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18歳、新宿という夜の街に飛び込んだ日

『笑っていいとも!』や『天才・たけしの元気が出るテレビ!! 』でオネエブームを作った日出郎さん。その半生と哲学がすごい。

今でこそ、テレビでよく見るオネエタレント。体は男性で、女性のような振る舞いだったり、性転換する人もいる。彼・彼女たちの活躍もあって、性別っていうのは多様なものなんだと認識できるようになってきたのかもしれない。

90年代、それを牽引した人がいる。日出郎さんだ。ショーパブでダンサーとして活躍し、派手なメイクでお茶の間を沸かせた。現在、53歳。新宿二丁目でバーを経営している。

最近では、1992年に発表した『燃えろバルセロナ』を、盟友である石野卓球さんがリメイクし、話題になった。

「私は、男性でも女性でもなくって、オネエなの」と、自認する日出郎さんの人生はどんなものだったのか――。バーの扉をあけたとき、私は知らなさすぎた。

小5でクラスの男子に初恋。その人と初体験

――日出郎さんは、いつから自分をオネエだと認識されたんですか?

うーん、特に何歳っていうのはないですね。京都の田舎の方に住んでたので、ゲイの人もゲイ文化もなくって。でも、日出郎という魔物は、その頃からできあがっていた

初恋が実っているんですよ。小学5年生で好きになった男の子と付き合えて、中2のときの初体験がその方。初恋って、普通の男女でも難しいじゃないですか。告白するのも恥ずかしくって。でも、私は「好き」って言える人だった。常識がないんでしょうね。告白するとき、男の私が、男の子に好きっていっちゃいけないのかがわからなかった。

中学は同じテニス部に入って、毎日迎えに来てくれて。彼は自転車で私は歩き。毎日荷物を乗っけてくれて。

――愛されてる。

そうなの。だから自分がゲイであることで困ったことがない。でも、別れちゃったんですけどね。

高校生の時、クラスの3分の2の男子と付き合っていた

――ご両親はどうでしたか?

中学の時はまさか! そもそも、性の目覚めもわからないと思ってたと思いますよ。でも、高校生のときに、バレたのかな。

ゲイ向けの「薔薇族」という雑誌がありまして。母が部屋を掃除してくれたときに、見つかっちゃったんですよ。妹に「どうしよう、おかんに見つかっちゃったわ。やばいわね」って話したんだけど。

――妹さんは、オネエであることを知っていたんですか?

カミングアウトしたわけではなくって、小さいときから「りぼん」とか「なかよし」の付録の争奪戦をしてたから、お姉ちゃんとして接してくれてたんですよ。

で、おかんにバレたわけ。今でも覚えてる。その日の夕食はすき焼きだったんだけど、誰もしゃべらない。グツグツグツグツ……って。親父もおかんも話さない。妹も下向いていて。無言のすき焼き(笑)。でも別に何も言われませんでした。

高2のときに、男の子を家に連れ込んでたら、ガチャってドアをあけられたりもしましたね。クラスの3分の2の男子と付き合っていましたから。当時。

――ん?

高校には、お化粧をして学校に行ってたんですね。今みたいなメイクではないけれど、スポーツビューティを塗って、マスカラして。髪の毛も聖子ちゃんカットで。

好きでやってたんですけど、立場が危うくなるなって思ったんです。いじめられるかもしれないし、小馬鹿にされるかもしれない。だから、喧嘩の強そうな番長格の人とベッドを共にするわけです。

――ベッドを共にする……。恋愛する過程で、そこに到達するのがまず大変だと思うのですが。

全然大変じゃないです! 高校生の性欲をなめちゃだめ。「好き」と言われて嫌な人間っていませんから。「好き好き」って言ってると、隙ができてくる。そこに入り込んでチューしたり、ボディタッチしている間に、男の子の方からガバッと来る感じにしましたね。

一番最初にスクールカーストの実権を握っている男子を落として、各派閥の長を食っていく。

――複数人とそういう関係になったら、いろいろバレないのでしょうか?

絶対にバレないですよ。「俺はあいつとヤッちゃった」なんて言えないもん。彼らには、彼女もいるわけですから。

――浮気相手ってことですか? 寂しくないのでしょうか?

全然OKです。その人のことが好きでセックスしてるわけじゃないので。自分の立場を守るため。お化粧して自分が好きな発言をするための生存戦略……うん。魔物でしょ?

――好きじゃない人とそういう関係になるのって摩耗しませんか?

