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一生で一度しか食べられないラーメン。世界で初めてミシュランの「星」を持つ味

星は何をもたらすのか

「今、世界で一番、ありつくのが難しいラーメン」

こう呼ばれる一杯。国産小麦を使用した麺を口に入れると、芳醇な香りが鼻を通る。トリュフオイルに、醤油ダレが合わさるスープはすっと舌に染みこんでいく。体全体がこの香りに包まれると、恍惚としてしまう。

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世界で初めてミシュランの一つ星を獲得したラーメン「Japanese Soba Noodles 蔦」の醤油そばだ。その価格、850円。

なぜありつくのが難しいのか?

店前では、早朝6時半から整理券が配られ、預かり金として1000円をスタッフに渡す。これがないと暖簾をくぐることすら許されない。営業は11時〜16時。指定された時間に再訪し、預り金を受け取ってようやく対面できる。

寒空の下、この一杯を求めて今日も世界中から人が押し寄せる。作っているのは、大西祐貴さんだ。

従業員も知らない「蔦」の味

味の決め手となる「タレ」は、従業員ですら作り方を知らない。定休日に一人で仕込む。

「今でも店に泊まりこむこともありますね。作って作って作って……繰り返し。風呂はないので、厨房からホースで水を引っ張ってきてシャワー代わりにすることもありました(苦笑)。丸椅子を並べて寝たり」

苦労を重ねてできあがる一杯は、食べているその瞬間ごとに味が変わっていく。化学調味料を一切使わないため、温度によって性質が変わっていくのだという。まるで生き物のようだ。

「作り方自体も常に変えています。今日の客さんが、また来てくれた時『同じ味』じゃなくて『もっとおいしい』と思ってもらわないとダメ。完成形なんてないですから。現状維持は退化のはじまり」

蔦の味は、今ここでしか食べることができない。一回性が宿っている。

彼女と歩いていたら、突然開いた「ラーメン道」

大西さんがラーメンを作り始めたのは、高校を卒業する間近の時だった。「複雑だった」と語る家庭。父はほとんど家にいることがなかった。しかし――

「彼女と一緒に歩いてたら、久しぶりに親父が現れて『明日からラーメン屋はじめるから』と誘われて。特別ラーメンが好きだったわけじゃない。でも、久しぶりに親父に会えて嬉しかったのもあると思いますね」と振り返る。

家に帰らなかった父が始めたラーメン店。それが湘南の名物ラーメンとして名高い「めじろ」である。当然、母には反対された。18歳の大西さんは反対を押し切ってこの道に進む。父への愛着と、可能性にかけて。

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5年の歳月が流れた。大西さんは他の世界も見たいと父のもとを離れる。

「おいしさを追求するためには、広い視野が必要だなと。固定観念に縛られたら、『その味』しか作れない。だから、自分自身の人生をちゃんと歩みたかったんです」

踏み出したのがアパレル業界だった。文字通り広い世界を知るために、バイヤーとして各国を飛び回る。

また5年が経った。ラーメンの道へ戻る時が訪れた。あまりに自然な心境の変化だったと語る。「買い付けで世界中のいろんなものを見ているうちに、ふと『ラーメンやりてぇな』って思ったんですよね」。

機は熟した。

「星」がもたらしたもの

再び「めじろ」で2年働き、2012年に「Japanese Soba Noodles 蔦」を立ち上げる。

「独立するからには、自分の味で勝負したい。親父を意識することはないです。ラーメンは自分の表現行為。人生が味に出ますからね。親父と自分は違う。オンリーワンの、今ここでしか味わえない一杯を出す。それだけです」

国産小麦にこだわり、醤油を買い付けに蔵元まで足を運ぶ。すぐに評判は広がり、行列ができる名店となった。現在では整理券を配るようになり、行列はない。この工夫が生まれたきっかけは、突然訪れた。

ある日、送られてきたミシュランガイドからの招待状。そこには「本状が送られたからといって必ず掲載されるわけではありません」と書かれていた。

星を獲得しなくとも招待状は届く。事実、前年度版のミシュランガイドの発表会に大西さんは呼ばれている。良質なコストパフォーマンスの称号「ビブグルマン」を与えられた。名誉ではある。だが、星はなかった。

12月1日――当日の朝。

「ミシュランガイド東京です。今年は『蔦』さんが星を獲得しましたので、どうぞよろしくお願いいたします」との電話があった。前回とは違うことが起きたのだ。

「他のラーメン店も選ばれているんだろうと思っていたら、『一つ星を獲得したレストランを紹介します。ラーメン店ではJapanese Soba Noodles 蔦だけ。初めての快挙です。では壇上へ』と、呼ばれて。その時に初めて理解したんですよ。この状況を(笑)」

116年続くミシュランガイド。ここに金字塔を打ち立てた大西さんの店には、客や報道陣が押し寄せた。近隣には多くの人が住む。 注目が集まるほどに、身近な場所に影響が出る。なんとかこの地でやっていくための解決策が整理券システムだった。

勢いは増すばかりだ。定休日であろうとも、人は蔦の味を求めてやってくる。名誉であることに変わりない。とはいえ、「ご近所の方に迷惑をかけられない」と、大西さんはこの地を離れることも考える。現在はマカオやシンガポールをはじめとする海外進出のオファーも進行中だ。

「自分がラーメン店をやりたいと思ったのも海外の地だったので、これはすごく嬉しかったですね。そば、うどん……日本が誇る麺料理。ラーメンだってそう。日本のラーメンを世界にもっと認めてもらいたい。『Japanese Soba Noodles』っていう言葉は、そんな想いから作ったんです。こうなるとは思ってなかったんですけどね」

次のステージに行くときが来たのかもしれない。「いつかは空を翔ける鳥のように」。彼のブログにはこう書いてある。機は巡る。


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