「40代は“歳をとっている”うちに入らない。私なんて一番体がキレッキレの時でしたよ」
真夏の太陽のように語るのは、LiLiCoだ。彼女は「王様のブランチ」などで活躍しながら、44歳にしてプロレスラーデビューを果たし、約7年の間、リングの上で闘っていた。しかし、今年3月に引退し、涙を流しながらリングの上から去った。多忙を極める40代で、なぜ闘いの道へ進んだのだろうか。
「王様のブランチ」の裏側で
――LiLiCoさんと言えば「王様のブランチ」での映画コーナーのイメージが強いですが、その裏で闘っているとは思えませんでした。LiLiCoさんがプロレスラーだと聞いて驚く人も多い気がします。
リングシューズを履いて「王様のブランチ」に出ているわけじゃないのでね(笑) ブランチ以外にもいろいろなインタビューをしてきましたが、両国で試合をした後に取材が入ったこともありますよ。
――闘った後にインタビュー……?
ええ。試合の後、阿部寛さんにインタビューしたこともありました。土日に試合をして、月曜日に「ノンストップ!」に出たりとか。試合の時はアドレナリンがすごく出ているので、痛みを感じないんですけど、現場に到着するなり「どうしたんですか!? 目の周りが緑色になってます」とお気遣いいただいたこともありました。
試合でキャメルクラッチをされた時は、顔に力を入れすぎて顎が外れましたし。すぐ治りましたけど。
――ハード過ぎませんか?
日頃のストレスを試合で発散してたんだと思います。蹴れるし、飛べるし。毎回ケガはするんですけど、最高に気持ちが良かった。リングに上がると自分がキレイになっていることがわかったし、輝いていました。
44歳でプロレスデビュー「年齢なんて考えてなかった」
――そもそも、LiLiCoさんはどういうきっかけでプロレスラーを志したんでしょうか?
昔の男。
――えっ。
「昔の男(大爆笑)」って書いておいて! 彼氏の影響でプロレスラーになりたいと思った部分はありますが、実はその前……MXテレビの開局当時に、番組の企画で浜口京子さんと闘ったことがあるんですよ。
――女子レスリング選手の浜口京子さんですか?
そうそう。当時の私は、筋肉がまったくなかったので、京子さんはかなり手加減してくれました。その時に、お父様であるアニマル浜口さんから「ビューティーLiLiCo」というリングネームをもらいました。記念につけてくれたものだと思いますけど(笑)
でも京子さんと"闘った"ことでわたしの中の何かがスパークしました。「これだ!」と。確実にこのことがプロレス人生の大きなスイッチになりました。
その番組のつながりで新日本プロレスを観戦しに行き、小島聡さんにハマってました。色気がすごくてかっこよかった! 私の生まれ育ったスウェーデンではプロレスを見られる機会がないので、日本に来て感化されました。プロレスラーに憧れて、金髪のショートカットにしてたぐらいですよ。当時、私は「神取」って呼ばれてました。似てたから!
その後に、彼氏と一緒に契約したスカパー!を通してアメリカのプロレス団体「WWE」にハマり、WWEに出てくるディーヴァ(女性レスラー)に憧れて「こういう風な素敵な女性になりたい」と思うようになりました。今の私の髪型も、ディーヴァに影響されています。ウェービーな髪を振り乱して闘うのが最高にかっこいいので。
――神取忍さんからディーヴァへ。
神取忍さんもカッコよくて憧れますけどね。自分の趣味が変わっていった感じです。もう20年ぐらい前になりますが、あるプロレス団体の門を叩いたんですよ。でも「どなたですか?」という感じだったので、もっと知名度をつけて出直そうと誓いました。売り込むのが早すぎた。
プロレスデビューのきっかけになったのは、2014年にDDTプロレスからリングアナウンサーとして声をかけてもらったことです。きっと、私がラジオ番組で、巻き舌のリングコールで有名なレニー・ハートさんみたいに「ラァアアアッヒィイイ」とよく叫んでいたからだと思います(笑)
こんなチャンスは二度とないと思ったので、DDTの高木三四郎社長に「私、闘いたいんです」と直談判しました。
――プロレスデビューされたのは、44歳の時だと思うのですが、年齢については考えたり……?
何も考えてなかったですね。年齢はまったく気にならない。40代なんて、まだまだ若い。「人生の折り返し地点」とか言いますけど、人生に折り返し地点なんてないですよ。波はありますけど、道自体はずっとまっすぐだもの。
今振り返ると、プロレスデビューの準備と並行してボディービルにもチャレンジしていたので、40代が、一番キレッキレの状態でした。ささみばっかり食べてましたね。
――かっこいい。
ボディービルの方では、フィットネス・ビキニ部門の35歳以上163cm以上の部で日本5位になれたので、自信がつきました。やっぱり人間は、それなりの運動です。仕事で疲れていてもジムに行って体を動かしてると、元気になります。私は40代でゼロから体づくりを始めたんですけど、変わっていくのが楽しかった。特にプロレスに関しては、タレントのお遊びとは思われたくなかったので、かなり前のめりにトレーニングをしてました。
夫から言われた「LiLiCoが小さく見えた」
――LiLiCoさんは、リングの上で男性と闘うことが多くて驚きました。怖くないのでしょうか?
