「去年は勝負の1年だったんですよ。だからコロナの影響でいろいろ中止になって、最初はすごく焦っちゃった」
そう語るのは、きゃりーぱみゅぱみゅだ。2011年にリリースされたデビュー曲「PONPONPON」が、YouTubeやiTunesを通して世界中で注目されてから今年で10年になる。
1月29日に28歳の誕生日を迎え、自主レーベル「KRK LAB」を立ち上げ、新曲「ガムガムガール」をリリースした。

2010年代を牽引してきた彼女は、2020年代をどう見据えているのか。話を聞くと、コロナ禍での影響も大きく受けたという。
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LINEで思わず不安を吐露
──コロナ禍で数多くのイベントが中止になる中で、きゃりーさんは2020年をどう過ごしてましたか?
デビューしてから、ファンの方にこんなに会えないのって初めて。このまま、みんながいなくなっちゃうんじゃないかという不安がめちゃめちゃありました。
2020年は自分の中で勝負の1年だったんですよ。メキシコのフェスとかコーチェラ(米国の音楽フェス)の出演が決まって「本格的に海外へ向かうぞ」と気合いをいれていたのに、全部が延期や中止になってしまった。
きゃりーの仕事って私一人のことじゃないんです。メイクさん、スタイリストさん、音響さん……「コーチェラで仕事ができるなんて夢みたい!」という感じで、チームみんなの夢だったんですね。
だから、みんなの夢とか希望が壊されたような感じで、すごく悔しかったし、やるせなかった。仕事もプライベートもすべての予定が(仮)。すごい時代になったと思って、不安になりました。

──つらい時期はどうやって乗り越えたんでしょうか?
落ち込んでる時に、LINEでPerfumeのあーちゃんに「仕事が全部なくなっちゃってすごく不安だし、どうやって生きていけば良いんだろう」って相談してみたんです。
あーちゃんからは「Perfumeも同じ状況で、出たかったフェスが中止になってしまったけど、私たちだけじゃなくて、世界中のみんなが同じだから、焦らなくて良いんだよ」と言ってもらえてから、肩の力がふっと抜けました。
私だけじゃない、日本だけじゃない、世界中そう。きっと、みんなが悔しくてつらい気持ちを抱えた1年だった。悲しいニュースも多くて、想像以上に自分のメンタルもダメージを受けていたのも大きかったと思います。
でも、あーちゃんの言葉をきっかけに、つらいのは自分だけじゃないから、頑張ろうって考えにシフトしていきました。大袈裟かもしれないけど、毎日の生活を一生懸命生きよう、みたいな。
「本名の私」が、生活からほとんど消えていった10年
──あーちゃんからのアドバイスのほかに、考え方を変えようと舵を切れたきっかけって、ありますか?
明確なものじゃないけど、ステイホームする時間が長くなって、気がつくこともたくさんあったんですよね。

──例えば?
今までって、ツアーがあると半年家に帰らないから、家って「眠れれば良い」と思っていたんですけど、もうちょっと生活を見直したい気持ちが沸いた。
観葉植物を買って、毎日グリーンの状態を気にかけたり、料理はまだあんまりできないけど、お惣菜を買ってお皿に盛り付けてみたり。愛犬のあめちゃんと過ごす時間も増えて、犬との暮らしについて「もっとこうなったら良いのに」と思うことが増えました。

──それは、犬との生活でってことでしょうか?
そうそう。ごはん屋さんの多くは「ペットお断り」だし、「ペット可」でもテラス席のみだったり。ペット用の食器やグッズも、もっと可愛いものが増えたら良いのに、とか。
どうしたらペットとの暮らしがもっと豊かになるんだろうなぁって考えるようになりました。時間ができたことで、余裕が出てきたのかもしれない。
今までの10年はきゃりーぱみゅぱみゅとして音楽活動を中心にがむしゃらに頑張ってきて、とにかく毎日が忙しくて、自分を見失ってた。降ってくる仕事をこなすことが大事になっていたんだなぁって。

──きゃりーさんは強い自己を持っている気がしていたので、少し意外です。
20代の前半……21、2歳ぐらいの時かな。テレビに出たり、知名度が上がって、人気者だよねって言われた時期に、家に帰った途端にめちゃくちゃ寂しくなった瞬間があったんです。
ありがたいことに、お休みもなく常に「きゃりーちゃん」が100%。絶頂期だとわかっているのに、すごく恵まれてることだって思うのに、つらかったんですね。
当時は、この切なさがどこからやってくるのかよくわかってなかったんですけど、「本名の私」が、生活からほとんど消えていったことが原因だったんじゃないかなぁって今更考えるんですよ。
──本名の私?
仕事の現場も、友だちからも「きゃりーちゃん」と呼ばれていて、本名で呼んでくれるのは親ぐらい。本当の自分を見失っていたんだと思います。「きゃりー」という存在が大きくなりすぎたまま、ずっと走ってきた。
でもここ最近、仲の良い友だちからは本名で呼ばれることが増えたんですよ。多分、街中を歩いてる時に私のことを「きゃりー」って呼んでると、バレちゃうからだと思うんですけど(笑)
1人が私のことを本名で呼び始めると、周りも影響されて、今ではみんなが本名の方で私を呼んでくれるようになったんです。これまでずっと枯れていた本名の私が咲いてきた。
仕事を待っていたら、あっという間に時間が過ぎていっちゃう

