命と引き換えに仕事はできますか? 坂本龍一の答えが胸を打つ

    アカデミー賞を受賞した監督からオファーがあったのは、がんを患ってから1年後だった。

    老いる、という言葉を聞いた時、あなたはどんな印象を受けるだろうか? 例えば、こう説明する人がいる。

    人間は生まれてから20歳くらいまでは、どんどん成長していきます。その後二十年くらい停滞する時期がありますが、そこからはかつて成長したのと同じくらいの勢いで衰えていく。

    赤ん坊が急に言葉を話したり、立ち上がって歩いたりしますが、老化も同じようなもので、昨日までできたことが急にできなくなる。

    それは死ぬまで続くんでしょうし、そうやって死に向かう階段を降りていくことこそ、老いるということなんでしょう。

    これは2012年。当時還暦を迎えた坂本龍一さんが文藝春秋に寄せた『60歳 還暦の悦楽』という手記に綴られていた一節だ。

    かつて「若者たちの神々」とまで呼ばれた坂本さんが、人生について語る様は実に柔らかい。「死に向かう階段」を目の前にした時、後悔や絶望といったマイナスな感情が芽生えるかもしれない。

    しかし、最後には「70歳になったら、どんな曲を作り、どんなピアノを弾くようになるんだろう。そんなことを思うと、多少みっともなくてもいいからもう少し生きてみたくなる」と手記を締めくくる。

    この階段を「どう降りるか」こそが大事なのではないか?と考えさせる手記だった。

    その後、坂本さんは2014年に中咽頭がんを患い、死の淵をさまよう。それでも、わずか1年足らずで現場に復帰する。その仕事とは、アカデミー賞受賞作品である『レヴェナント: 蘇えりし者』だ。

    このような状況に立っても、なぜ新しいことにチャレンジできるのか? 「デジタルガレージ ファーストペンギンアワード 2017」の授賞式でその真髄を語った。

    自分の仕事と命。どちらが大事なのか?

    坂本さんは2014年にがんを患い、「仕事を1年ぐらい休んで、ゆっくり回復して仕事に戻ろうと思っていた」という。しかし、1年足らずのある日、自宅に電話がかかってきた。相手は、『バードマン』でアカデミー賞を受賞したばかりのアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督。『レヴェナント』の音楽制作の依頼だった。

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    坂本さんは、イニャリトゥ監督に病状のことを伝えたが、返ってきた答えは辞退のNGだった。「『明日LAに来てくれ』って言われまして」と苦笑しながら当時を振り返る。

    「もともと彼のことは大好きで大変注目していた監督でもありました。しかも、アカデミー賞を受賞した『その次』の映画ですから、世界中の作曲家が望んでも、手が出ないくらいやりたい仕事。先方から『やってほしい』と言ってくれている。やった方がいいんだけれど…」

    命か仕事か? 単純な二元論には動かされなかった。

    「大変な仕事になるっていうのは分かる。この仕事をしたら、癌が戻ってきてしまう…再発するんじゃないかとも思いました。文字通り生きるか死ぬか。これで死んでもしょうがないんじゃないかって。死ぬ覚悟でやりました」

    死のリスクを背負っても、なぜこの仕事を引き受けることにしたんだろうか? こう質問すると、自身のキャリアを振り返りながら、答えた。

    「自分の仕事はコラボレーションが多いんです。音楽家はもちろん、映画、美術家…。僕はね、例えば一人で音楽を作っているときも、常にまだ自分から出てきていない新しいものが出てくることを望んでいる」

    「自分でやってきたことが『できる』のは当たり前。今まで、『できていない』ことを今日、今、見たい、聴きたい。長く仕事をしていれば、いろんなことをやっているから、新しいことが出てくるのは難しいんです」

    世界から賞賛される巨匠でも、新しいものを生み出すことは難しい。

    「自分から出てくるものは、自分が一番知っている。なかなか自分は騙せない。でも、『まだ何かあるんじゃないか?』と思っていて。とはいえ、それを見つけるのにも苦労していて。今までやったことのない音楽とか音、アイディアが出てきたときは非常に嬉しい。それが僕にとって『生きる』ことだから。その時、最高の監督と音楽の仕事ができる。それで命が終わっても本望。いつもそういう精神でやっています」

    老いを実感する中で、坂本さんは「ピアノがうまくなった」とかつて発言した。あるとき突然、今まで弾いてきたピアノの音が違う境地に行ったのだという。

    どうやって老いの階段を降りていくのか? 悦楽の考えは、がんを経ても変わらない。

    アワードで奏でられたピアノの音は、確かに美しかった。