オーストラリア出身のニコラ・スコット。彼女は『ワンダーウーマン』や『スーパーマン』などのDCコミックのヒーローを描いてきたマンガ家だ。

世界的に人気な作品を描く彼女のスタートは遅い。「もうすぐ30歳になってしまう」と人生に悩んだときに、この世界に踏み出したのだ。
まだ男性作家の多いこの業界で、彼女は「外国人女性」としてある夢を掴んだ。
その軌跡を、10月にロサンゼルスで開かれたAdobe MAXでの講演で語った。本記事では彼女のスピーチを抄訳し、紹介する。
表現の世界で生きて行きたかった。バイトに明け暮れた20代
11歳のとき、学芸会で主役をやらせてもらってから、私の夢は女優でした。学校では演技を学び、大学ではパフォーミング・アーツを専攻しました。演技は私のすべてだったし、表現の世界で生きていこうと思ってた。
学校を卒業してから、いくつオーディションを受けたことだろう? 私はいつも選ばれませんでした。当然、食べていけるわけもなく飲食店でアルバイトをする毎日。気がつけば27歳になっていました。
焦燥感に駆られる私を脇目に、姉たちはグラフィックデザイナーやミュージシャンとして活躍していました。彼女たちは2人共10代の頃からいろんなアワードで表彰されていていました。
どうすればいいのだろう? 表現の世界で生きていきたいのに。
演技の足しになればと縫製の勉強をしました。デザインの勉強をして衣装を作れるようになって、仕事の依頼もくるようになりました。女優ではなく「衣装屋」として。友達のウェディングドレスを作ったこともありました。
うだつの上がらない私を見かねて、姉は私にイラストの仕事を依頼してくれることもありました。もともと母がイラストレーターだったので幼い頃から絵の描き方は教えてもらっていたからです。でも……どうにもしっくりこない。創る楽しさはあるけれど……。
このままでいいのだろうか? この悩みが晴れることはありませんでした。
30歳間近のある日。2次元の世界に踏み出した
でも、ある日曜日の朝。いつもと同じ様にパンと紅茶を手に持ちながら、「もうすぐ30……私、何がしたいの?」と自問したとき、ひらめいたんです。「あ、ワンダーウーマンだ」って。
思い返せば、幼き日、私は神を見つけたかのような感覚になったんです。姉たちは恋愛の話をしているけれど、幼かった私は馴染めなくて。
その近くでぼんやりテレビを見ていたら、リンダ・カーターが演じるワンダーウーマンが銃弾を避けながら戦っていたんです。その瞬間、宗教というか、信じる道みたいなものを発見したんですよね。
当時はまだ固定電話で話をする時代。電話で話しながらワンダーウーマンの絵をよく描いていたんです。30歳間近になるその日までずっと。
閃きから20分後には本屋でマンガを買っていました。その瞬間まで、マンガ売り場は素通りしていたんです。でも、いざ足を踏み入れてみると「私の世界」だった。買えるだけ買った。それからマンガの世界に熱中していきました。
そこで働く店員ともすぐに打ち解け、どうすればマンガの仕事に就けるのか教えてくれました。即売会場で自分の作品を持っていけばいいと。それが近道だよと教えてくれたんです。
ふと思いました。オーストラリアという市場は小さいのでマンガを仕事にするにはベストではないかも? そしてもうひとつ。DCコミックの世界には「女」は少ないのではないのか――。
アメリカで開催するコミック・コン・インターナショナル(通称:コミコン)に参加することに決めました。意外と軽い気持ちで踏み出したのを覚えています。

とはいえ、世界的な即売会に初めて参加してみると、あまりに多くの人が参加しているので、怖気づきました。
持ち寄った作品はゴミみたいなクオリティで誰にも見てもらえなかった。埋もれたんです。悔しさも覚えましたが、自分の課題も見つけられたのでよかったです。
オーストラリアに帰国してから一念発起し、自分の車を売って、絵に専念する生活をはじめました。1年後、リベンジすると誓って。
女優を目指していたときとは、スタンスが違っていました。かつてはオーディションを「待っていた」だけ。受動的だったんですね。でも、クリエイティブの仕事をするには才能や実力はもちろん戦略も必要だと学んでいたのです。

次の年には、闇雲にドローイングをするのではなくて、DCコミックの編集者にアプローチしようと決めていたんです。ワンダーウーマンがいる場所ですからね。
実は、コミコンに初参加した時にDCコミックの編集者にイラストを見てもらっていたんです。
私以外にも何百人ものイラストレーターがポートフォリオを見せていましたが、私のことは覚えていてくれた。オーストラリアから来た背の高い女がDCコミックのイラストを見せてくるなんてレアだったんでしょうね(笑)。

もらったアドバイスに食いつくように技術を磨きました。落ち込んで逃げ出す人もいるかもしれないのですが、しがみついて、毎年、毎年アップデートしてきました。DCコミックの編集者はその姿を見ていたんだと思います。

コミコンに参加するようになってから5年目の最終日。初めて会うDCコミックの編集者から「女性のヒーローを描く仕事をして欲しい」と声がかけられました。男性が多いDCコミック業界において、私はこの作品にぴったりだったのでしょう。
彼らは私の根気を買ってくれたのか、次第に仕事を依頼してくれるようになりました。もちろんこの間にネット上でイラストを公開するようにしていて、そこから声がかかることもありました。
私は気がつけばDCコミックの専属契約を結び、ホイールに乗せられたハムスターのように働きました。週7日。休みなく毎月22ページのコミックを描く。スーパーマンをはじめ、多くのヒーローを描き続けました。
とても楽しくて夢中な時間。でも、やればやるほどに他のクリエイターとも比べてしまって気持ちを病んでしまったんです。過労だったのかもしれません。
私がDCコミックに在籍している時にはワンダーウーマンを担当することはありませんでした。長いこと陽が当たらなかったヒーローだったからです。それだけが心残りでしたが、DCコミックから独立して、仕事を調整することにしたんです。
それから数年経ったとき、『ワンダーウーマン 75周年記念プロジェクト』に声をかけられたのです。独立はしたものの、DCコミックからは「あなたの仕事をとても信頼しているので、ワンダーウーマンを好きなように描いてください」と。
私はラッキーだと思います。運に恵まれている。それでも、あのとき自分の人生戦略を変え、ゲーム・チェンジしたことが夢を叶える一歩になったのだと思います。