──人前に立つときと、プライベートのときって全然違いますもんね。
一生懸命走ってきた「きゃりー」も大事だけど、「本名の私」も大切にしてあげたい。
本名も「K」から始まるんですが、きゃりーの「K」と本名の「K」のどちらも自分。「K Reversible “K”」の意味で「KRK LAB」という新しいレーベルを立ち上げました。
音楽活動は好きだし、続けていきたいし、もっと頑張りたい気持ちは前提にあるとして、コロナ禍で痛感したのは、仕事を待っていたらあっという間に時間が過ぎていっちゃうということ。
──どういうことでしょう?
配信で音楽をリリースすることもできるけど、ライブはできないし、「いつお披露目できるんだろう?」って。
コロナ禍で空いた時間に、待ってるだけじゃなくて、もっと自分主導でいろんなことをやっていきたいなぁって気持ちが芽生えました。さっき話した新レーベルでは、音楽だけじゃなくて、私が自分からやりたいことを突き詰める場所にしたいと思ってます。
──音楽以外だと、どんなプランがあるんですか?
犬のグッズとかも作っていきたいなと思いつつ、去年からは金木犀の香りがする香水を作っているんです。クラウドファンディングを使って。
──原宿っぽい感じは、あんまりしないデザインですよね。
そうそう。金木犀って、誰もが嗅いだことのある香りだから、これまでのきゅるんきゅるんな可愛い女子向けのデザインじゃなくて、男性でも手に取りやすいユニセックスなものにしました。
「きゃりー」のイメージを超えたモノを作りたかったっていうのもあります。
──手広い。
もう時代が変わっていて、いろんな面を出していかないと、取り残されちゃうし、メンタルにも良くない。
これはコロナ禍よりちょっと前の話なんですけど、ありがたいことにフェスだと、いつも一番大きなメインステージでやらせてもらっていたんです。でも、19/20年の年越しフェスは少し小さなステージになった。
──つらい……。
悔しい気持ちはあったけど、それよりも「当たり前だよな」って思ったんですよね。新しいスターはどんどん出てきてるのに、私はヒット曲も話題も作れてなかったし。
紅白に出られなくなったときよりも、もっとこう……今まで当たり前だったことがそうじゃなくなる瞬間って、めちゃめちゃ怖くて、ついに来たんだと。
現場だと、きゃりーチームを引っ張るのが自分だから平気な顔をしちゃうんですけどね。そういうときこそ、みんなを盛り上げないといけないし。
同時に「このままじゃあかんぞ」っていう気持ちも湧いて、絶対入場規制をかけようと思ってすごく気合いを入れてライブをしたんです。
20/21年のカウントダウンではまたメインステージに呼んでもらえたから、2020年の年末は、すごく楽しみにしてた。
──2020年は年末のフェスも全部中止になってしまいましたもんね。
そうそう。でも、またメインに呼んでもらえたってことは自分の中で大きくて。受け身で待ってるだけじゃなくて、自分からどんどん話題を作っていかないとなって実感したんです。
私自身も譲ってもらったステージに立ってるわけだし、そういう変わり目があるのもわかるけど、守らなきゃいけないものもあるんだぞ……みたいな(笑)
今回、10周年にあたって昔の写真を見る機会が多いんですけど、昔の方が大人っぽい顔をしているんですよ。すごくツリ目で「私が一番最高だ、天下とってやる」みたいな表情をしていてた。
中身も尖っていて、それが表情にでちゃってるなぁって。メイクは10年前と変わってないんですけど、今の方が少しタレ目っぽい。素の自分っていうか、戦闘状態以外のナチュラルな部分も大事にしたい。
──生きやすくなったとか?
コロナ禍で、「きゃりーちゃん」としてのお仕事が中止になって、もちろん最初は不安になったし落ち込んだけど、意図せずこれまで枯らしてしまった「本名の私」を見つけられて、メンタルがヘルシーになりました。
悩みは少ない方だけど「どうしてこうなんだ!」と怒りに身を任せるよりも、落ち込む瞬間もありつつ、現実を受け止めて改善しようと思えるようになりましたね。