2018年10月9日

    「ガ死ダ 食モノナシ」日記を残して餓死した父を追い、息子は忘れられた南の島に飛んだ

    かつて日本領だったマーシャル諸島。そこで餓死した日本兵の日記が、奇跡的に遺族の元に届いた。戦後70余年、息子は父の残した日記を読み、島に向かった。

    南太平洋に浮かぶマーシャル諸島はかつて、日本の委任統治領だった。太平洋戦争中、その地に配属された日本兵への補給は途絶え、米軍だけでなく飢えとも闘うことになった。

    痩せた土を耕し、なんとか生き延びようとする凄惨な日々を日記につづり、1945年4月26日に餓死した兵士がいた。佐藤冨五郎さんだ。

    佐藤勉さん提供。大川史織編「マーシャル、父の戦場」(みずき書林)より。

    1943年撮影の、佐藤冨五郎さん一家の最後の家族写真。母シズエさんの前に座るのが当時2歳の長男、勉さん。

    享年39歳。宮城県出身で、東京でバスの運転手を務めていたが、1943年に赤紙が届いた。妻子を残し、海軍一等兵曹としてトラック諸島に向かった。

    「ガ死ダ 食モノナシ」

    「病死ハ絶対ニシナイゾ」「ガ死ダ 食モノナシ」という悲痛な文章が残る手帳と日記帳は、戦友の手で戦後、奇跡的に宮城県の遺族の元に届けられた。

    Yoshihiro Kando/BuzzFeed

    「ガ死ダ 食モノナシ」という遺書が残る佐藤冨五郎さんの手帳

    出征した冨五郎さんと2歳で生き別れた長男の勉さん(77)はずっと、日記を解読したいと願い続けてきた。大切に保管してきたが、薄く固い鉛筆でびっしりと書かれているうえ紙質も劣化し、ほとんどの部分は読めないままだったのだ。

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    冨五郎さんの書き残した文章は、長い月日で肉眼ではほとんど読み取れなくなっている。

    だが、どうすればいいのか分からない。

    2005年、仙台市近郊に暮らす勉さんは、長く勤めていた企業を退職し、地元で各種のボランティア活動を続ける傍ら、タクシー運転手に転職していた。

    理由があった。

    タクシーではよく、仙台にある東北大学などからの電話予約が入る。「古文書を読める大学の先生ならば、解読してもらえるかもしれない」。そう思い、大学からの予約を引き受けては、解読を頼み込んだのだ。何人かに断られた。

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    父・佐藤冨五郎さんの残した手帳と日記帳を手にする勉さん

    2005年7月17日。

    東北大文学部からタクシーの予約が入った。

    仁平義明教授(その後、白鴎大教授を経て現在は東北大名誉教授)だった。多忙で日曜日も研究室に出向き、仕事をしていたのだ。

    「自分が行きます」。勉さんは無線のコールに答えて東北大に向かい、仁平教授を乗せた。

    仙台駅に向かう道中、勉さんは「実は、父が戦地で残した日記のようなものがあるのだが、読むことができない。先生、なんとか解読できないでしょうか」と切り出した。

    仁平教授の兄も東北大で国文学を研究している。そこの研究生ならば読めるだろうかと思い、引き受けた。

    教授は勉さんから送られてきた2冊を子細に調べた。全43ページのうち、肉眼で読み取れる部分を解読し、その内容を論文にまとめて発表した。

    「ネズミのおじやの味は日本一」 敵は飢えだった

    そこから浮かんできたのは、補給が途絶える中、中国東北部(旧満州)から持ち込んだ穀類のコーリャン(モロコシ)などを栽培し、飢えと闘う兵隊たちの姿だった。

    1944年10月1日の日記は、こうだ。

    二百坪を開根〈墾〉して、コーリャンを植付との事 本部作業二時三十分より三時三十分 迄。馬場一水オリメージ×××出発す。 十月二日(?)。××××衰弱す。南×まで××××

    ××歩た。珍しく雨のため何の収穫もなし。帰れり。 本島で農園作業本腰なれど僕等××

    ×も全く動けない有様に弱った。輸送潜水かん も入り様もなし。各分隊にも(手配簿より六人来る)

    兵隊の分配有り。××高見沢兵曹×××× ×××なり。今日のおじや又(ネズミが入った)

    味の良い事は日本一。

    ネズミの入った薄いおじやすら、当時の兵士らにはごちそうだったのだ。

    冨五郎さんは栄養失調から次第に衰弱していく。

    (1945年)三月二十九日晴、千葉当直、沼宮内診察。僕朝食用意

    やっとの事であった。
    二十四日頃より当直休ま せて貰って居るが増々病気で歩けなくなる一方、今日は反対 の右足腫れる。
    腸も足も大分苦しくなってきた。
    顔のむくみも甚だし。
    但し両方のうで全く細くなって仕舞った。

    1945年4月に入ると、死が近いと見捨てられたのか、食料すら配給されなくなる。

    四月十二日。又もや中隊長殿の(え一魚) 配給あるも良い所やき魚にして二人 で処分す。
    僕等残念ならずも床に付いて 居るので仕方なし。
    せめて配給おあたり位 は同じく頂きたいも(の)だ。
    いっもだしにされ魚と云ふ魚は喰せられず 之で魚のことも再三である。どうして僕 等二人はきらはれるであろう。
    病人なる故かな。
    要するに(かくし喰いさる)致し方なし。