セックスは好きだから。セックスをする人と好きな人は別なの。私は、狩猟していく方。狩られるのが男性。そういうタイプ。

荒業、アングラ的な生存戦略

でも当時は、トランスジェンダーなのかホモセクシュアルなのかまでは、わかっていなかったかな。

そういう付き合いをしていたのは、性自認に対する孤独感を埋めるためっていうのはあったかもしれない。「同性が好き」なことに共感してくれる友だちがいなかった。だから、ノンケを巻き込むという技を覚えました。

――どういうことでしょうか?

声を張り上げて多様性を唱えるのではなくて、アングラ的に布教する感じ。セックスとかチューを男子とする。そうすると、男子自身が当事者になるから、同性愛を認めざるをえない方向になるんですよ。「あー、俺、ヤっちゃったなー」って、普通に。そうすると偏見がなくなる。

荒業だけど、みんな理解はしてくれたので、マイノリティじゃなかったんですよ。スクールカーストでもずっと上位。ずーっとバラ色!リア充!

――何か壁にぶち当たったことはなかったんでしょうか。

お化粧して通学したことが校則違反で、停学危機になったことはあります。校長訓戒で父と母が学校に呼ばれた。とにかく必死だったので、先生に「なぜ自分が怒られているのかわかりません」と抗議しました。「社会的な常識がないからなのか、校則違反で怒られているのか。どっちですか?」って。

そうしたら、「校則違反に決まってるだろ! 口紅持ってきたらダメなんだよ」と怒られて。だから、「先生それはおかしい。校則では、女子生徒の化粧は禁ずるとは書いてあるけれど、私男子生徒です」って言ったんですよ。

それまで、母はひたすら泣いてたんですけど、いきなり「そのとおりです! この子は悪くありません」って言い出して(笑)。びっくりしました。結局それで無罪放免になりました。すっぴんで学校に行くっていう約束をさせられましたけれど。

でも、家に帰ったら親父にはぶん殴られましたね。「お前の言ってることは屁理屈だ」と。

今思えば、親父は、「どんな状況でも一人で生きていけるように強くなれよ」っていう愛を、反対に母は「私がどんな状況になっても絶対に守るよ」っていう愛を、示してくれたと思います。

ゲイだから叱られたことはありませんでした。ただ、ルールは守ろうと。

新宿という夜の街に飛び込んだ日

――それから晴れて、大学生になって……。

18歳で上京して、代々木に住むことになりました。窓を開けると、西新宿の高層ビルが見える家で、東京っぽいって思った。ああいうところで働いてみたくなった。

それで、最初に面接に行ったところが「ギャルソンパブ」だったんです。

――いきなりすごい。

バイト雑誌を見ていたら、ステージメイクをしたきれいな人の写真の下に「募集」と書いてある文字を見つけたんです。よく見たら、ホールスタッフ、ショースタッフの2つの職種だった。

明らかにショースタッフの方が給料が良いんですね。で、「なんなんだろう?」と思って、入学式の日の夜に、面接に行きました。新宿の住友ビルに。

そのとき面接してくださったのが、当時のトップスターのラブちゃんという方。私が雑誌で見た写真の人でした。

ラブちゃんは私を見るなり、「あんた男の人が好きでしょう?」って言ったので、驚きましたね。その場で、「あんたね、他人に嘘はつけても自分には嘘がつけないのよ。だから…踊りなさい!!!」って言ったのよ。

きっと、それは「この時代、男が好きならば、昼間の堅気の仕事なんてつけない」っていうアドバイスだったと思うんです。ラブちゃんは、女性になった男性だったから。

次の日から、ダンスのレッスンが始まりました。大学の勉強を始める前にボックスの踏み方を習ったんです。

――ドラマみたい。

それで、5月か6月に初舞台を踏むわけです。早いでしょう? 18歳の夏休みの前。初舞台のときに、「あんた名前は?」と聞かれたので、「西田真二と申します」って言ったの。でも、お店にはすでに「シンさん」がいた。だから、「シンはだめ! じゃあ、あんた名前は……日出郎!」って言われて決まっちゃったの。

「え!」て思って。普通、ナンバーワンになる名前って、「愛ちゃん」とか「光ちゃん」とかでしょ。日出郎なんて男の名前だし、無理。ニューハーフ界では、成功しなさそう。早くこの店をやめようって思いました。初舞台が決まった瞬間に。

――とはいえ、今でも「日出郎」さんですよね?

