2000年代前半、「三瓶です」という一発ギャグや「三瓶のちょっと面白い話」で一世風靡した芸人・三瓶。ブレイクしてから約20年、三瓶はいま何をしているのか。最近では、調理師免許を活かした仕事もしているというが──。

ブレイクは突然に
──ブレイクしてから20年ほど経ちましたね。
吉本の社員さんが、「BACK-UP!」(フジテレビ系)という深夜番組のスタッフの方と知り合いで。「面白い子いない?」という感じで、個人的にオーディションに行かせてもらって出演したのがきっかけだと思います。
「BACK-UP!」に出ていた、おすぎさんとピーコさんが僕のことを気に入ってくれたみたいで。そのまま「笑っていいとも!」の本番前に、僕がネタをやっている映像を出演者のみなさんで見てくださったんです。タモリさんの前で。
━━知らないところで、大チャンスが。
その日の放送中にタモリさんが僕のモノマネをして。そんなの台本にもないし、誰も僕のことなんて知らない状態だったから、スタッフの人たちが慌てて「来週、三瓶を呼ばなきゃ」ってなったみたいです。
僕はその放送を見ていなかったんですけど、先輩から電話が来て「あのタモリさんがお前のモノマネを『いいとも!』でしてるぞ」って言われて知りました。それから気がついたら毎週「いいとも!」に出ていた感じです。タモリさんには感謝というか……もう、畏れ多いです。

──どれぐらい忙しくなったんですか。
ああ……でも、今の子に比べたら全然忙しくないと思います。僕は絶対に家に帰って寝たいタイプなんですけど、普通に睡眠時間は取れてましたから。
例えば、忙しい人だと大学の文化祭は1日3〜4本こなすんですけど、自分は頑張って2本。営業の需要があるほうではないというか。確かに休日はなかったけど、睡眠時間は確保できるレベルですね。しんどいことはなかったです。
今の子は、テレビだけじゃなくてYouTubeやらSNSやらネット番組も含めて、やることが多くて大変そうだなって思います。僕のときは着ボイスもなかったので。テレビ以外の仕事っていうと、DVDとか……あ……ネタのVHS……ビデオテープを制作する最後の世代だと思います。
──そこからブレイクの時期が終わって。焦りや不安の気持ちはなかったのでしょうか。
うーん……ブレイクしているときもマネージャーさんに「もういいですよね」って何回か言っていたんです。
──「もういいですよね」とは?
忙しいのは「もういいですよね」って意味です。
僕は、たまたまおすぎさんとピーコさんに見つけてもらって、たまたま番組に出してもらって、たまたま売れたので。明確に「今だけだろう」って思ってました。先輩たちからは「お前、冷めてるな」って言われてました。当時からずっと冷めてる感じはあります。
生活もそんなに……家賃は徐々にあげましたけど、10万円以上のところに住んだことはほとんどないです。ブレイクしたときに変わったのは、仕事の帰りにコンビニへ寄って好きなものを買えるぐらいですね。もともと派手なことをやりたい気持ちがない。お酒も飲めないので、美味しいもの食べたいな、ぐらいです。バイト時代とそれほど変わらない生活をしていたので、浮かれることもなく焦ることもなかったです。
思い出作りに40万円

──そもそもどうして芸能界に? 吉本興業の養成所(NSC)に通っていたそうで。
服部栄養専門学校に通って調理師の資格だけ取って、就職せずにバイトをしてプラプラしたあとに、思い立って養成所に入りました。……これを言うと先輩に怒られるんですけど、強い気持ちがあったわけではなくて「思い出づくり」としてNSCに入学したんです。
──思い出づくりにしても、お金がかかりそうで。
僕がいたときは、入学前に40万円を払わなきゃいけなかったんですけど、他の事務所さんだと60万円ぐらいしたんです。吉本より20万円高い。
吉本は大手事務所なのに40万円。これってもしかしたら安いのかもしれないって思って入学しました。バイトしている間に40万円は貯金していたのもあって、躊躇はなかったです。でも……別の養成所に通っていたら、違う人生になっていたかもしれないですね。今思えば。
──養成所では好成績だったと聞きました。
好成績というか……僕がいたときはNSCは選抜クラスとそうではないクラスで分けられていたんですね。養成所って「地元のクラスで一番面白いヤツ」が集結しているんですよ。それがひしひしとわかる。
授業中に、先生が「これを使って一発ギャグをしてください」と問題を出すと、みんなすごい勢いで「はいはいはい!」って手を挙げるんです。僕は全然手を挙げられなかったんですけど、見た目に特徴があるらしくて、先生に当てられるんです。「手を挙げてないじゃないですか」って感じなんですけど。そういうのがあって、選抜クラスに選んでもらえただけな気がします。

