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結婚しても、出産を経ても「普通に死にたい」。じゃあ、なぜ今も生きつづけるんですか? 金原ひとみに聞く

あんなにも死を渇望してきた「二十歳の芥川賞作家」は、なぜ今も生きる選択をし続けているのだろう?

恋人ができれば、自分の望む仕事ができれば、結婚すれば、子どもが生まれれば、ちょっとは生きやすくなるのかな。そんな風に思っていた。

「あのころ、痛みだけが私に生きている実感をくれたんだ」

スクランブル交差点から見える大型ビジョンに、蛇のようにぱっくりと裂かれた舌を出す、ピアスだらけの男が映る。そして、甘ったるい声で吉高由里子がこう言った。

蛇にピアス』に衝撃を受けた人は多そうだ。19歳の主人公ルイが、スプリットタンに魅せられ、舌にピアスを開け、刺青を施す「身体改造」に夢中になっていく……痛々しく退廃的な世界を描いたのは、当時20歳の新人小説家だった。

作家・金原ひとみ。2004年、過激作を引っさげて芥川賞を受賞した彼女は、無表情のままにフラッシュを浴びていた。

死、酒、薬、煙草、セックス、血、錯乱。こうした単語が並ぶ彼女の作品は、鬱々しく痛い。リストカットを繰り返す、彼女自身の死生観が反映されているのだろう。例えば初期の作品では、こんな風に自殺願望を綴る。

私が死ね。そんな風に考えても結局私は死なない。バカじゃない。死ね。死なない。どうして人間は、自分に殺意を抱いた瞬間爆死するシステムになっていないのだろう。死ね。(『オートフィクション』2006年)

34歳になった彼女は、現在2児の母としてフランスで暮らす。あんなにも死を渇望してきた「二十歳の芥川賞作家」は家庭を持ち、どんな変化を迎えたのか。そもそも、なぜ今も生きる選択をし続けているのだろう。

「Skypeでお話お聞かせいただけませんか?」

こんな無理な要望に、彼女は「やったことないから、緊張しちゃいますけれど」と笑顔で快諾した。

結婚で自分が大きく変わることなんて、なかった

――金原さんの作品の多くは、男女の恋愛が描かれています。金原さん自身、恋愛で何か変わったと思う経験はありましたか?

家族とも友人とも関わりが薄い方なので、そもそも恋愛によって受けてきた影響が今の自分を作っていると言ってもいいかもしれません。

――21歳の時に、担当編集者の方とご結婚されたんですよね。結婚はどうでしょうか?

影響はなかったですね。私は結婚をそんなに大きく捉えていなくて、好きだったら結婚すればいいんじゃないくらいの気持ちだったんで。

1年も付き合わずに結婚しました。お互いの両親に挨拶もしていません。いまだに私は夫のお母さんに会ったことがないんですよ。異例な感じだと思いますが、特に求められなかったのでそれでいいかと。

――「異例な感じ」ですか。

同年代の友だちの話を聞いていると、一般的なものとは違う結婚をしたんだと改めて実感します。結婚は多くの場合、すごく重くのしかかるものなんだなぁと。パートナーの家族との愛憎に満ちた付き合いなど、生々しい話をよく聞くのですが、私はそういうものが皆無だったので。

……でも、やっぱり出産や移住などを経て、人との関わり合いについては、変化していく感覚はあったと思います。

子供に限った話ではないのですが、人に対して「何がどうあっても、自分はこの人を否定できないであろう」という諦めに近い感情を持つようになりました。

――諦め。どういうことでしょうか?

究極的に言えば、愛する人がとんでもない事件を犯したとしても、「その人の存在を根本的に否定することは絶対にできない。その人がそうした理由はきっと私が受け入れられないものではない」という確信みたいなもの。自分の中にある直感的な肯定感に抗わなくなったというか。

それは、自分が誰かの庇護下にあって、守られている状態では全く思いも至らなかった感情です。かといって、自分の子どもが犯罪をしたら、擁護するわけでもないと思うんですけど(笑)。

でも、自分の感情や世間体とか、そういうのを全部抜きにして、全面的に肯定せざるをえない人がこの世にいる。というのはここ数年で得た直感的な感覚なんですが、そういう人の存在は自分のあり方を大きく変えたように思います。

――その気付きは、作品にも影響していますか?

