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「かわいげがない」のほんとうの意味を、私たちは知っているだろうか

女は女らしく、というビンに閉じ込められている気がして息苦しかった。でも、それは誤解だと60代の伯母の「ある吐露」が私に訴えかけた。

「おまえ、かわいげないよな」

こう言われたことがある女子は多いんじゃないだろうか?

確かに私はガサツだし、男勝りな性格だ。黄色い声をあげて青春を謳歌する女子を横目に、勉強も仕事も、身を粉にして向き合ってきた。自立したい――ただそれだけのために。

我慢や犠牲の先には、きっと報われる何かがあると思いたかった。でも、どうしてだろう? 階段を昇れている気がしない。

視界の端っこには、楽しそうに笑うふんわりとした女子がいた。パステルカラーをまとって、甘えた言葉を発する彼女たちを見るたびに、「私はかわいげがない」と思った。それだけではない。「あの子たちには自分がない」と軽蔑していたし、恨めしかった。

かわいげがなければ、がんばるしかない社会

なんだかんだ、今の社会は男性優位だ。だからこそ、ガツガツ自立心に燃えていると「かわいげがない」とフタを閉めてくる。女は女らしくというビンに閉じ込められている気がして息苦しかった。

ある調査によると、「上昇志向があっても苦労する女性にとって、一番の壁は何だと思いますか?」という質問で、最も回答数が多かったのが「男性優位の風潮」だった。もしかしたらこんなふうに思うのは、私だけではないのかもしれない。

哲学者の鷲田清一さんは"「可愛い」ができなければ「がんばれ」をしうる"のが近代社会だと語る。

女性も老人も子どもも、その耐候性、破壊性を封印され、「可愛い」存在であることでしか安寧を約束されないという体制が社会に浸透していった。そうなりたくなければ「がんばれ」、というわけだ。

「がんばれ」というのは、「強い」主体になれということだ。「強い」主体というのは、みずからの意思決定にもとづいて自己管理ができ、自己責任を担いうる主体のことだ。そういう「自立した自由な」主体が、社会の細胞として要請される。それ以外の者は、「社会にぶら下がる」ことでしか生きられない保護と管理の対象としてみなされる。

――「大人のいない国」(内田樹 / 鷲田清一)

私が「かわいげのある」女性に向けていた軽蔑の視線はここにあった。

60代女性の吐露「どうして結婚していないだけで、欠陥があるように見られるの?」

かわいげがないと言われる人は、往々にして「誰にも迷惑かけていないのに」と思っているように見える。自立志向が強いのだ。

ある晩、叔母が突然家にやって来た。目は虚ろで無表情。鬱経験のある私は、一瞬で「メンタルをやられている」とわかった。「隣人に監視されている」「今も見られている」と語る彼女は幻覚と幻聴に襲われていた。兄である父はメンタルの病に慣れておらず、ショックを隠せない様子だった。

私はそれまで叔母とまともに会話をしたことがなかったが、深夜に2人で膝を突き合わせて話をした。何を話していいのかわからないが、なぜこうなったのかひもといていかなくてはならない。

彼女は1970年代に早稲田大学を卒業した。その後中国に渡ったと聞いたが、詳しくは知らない。私が見て来た叔母の姿は「おばあちゃんのお世話をする姿」だけだ。父ですら叔母のことをよく知らない。誰にも自分の話をせず、自活し、親の面倒を見てきた。

滔々と語る中で突然、言葉が熱を帯びた。

「結婚していないだけで、どうして欠陥があるように見られるんだろう? 私は誰にも迷惑なんてかけてこなかったのに。それなのにどうして社会に認めてもらえないの」

60代の女性から発せられる言葉は、アラサーの私たちが発するそれよりはるかに重い。彼女は、はじめて自分の気持ちを他人に吐露したのだろう。顔を見ると涙が流れていた。

マンションの一室。たった一人で何を思って暮らしてきたのだろう? 淡々と繰り返す毎日。テレビで流れる女性の生き方、煽り、ゴシップ……少しずつヒビが入っていく。私は想像することしかできない。

「女の幸せは結婚にある」という社会の圧は確かに強い。しかし、表情をなくしたまま涙を流す彼女を見て、心を蝕んだのは別物だと感じた。

それは、孤独。

彼女は、自立したように見えて孤立していたのではないだろうか。彼女は確かに立派だ。でも、誰かに迷惑をかけることも必要だったように思えた。

「かわいげ」のほんとうの意味

孤立しないために必要なのは、他者とのつながりだろう。誰かに愛されていると感じることで自分を肯定できる。だって寂しいじゃないか。自分の価値がわからないなんて。本当の自分がどこかにいて、それを目指してやみくもに歩くのは不安でしかない。そんなときに「大丈夫だよ」と根拠なく寄り添ってくれるのが、他者だと思う。では、誰かとつながるためにはどうすればいいのだろう? 学校では習わなかった。

どうやら「愛されていると感じる人と、愛に飢える人の決定的な違い」があるらしい。これを説いたのは、ヒューストン大学のブレネー・ブラウン教授だ。共感・所属・愛情といった生得的能力を研究する彼女は、6年を費やしてこの問題を調査した。

愛されているという感覚を持つ人と、人の愛に飢えている人の違いはひとつ。自分は愛されるに値する人間であると信じるか否か、たったそれだけです。自分は愛されるに値すると信じている人が、人とこころが繋がっていると感じる人なのです。

そして、愛されていると感じる人は勇気(courage)を持っていると語る。

courageとは、ラテン語のcor―こころ―を表すのもので、もともとは「自身のことをあるがままに話す」という意味です。あるがままの自分を受け入れる人は、不完全な自分を受け入れる勇気を持っています。完璧ではない自分を思いやり、そんな他人をも大切にします。

彼らは自分に忠実に生きるために、「こうあらねばならない」という像を諦めていました。これは誰かとつながりを得るために必要不可欠なことです。

叔母も私も「自立するためには強くあらねばならない」と強迫観念に陥っていたのだろう。強くありたいから弱い自分にフタをして隠してきた。「女は結婚しなければ認められない」という社会的な圧を盾にして。息苦しいと感じたビンにフタをしめているのは自分なのかもしれない。独身を選択することは悪いことではない。性別だって関係ない。ただ、孤立しなければいいだけだ。

「かわいげ」とは、決して記号的な可憐さではない。女だからかわいくなければならないというわけでもない。どんな関係性においても、自分を愛し、誰かを愛することを可能にする力。性別を問わず、人が生きるために必要なものだろう。

叔母はその後、投薬治療をしながら少しずつ自分の弱さをうけいれはじめた。前より少しだけ自分の話をするようになった彼女の笑顔はかわいらしかった。


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