怖くないですね。私の方が強いと思っているから。一応、DDTには女子プロの部門もありますけど、女性と闘うと相手の骨を折ってしまいそうで、逆に怖い。私は体が大きいから。
――とはいえ、アジャ・コングさんとの闘いは激しくて痛そうでした。
彼女の場合は、肉体よりも眼光ですね。リングインする前、にらまれただけで、人生で初めて「殺されるかも」って思いましたもん。無言でにらんでくるのが怖いんですよ。
何度か闘わせていただきましたけど、やはりプロレス界のトップなので怖くても嬉しかった。タレントではなく、プロレスラーとして見ていただいてたのはよくわかりました。
――芸能活動と並行してリングに立ち続ける方って多くはないですもんね。特別マッチとして1回だけリングに上がるという話はよく聞きますが。
他の仕事をしながらでも、多いときには月に1回はリングで闘っていたので。やっぱり、プロレスラーになりたかったし……向いていたと思うんです。いろんな仕事してますが、何よりも向いていますね。だからこそ、引退を決めたのはつらかったです。
――引退を決めたのは、2020年に膝蓋骨を骨折したのが大きいんですか?
はい。卵を買いに行った時に転び方を失敗して、膝蓋骨を骨折したのが原因です。このケガは完治しないので、ランニングもできなくなってしまい、引退するしかないと。リハビリも、また骨が壊れるんじゃないかってくらい痛いのでかなりハードです。
でもね、この前引退試合したわけですけど、もう復帰したい。すごいイライラしますもん、やっぱり。離れてみると、思ったよりも自分がプロレス好きだったのがわかります。
私が引退する時、リングに羽を置いたのを見て、主人が「LiLiCoが小さく見えた」と言っていて寂しくなりました。私はすごく大きなものを失ってしまったんだなって。
玉城ティナの「映画の才能」に度肝を抜かれた
――無念の引退で悔しい思いをされた後でも、LiLiCoさんが今こうしてパワフルにいられるのはなぜでしょうか?
よく言われるんですよ。「なんでLiLiCoさんはそんなに明るいんですか」って。元気に見える理由は、衣装を着てキャラクターを作っている部分もあるけれど、やっぱり良い映画をいっぱい見てるからだと思います。映画は生きる上でのヒントを運んでくれる最高の娯楽。
私は国際短編映画祭「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア」のアンバサダーを務めさせてもらっていますが、私は落ち込んだ時によくショートフィルムを見ます。
哲学的なものが多くて、10分ほどの作品が生きる希望をくれたりします。長編はもちろんですが、短いからこそメッセージがストレートに伝わりますし、映画って必ずしも答えみたいなものを出さなくていい。様々な国の空気感、文化、センス、そして雰囲気でも見られるところも魅力だと思います。
今回もいろいろな作品が出品されているんですけど、一番びっくりしたのが玉城ティナさんが初監督した作品。
――モデルの玉城ティナさんですか?
そうそう。『物語』というショートフィルムなんですけど、脚本に度肝を抜かれました。「人気モデル」の先入観が覆されます。陰のあるシンプルな絵の作品ですけど、ラストにはどんでん返しがあって驚きます。すごい才能を感じました。今回の推しです。
歌手、映画コメンテーター、ボディビルダー、プロレスラー……その先は?
――LiLiCoさんの天職がプロレスラーだったように、玉城ティナさんの天職は監督なのかもしれませんね。
玉城さんは、いろいろな映画に出て、その現場でたくさん学習して、自分の道を自分で越えたんだと思います。コロナ禍が落ち着いてきて、多くの人が新しい道を持つことを考えている時期だと思うので、そういう意味でも胸に響きますよ。
私なんて芸能活動を始めた当初は映画コメンテーターでも何でもなくて、歌手でしたから。そこからプロレスラーやらボディービルダーに行き着くなんて思ってもみませんでした。
やっぱり……プロレスラーは引退したくなかったなぁ。
でも「引退」しても「復活」する方もいますからね。DDTだから「肛門爆破」とか、いろいろな手段があるので、考えてます。DDTの皆さんも「何かあったらいつでもおいで」と言ってくださるので、奇跡が起きたら戻りたい。プロレス業界の方々は、本当に温かい気持ちを持ってますからね。
――LiLiCoさんも、また新しい道を探されているとか?
それもありますね。プロレスラーに戻りたい気持ちはありつつ、常に新しいことを始めたい気持ちはあります。去年ミュージカルデビューできたのは、大きかったです。ずっと舞台に立ちたいと思っていたので、50歳にしてまたひとつ夢をかなえられました。
――ミュージカル「ウェイトレス」では、人生経験豊富な年長者を演じられていました。
そうそう。すごく楽しかったのでまたやりたいです。ただ、私自身がパワフルすぎて年相応の役が逆に難しいんですよね。メイクもセルフでやらせてもらったんですが、ブロードウェイの方々にリハーサルをリモートで見てもらったら、ハキハキしすぎて「No! Perfect Woman!」とフィードバックされたんですよ。
――Perfect Woman?
中年独特の疲れた感じが出せないんですよ。「完璧な女性に見えちゃう!」とのことでした。私のスキルもあるかもしれないですけど、歳を重ねてもっと上手に哀愁を表現できるようになると良いと思っています。あくまで表現としてね。次また舞台に立たせてもらえるのは、来年かもしれないし5年後かもしれない。その時に、もっと楽しめるように準備していたいです。
リングにも上がるし、ステージにも立つ日が来たら最高ですね。人生、これから!