最近出した『クラウドガール』は、そうですね。「この人がどうであっても、私はこの人のことを支持する」という、自分の力では覆せない信頼感や肯定への執着。裏切られても切り捨てない。逆に裏切りの定義を変えていく。人に対する気持ちの強さが表れたと思いますね。

20代までは「精神的に繋がる数少ない友人」しかいらなかった。でも……

――「関わり合いの考えが変わった」のは、例えば友人関係だとどうでしょうか?

私は友人が少ないタイプで、10〜20代の頃は、すごく仲のいい子が1、2人いるくらいでした。デビューしてからもずっとそんな感じで、友人ってそんなに重要なものだと思っていなかったんです(笑)。

ここ数年、頻繁に会って仲良くしている友人は、人としてはものすごく苦手なタイプなんですよ。小説も読まないし映画も見ない。好きなのは「友情・努力・勝利」みたいなマンガ。

初めて会った時に「この人、絶対ダメ」と思ったんですけど、酒と食の趣味だけは合うんです。お互いに罵倒しつつ、しょっちゅう飲んでいるうちに、なんとなく平気になってしまった。

「精神的な通じ合い」みたいなもので結ばれていた頃とは、全然違う関わり方を彼女とはしているな、と。そういう形の付き合い方が私の中で認められるようになってきた。

人としてのあり方としては、認められない。それでも絶対的に許せないところがなければ、人と人とが共存していくことができるという新しい発見があった。それは私の友情観に影響を及ぼしたと思っています。

結婚しても母になってもフランスに移住しても、生きるのが普通につらい

――人との関わり方について変わったとしたら、自分自身についてはどうでしょうか? 何か変わったことはありますか?

フランスに来たことは、縛られていたものから脱却したいという思いもあって、それなりの解放感はあったし、大きな経験でした。

……人によるのでしょうけれど、私はフランスに来て楽になったわけではなくて、すごくつらい。でも、日本にいたときもつらかった。結局どこにいても一定のつらさがある。「つらさの水位」みたいなのがあって、それは人によってある程度定まっているのかもしれません。

「なぜ、この人たちはこんなに楽しそうに生きているんだろう?」、「楽しそうに生きやがって」、みたいに思うこともあります(笑)。楽観的な人って、根本的に通じ合えないところがあると思っています。

子どもたちを見ていると、私よりしなやかに生きていて全然違う。うちの長女は今10歳なんですが、自分が10歳の時を思い出してみると、もう非常階段で飛び降りようか悩んで泣いていたんですよ。「なぜ私は子どもの時からずっと生きづらかったんだろう?」と、30歳を過ぎて考えさせられますね。

でも、これはもう逃れようのない「生まれ持った資質」として、仕方ないと思うようになりました。いろんな人と接する中で、そういう資質の人は一定数いることがわかってきた。生きやすい人と生きづらい人。生きづらい方の一定数に、自分も入っているんだろうなと。

常につらい人は一定数いて、その中にいる自分は特別でもないし、そうでない人たちもまたある種の切実さを持って生きている。小説でも、かつては「この世界は最低だ、生きる価値がない」という罵倒や否定が多かったですが、今はそう思っていない人との差異を認めている前提で書きたいと思っています。

――何かきっかけがあったのでしょうか? それとも緩やかに思考が変わっていったのですか?

自分の力ではどうしようもないことを経験的に知っていって、でしょうか。育児はそれこそ自分の思い通りにならなかったし、フランスでの生活もそう。あと、震災や原発問題も、批判するだけでは何にもならないと思い至るきっかけになったかもしれません。

死にたいけれど、死なない

――生きやすくなり……ましたか?