トップになれちゃったから、この名前で(笑)。

80年代〜90年代はニューハーフブームがあって時代も良かったんです。『笑っていいとも!』とか『天才・たけしの元気が出るテレビ!! 』にたくさんのオネエが呼ばれてた。私はそれに出てたから。

テレビは綱渡りをするような感覚でしたね。当時は無茶ぶりが多かったから。雪山でオネエたちが徒競走して、全員穴に落ちるとか。スパンコールのワンピース着た私が、ワニと闘うとか。そういうシュール感がウケていました。

ちょうど、クラブカルチャーが流行りだした時期でもあって、ミロスガレージっていうクラブが花園神社の横にできたんです。ゲイナイトが開かれて、DJもオーガナイザーもゲイ。二丁目のママさんが来たり、いろんな人が女装をしてショーをやる。

私はゲイカルチャーの第一期生みたいなもの。それをミッツとかマツコが見ていたらしいんだけど。

30歳。初めて、自分のセクシュアリティに疑問を持った

――でも、テレビですごく活躍されてたのに、いきなり海外に行ってしまったんですよね?

男にフラれたから。忙しすぎて全然会えなかった。

「いいとも」のスタジオに入るのが朝10時で、12時から生放送。その後他の番組の収録を2〜3本。19時半のショーには間に合うように帰って、あと22時の回にも立つ。24時にお店が終わって、そこからオールナイトニッポンとかラジオ番組があって、3時過ぎから雑誌のインタビュー。ポップティーンで連載ももってたから取材もして。家には朝5時に帰って。8時には起きてまた仕事。

彼に会う時間がないんですよ。

――恋人は、どんな職業の人だったんですか?

そのときは…俳優さん。有名な方ですね(笑)。まぁ、お互いの収録があったので、合間の駐車場で会ってました。

今思えば、仕事で疲れているから、顔もきれいじゃなかっただろうし、ウィットに富んだ会話もできなかった。仕事の愚痴しか言ってなかったと思う。これって、生き物として最低のランクのやることです。

そんな感じで、もう会えないからやめようって言われて。

私、何のために日出郎やってるんだろう? 日出郎は人気者で愛されるけど、私自身は一人の男の人も夢中にさせられない。男が好きでオカマになったのに。

中学時代からずっと、自信があったんだけれど、一瞬揺らいじゃったんです。「私はどうして同性愛に生まれてしまったんだろう?」って疑問を持ってしまった時期でもあった。中高生の時は普通に過ごしてたけど、テレビは私を面白おかしく紹介したいじゃない?「え、私変わってるんだ」って思った。初めて自分のセクシュアリティに疑問を持ったんですよね。

「日出郎」っていう存在が、私を超えちゃった。

だから一度日出郎を離れてみようって思って、ニューヨークに行きました。95年だったかな? 30歳のとき。

「飛行機代、500万円貸して」

――どうでしたか? ニューヨーク。

クラブ仲間に紹介してもらって、ある人に出会うんです。ル・ポールさんというドラァグクイーンのスター。ショーを見て、お話もさせていただいて。すごく感銘を受けました。

私のやりたいことはこれだったんだなって思いました。

自分はトランスジェンダーでもなくて、普段は男性なんだけど、ショーでは女性を演じる。当時日本にはドラァグクイーンという概念がありませんでしたから、ル・ポールさんに会って自分を肯定できたんです。

――ニューヨークに来て開けた。

そう。その後、ゲイタウンがあるサンフランシスコにも行きました。学生ビザをとって5年くらいかな。

流石にこれだけ働かなかったら貯蓄がなくなりますよね(笑)。それで、ニューハーフの友達に「飛行機代500万円貸して」って言いました。

――500万!?

そしたら「ひでちゃん、飛行機は15万円でのれるのよ」って言われて(笑)。

彼女に紹介されたパブで働くことを約束して、15万円だけ借りて帰国しました。戻ってきたら、すぐに稼げたから、サクッと返しちゃいましたけど。

――いつからバーをやり始めたのですか?

10年くらい前? その時、45歳になっていたので、毎日踊るのが体力的にも厳しくなってきた。

好きな人の前ではノーメイク。一体なぜ?

――バーに立つときは、普段お化粧しないと聞きました。なぜですか?

お化粧するのは、ショーのためだから。ショーは、お客様に日々の憂さを晴らして、夢を見ていただく場所。だからステージでは、きれいでかっこよくてきらびやかでいないといけない。

私は、目がドーン! 鼻がビューン! 唇がバーン!っていうステージ上のままテレビに出ててたので、濃い化粧がトレードマークみたいになってしまっただけ。普段はメイクをしないんです。

――高校生の時はしていたのに?

