリアルさを共存させる手法は新技術。これは「すべてが正確でフォトリアルで完璧という、従来のCGのルールを破ることが目標」だったためだ。
1フレームを完成させるのに通常のアニメ映画より4倍もの時間を要し、1人のアーティストが2秒分のアニメーションを作成するのに1週間かかった。なお、この新技術に特許を申請したとの噂が出るほどだった
業界では、分業が進むアニメ制作。しかし、『スパイダーバース』は一人のクリエイターが、大きな役割を担う。
3Dのモデルを作り、その上に手描きの2Dを被せ、動かす。これをすべて、一人で完成させる。
園田さんが製作チームに入ったのは2017年。日本人としては第一号のスタッフに選ばれ、最終的にすべてのキャラクターを描くことになった。しかし、当初は新しいツールの使い方に苦心したという。
「一般的なフルCGのアニメは1秒間を24枚の絵で構成します。でも本作では基本的に12枚で作りました。同じ絵を2枚入れている状態。こうすることで日本のアニメっぽく動くようにしています」
「必要な画が半分とはいえ、作業量が減るわけではなくて、画が少ないことが逆に難しかったです。ある程度、自分でキャラクターの動きを作ったあと、洋服や髪の毛の動きをつけるシミュレーションという作業をする担当部署にお願いするのですが、より自然に動くように滑らかな加工を施したり……」
日本のアニメを意識した、とは他にはどんな点があるのだろうか。
「今回はすごく意識してましたね。アクションの部分はもちろん、キャラクター……ペニー・パーカーは、日本のアニメを意識して作ってました」
『スパイダーバース』では、異次元から集結した6人のスパイダーマンが登場する。各キャラクターはアニメ風、モノクロ、レトロなカートゥーン風などタッチが異なる。特に、日本のアニメを意識したヘンリー・パーカーは、劇中の中でも2次元感の強いテクスチャーだ。
これは、ペニー・パーカーの外観にCGを極力使わないことで実現させたという。まず、CGアニメーターが動きを作り、それを平面的にし、手描きで目や口の動きを描き足す。こうすることで他のキャラクターよりも2次元感のある存在になった。
また、キャラクターだけではなくアクションに至っても日本のアニメを参考にした。
「チームに共有される参考動画集の中に日本のアニメのクリップが置いてあったんです。チームみんなで、『NARUTO』などの人気アニメをフレーム単位で見て、アクションの研究をしました」
「担当のシーンに関しては、入っているキャラクターの動き、蜘蛛の糸のアクションなどすべて自分で作っています。配属して初日からがっつり、マイルスが雪の中で蜘蛛の糸を使うシーンを作りました」
「特にマイルスはすごく表情を意識しました。3Dで作った顔の上にシワを描きたしていくときにも、表情の揺れ、目の動きなど、細かく指示がありましたね」
独学でCGを勉強。ハリウッド映画に関わる着実なステップ
チームで共有した参考動画集の中には、園田さんが過去に作ったものも含まれた。
こういったアクションの表現が園田さんは自身の強みだと分析する。
園田さんは幼少期からCGクリエイターになる夢を抱き、九州大学芸術工学部に進学した。しかし、入学してみると、CGの授業はほとんどなかったため、独学で勉強をはじめた。
「大学1年のころからBlenderというフリーソフトを使って学んでいました。モデリングから最終工程のコンポジットという画作りまでが全部できるので。それを4年間使ってました」
その後、福岡のゲーム会社に就職。3年間ゲームのアクションを製作していた。
「インゲームアニメーションというゲーム内の動きを作る仕事をしていました。特定のコマンドで早いパンチが出る、というような。滑らかで迫力のある動きを演出するには、筋肉、骨格、人間の動き、ボディメカニクスを理解して、表現しなくてはいけません。ファーストキャリアでそこを鍛えてもらったのは、今でも武器になっていると思います」
日本人が海外でハリウッド映画に携わる。それも園田さんは30歳。アカデミー賞を受賞するほどの大作に若くして関わるのは、簡単なことではない。どうやって叶えたのだろうか。
「ずっと海外で働きたいと思っていたので3年で区切りをつけようと思っていました。その後、フィリピン、カナダでそれぞれ語学学校に通い、卒業と同時に映画スタジオに入って、ビザの更新時にソニー・ピクチャーズへ転職しました。それまで『絵文字の国のジーン』や『コウノトリ大作戦!』を経て、今回声をかけてもらいました」
「いきなりハリウッドを目指すのではなく、細かく目標を決めて達成していくとモチベーションも下がらずにいいかな……自分の強みを持つこと、理解することは大切。いろんな国の人がいる環境下で、この日本人にお願いしたいと思ってもらうためには、ひとつでいいので、光るものを持っておくといいと思います。僕の場合は、ゲーム会社にいたのが、今とても強みになっていますね」
最初は畏れ多かったとも話すが、足取りは着実だ。ちなみに、園田さんのファーストネームは、英語で「ヒロ」と呼びやすいように名付けられたそうだ。