いや全然(笑)。例えるなら、死の淵からフックを掛けられていて、クイっと引っ張られるような消滅欲求が、ふとしたきっかけに湧き上がるんです。そのフックの数は10歳の頃から全く変わっていない気がするんですよね。

――消滅欲求はどのように抑えているのでしょうか?

そういうときは決まって、ピアスやタトゥーを入れたくなります。痛みに向かっていくことで、ちょっとごまかしているんだと思います。その辺はまだ自分でも解せないところがありますけれど。

――痛みこそが生を思い出させてくれる?

『蛇にピアス』で書いたのはそういうことでした。でも、あれは最終的に生きる実感が取り戻せなくなったっていう話でもあるんです。タトゥーをいれて元気になるのではなく、逆に落ちていく。

私も痛みを伴うことで、よりダウナーになって、死ぬ気力もなくなる。これは根本的ではなくて、対症療法的なごまかしでしかないんですけど。

ただ、デビュー前から、小説や、単に思っていることを書き溜めていて、それがはけ口になっているのかなと。吐き出す行為で保っている部分はありますね。

長女の産後しばらく育休的に数ヶ月書かない時期を設けた時に、すごく鬱になったんです。何を経験しても吐き出す場所がないと思うと、下水管のないトイレみたいに行き場がなくて(笑)。

――思うままに書くことが、自己治癒になってるのでしょうか?

そうですね。何かを書くこと、文字にすること、小説だけでなく人とのメールやLINEもそうです。なぜかは分からないんですが、書くという行為に裏切られたことはないんです。もちろん書いた結果、誰かの反感をかったり嫌われたりすることはあるけれど、自分が書いたもの自体には絶対に裏切られない。

変な話、自分自身よりも自分の書いたものを信用しているんです。例えば、こうして人と話している自分は信用できない、でも、自分の書いたものは信用できる、という風に。だから、アウトプットすると風向きが変わるかもしれないと、何かに苛まれている人には勧めたりします。

――淡々とお話されるので、少し驚いています。

10歳の頃からずっとなので、もう今さらキラキラした人生を送るのは不可能だろうなと。スポーツすれば治ると言う人もいますけれど、その考え方自体が堪えられないです。

無理に何かを解消しようとしないで、自己治癒や対症療法で紛らわしながら耐え忍ぶ、くらいの意識でもいいのではないか、そのくらいのほうが結果的にうまくいくのではないかと思います。

鬱でこその自分、くらいの気持ちでないと潰れてしまいますから。(笑)


死を想像することは幼稚。それは彼女の小説にも出てくる表現だ。

いつか強くなって、こんな鬱々しい気持ちから卒業する日が来ると思っていた。いや、卒業しなければいけないと思っていた。だからこそ、金原ひとみの「今」は、希望があるように思えた。けれども、彼女は変わらずに「死にたくなる」と言う。

もちろん変化はあった。『蛇にピアス』では、ルイは消息を絶った恋人に「私に溶ければよかったのに」と思う。一方で『クラウドガール』の主人公、理有(リウ)は、このように恋人を想い、幕を閉じる。

私たちは、膨大なデータから何を引き出すか、何を採用するか、一つ一つゆっくりと、二人で吟味することができるのではないだろうか。何が正しく、何が間違っているか話し合い、二人にとっての真実の基準を作り上げていけるのではないだろうか。そしてその価値判断の連なりこそが、血の繫がりや性別、年齢や出自などよりも強固で必然的な繫がりを作る要素になり得るのではないだろうか。

時を隔てて描かれた同年代の主人公は、他者を「私の中に溶ける存在」から「フェアな関係を築く存在」と捉えるようになっていた。

生きる。

それは、痛みで実感できるものではない。自分の死体を目に浮かべながらも選択できるものだ。

たとえ、死にたくなる夜がやってきたとしても。

取材日:2017年10月13日

BuzzFeed Newsでは、金原ひとみさんの【鬱を抱える芥川賞作家を救った、「吐き出す」ということ】も掲載しています。