高校生の時はお化粧する機会が珍しかったから。プロになると、ステージメイクをするからお腹いっぱいになりましたね。ショーパブの人ほど普段はお化粧しないと思いますよ。

――好きな男性の前でもすっぴんなのですか?

ええ。好きな男性の前ではいかに自然な姿を見せられるかっていうのが大事なの。私も18歳までは、子どもだったので、きれいなところを見せようと背伸びをしていたんですけどね。

でも、いかに自分のブサイクなところを見せれるかってところが、恋愛では大事だなって気づいたのよ。

ダメなところを許してもらえるかどうか。許してもらえたら、愛してもらえる。こっちも相手のことを許すわけですが。

だって、どんなに背伸びしても、寝顔は口が開いたり、マヌケなものでしょ? 好きっていうのは、お互いに許しあうことなのよ。

――深い。

あと、私はショーっていう、所作の美しさを求められるところにいたので、普段はなるべくカジュアルでいたいの。生き方もカジュアルでいたい。

「ノンケの人だって、自分が何色なのかわからないわよ」

――時代的にはどうでしょうか? 日出郎さんの生き方ってすごく素敵だとおもうのですが…。

うーん、でも90年代にはゲイブームがありましたから。同性愛者でも多様性があるんだなって思ってましたね。

ゲイとオネエはイコールじゃない。ニューハーフや女性になりたい男性もいるし、男のまま、男が好きとか。その中間もいて、グラデーションみたいになってる。白黒はっきりしなくていいっていう考えは、当時からありましたけど、20年かけて一般のノンケ社会も理解が深まったって感じですかね。やっと時代が日出郎に追いついたんですよ(笑)。

「この色、何色?」と聞かれても、定義できない色ってあるじゃないですか。うぐいす色とか。緑とはいえないし黄色とも言えない。その中間色。セルリアンブルーとかね。全部がビビッドじゃない。

ノンケの人だって、自分が何色なのかなんてわかんないですよ。碇シンジくんだってそうでしょ? みんなに「おめでとう」って言われても、今だに自分探ししてると思いますよ。

そんなものですよ。私だって、最初は自分がドラァグクイーンなんて知らなかったし、ル・ポールさんに出会って自分を定義づけできたわけですから。

私の場合、今は更にその先に行っていて、50代として老いてきたなって思う時期。そういう認めざるを得ないものが、気持ちと体で完璧にシンクロしたときに腑に落ちる。でも、シンクロ率って、そう簡単に自分で上げられない。

女性が好きな男性だって、毎回完璧に女性に勃起するとは限らないじゃない? 体調が悪いとか、その女に対して気分が冷めたとか、緊張とか、自分でもよくわからないもの。

――わからないのは当たり前。

そうそう。私は、ノンケが好き。女性を好きな男性が好きなのよ。私のことを「俺、彼女いるのに日出郎さんのこと好きかもしれない」って悩むのを見たいの。

悩む姿を見ることが私の絶頂なんですよ! 行為そのものよりも、悩みながらも私に対して勃起をするのが大事。「何? 私に興奮してるの? 勃起してるの?」って罵りたいのよ。

――罪つくりですね。

行為に対して重きをおいていないの。問題は私に興奮するか否か。人は、誰にでも興奮するわけではない。ある程度のクオリティとシチュエーションがないと興奮しない。

「興奮しちゃってるっていう状況」を作り出すために、美容院に行ったりエステやジムにも行く。その一瞬のために日々自分を磨くの。

相手に射精してもらうのがゴールじゃない。相手がガバって来たときに「やめて!」って言う瞬間が最高。「ノンケに勝った!」ってなる。最低でしょ? 勃起までさせておいて(笑)

――強い。

LGBTってセクマイって言われるけど、囲っちゃってるだけな気もする。純粋に誰かを好きって感情は、自分のためのものなんだと思いますよ。

自分が好きだって気持ちを誰かに伝えて安心する。そのための感情。言ってしまった後は相手の判断ですから。自分が「あなたを好き」とか好意を伝えることは自己で完結しているわけです。何もそれを自分で狭めなくてもいいんじゃないの?

自分が好きになれば、相手も必ず好きになってくるって信じてる。53年、生きてきましたけど、周りは絶対に私のことを、好きになってくれましたね。


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