──「思い出づくり」だったから、ブームが去ってもそれほど落ち込まず……?
そうですね。ある程度、予想はできていたので落ち込む気持ちもほとんどありませんでした。あんまり世の中に対して期待していないから……ですかね。何かに期待しちゃうと、下がったときショックじゃないですか。例えば、ジェットコースターに乗るときも「これ落ちるな」って思って乗る。落ちたら落ちたで嫌ですけど衝撃は少ない。落差を感じるのが嫌なので、最初から「長持ちしないだろうな」と思っていました。
──「しくじり先生」に出演したときは、貯金を切り崩していると話していたのが印象的でした。
貯金に手を出している定義がよくわからないけど、ずっと昔からお金を使ってなかったので。バイトしながら40万円貯められるレベルの生活をしてるぐらいなので。
一人暮らしだから、お金を稼がなきゃと切羽詰まることはほとんどないです。後輩とか友だちとか、周りは結婚して家族がいたりするので、そういう人たちを見ると自分はまっとうな人生は歩めてないとは思います。でも、それほど結婚願望も強くない。
……困っているって言ったほうがいいですよね? 最低限生きていけるだけの貯蓄があればいいから、焦りもないんです。ちょっと生きていけるぐらいのお金は常に貯めてます。だから、仕事にあまり執着しないというか、ガッツがないように見えるのかもしれないです。
悩んでいるよりは、辞めてすっきりしたほうがいい

──冷めてると言いつつ、なんだかんだ芸能活動をずっと続けていますよね。
そうですね。吉本興業は大きな事務所だから、スタッフの人も芸人もたくさんいる。だから嫌な人は避けられるんです。仲の良い、気の合う人だけと付き合っていける。嫌なこと言ってくる人は距離が置けるのが自分に合ってます。僕としては、性格とか価値観の合わない人と一緒の空間にいることが、かなりストレスなので。
━━逆に、ここ最近は福島の「住みます芸人」や、サッカーの長友佑都選手の専属料理人を2か月で辞めて。「すぐに辞めてしまう」ことも話題になりました。
福島は地元なので、実家に帰りつつ「住みます芸人」をやらせてもらいました。これは、辞めたいなぁと思ったというより、長友選手に「専属料理人をやってみない?」とトルコに誘ってもらって、勝手に運命を感じちゃったのがきっかけで辞めました。「調理師の免許を持っていたのもこの機会のためだったのかも」みたいな感じで。
━━でも、トルコでの生活もすぐに辞めてしまった。
海外だと日本語を話せる人もいないし、関わる人が本当に2、3人になってしまった。そうすると吉本みたいにいい感じに距離を置くこともできないから、妙なホームシック状態になってしまって。とにかく辛くなって2か月で帰国しました。
━━辞める時って怖くないですか? 「根性がない」と思われそうだとか、食い扶持はどうしようとか。
側から見ると「すぐに辞めるヤツ」とか「逃げた」と思うかもしれないけど、一応自分で納得して出した答えだったので。長友選手も理解してくださりましたし。環境に合う、合わないって飛び込んでみないとわからなかった。

━━仕事って、相性に左右されることもありますもんね。
お金の心配とか評判を気にするのより、辞めたい気持ちが勝ったときは逃げてもいいと思います。瀬戸内寂聴さんの言葉で「病気にならないためにも、嫌なことは早く忘れましょう」というものがあって、腑に落ちました。
悩んでいるよりは、辞めてすっきりしたほうがいい。貧乏でもいい。最低限のお金は必要だけど、メンタルを病んでまで執着しなくてもいいと思います。苦しんで生きていくよりも、楽しく暮らしたい。せめて人間性だけでも明るくね。
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━━トルコから帰ってきてからはどういう生活を?
帰国してからは、実家だったり、後輩の家に泊めてもらったり、プラプラしていました。ちょうど去年の今頃、東京に引っ越してきました。
基本的には暇ですよ。月に3〜4回ぐらい劇場に出て、単発でバラエティ番組に出演して。あとは家で料理してますね。
━━料理。
料理って言えるのか微妙なところなんですけど、いろんな具の「たい焼き」を作ってInstagramにあげてます。
━━始めるきっかけはあったんですか?
会社から「Instagramで何かやってみたら?」と言われていて、どうしようかなと思っているときに、後輩から提案してもらったんです。「三瓶さんは、たい焼きが好きだから、自分で中身変えてみて投稿するのが良いんじゃないですか」って。
実際、たい焼きは好きだし、手間もかからないし、気負わずできるかなと思って始めてみました。甘いのとかしょっぱいのとか、いろいろ具材を変えて試してます。
仕事っていう仕事はそんなにしていないですね(笑) 周りからは「焦ったほうがいい」って言われるんです、もうちょっと。
家賃しかり、生活水準しかり「派手にした方が芸人として良いだろ」とも言われるけど、僕には全然合わないので。いろんなタイプの人間がいますから。
──今、幸せですか?
売れっ子になっていたときと幸せ度合いは……というか、売れっ子だったときは自分が幸福だとは思っていなかったので、今のほうが幸せですね。人間っぽくいられる。