    翌日には、戦友も命を落とす。死の直前、カボチャをせがまれた、しかし、冨五郎さんの手にも、分かち合えるものは何も残ってなかった。

    四月十三日、雨なり。悪日だ。
    松本兵曹長、佐藤××分隊下士、 沼宮内、三人、七時頃で死んだ。
    昨夜、沼宮内×× 十一時頃であった、雨の降るのに南瓜喰いたいとせがまれた。 私は一ケのものもなし。困った。

    到々喰わせず喰ずに死んで 行った。

    「最後カナ」


    冨五郎さんは絶命する前日の1945年4月25日、遺書を記している。

    二十五日全ク動ケズ苦シム

    日記書ケナイ

    之ガ遺書

    昭和二十年四月

    二十五日 最後カナ

    家族に向けた、こんな記述もあった。

    父ノ分マデモソシテ家内仲良ク兄、弟、姉、妹、仲良ククラシテ下サイ。

    元気デ ホガラカニ オイシイモノデモタベテクラシテ下サイ

    勉さんは日本遺族会の慰霊の旅に参加し、父が亡くなったマーシャル諸島ウォッチェ環礁を3回、訪れた。

    しかし、集団での慰霊の旅だったため、行き着けたのはいずれも父が亡くなった地点そのものではなかった。飛行場周辺などで慰霊祭を行い、数十分すれば別の島に向かうという慌ただしい旅だった。

    くすぶる思いを胸に秘めていた時、マーシャル諸島の慰霊についての記事をネットで読んだ。

    記事を編集していたのは、マーシャル諸島に暮らした経験がある大川史織さんだった。

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    大川史織さん

    大川さんは1988年、神奈川県生まれ。東京都内の高校生だった2006年、長崎の「高校生平和大使」に応募してアウシュビッツなどを訪問。戦争と平和の歴史に関心を深めていた。

    その翌年、スタディーツアーに加わり、マーシャル諸島に向かった。日本による委任統治の歴史と戦争。そして戦後、米軍が周辺で行った核実験の爪痕を目の当たりにした。

    春眠舎

    戦闘機の残骸で遊ぶ現地の子どもたち

    そして、不思議な歌を耳にした。

    「コイシイワ アナタガ イナイト ワタシ サビシイワ」

    歌詞は明らかに日本語。南太平洋独特の明るく切ないメロディーに乗せて、ウクレレで伴奏しながら、島の人々は楽しそうに歌う。

    日本語の教育が行われていたマーシャル諸島では、ビーチサンダルを「チョーリ(草履)」、手芸品は「アミモノ」と呼ぶなど、日本語の影響が今も残る。

    春眠舎

    どうやら、日本がつくった学校で日本語を学んだ島民がつくった歌のようなのだが、由来ははっきり分からなかった。

    マーシャル諸島と日本の関係を深掘りしたくなった大川さんは大学に進み、卒論のテーマをマーシャル諸島にしようした。しかし、ほとんど資料がないことに衝撃を受けた。

    卒業後、マーシャル諸島で日系企業の仕事をみつけ、現地で暮らした。
    働きながら島の人々の暮らしやオーラルヒストリーの記録をしようと思ったのだ。

    「コイシイワ」の歌が生まれた経緯を掘り下げ、マーシャル諸島と日本の関係を描くドキュメンタリーをつくろうかとも考えていたが、いい切り口が見つからない。

    世代を超えてつながった人々

    大川さんは3年ほど現地で暮らして帰国したのち、ウェブメディアの編集部で働きはじめた。青年海外協力隊員としてマーシャル諸島で働いた経験がある友人の森山史子さんに、寄稿を依頼した。戦死した兄の慰霊のため、現地を訪れ続けた女性に関する記事だ。


    それを読んだ人から、編集部に一通のメールが届いた。

    差出人の名は「佐藤勉」。「いつか再びマーシャル諸島に行きたい。力を貸して下さい」と書いてあった。

    こうして、佐藤さんと大川さん、森山さんがつながった。

    春眠舎

    森山さんと砂浜を歩く佐藤勉さん

    2016年4月、勉さんと森山さん、そして大川さんは、現地をよく知る日本人の青年とともに、マーシャル諸島に向かった。

    当時74歳の勉さんは、今度こそ父の亡くなった場所で慰霊するため。28歳だった大川さんは、その勉さんの姿をカメラに収めるためだ。

    こうして、ドキュメンタリー映画「タリナイ」が生まれることになった。「タリナイ」とは、マーシャルの言葉で「戦争」という意味だ。

    仙台から成田に向かい、グアムで一泊。そこからさらに、各島経由で島伝いに飛び、マーシャル諸島共和国の首都マジュロへ。さらにそこから、冨五郎さんが最後の時を迎えたウォッチェに飛んだ。

    春眠舎

    現地の少年と交流する佐藤勉さん

    ウォッチェで勉さんらは、冨五郎さんの日記を元に、軍の施設があった場所と思われる場所を見付けた。大川さんのカメラは、その姿を克明に描き出す。

    冨五郎さんが一時、駐屯していた小島、エネヤ島に小さなボートで向かった。

    降り立った勉さんは慟哭し、言葉にならない声を上げた。「お父さん、来ましたよ。勉が来ましたよ。お父さん」

    春眠舎

    小舟でエネヤ島に向かう佐藤勉さん

    勉さんはウォッチェで、地元の人とともに線香に火をともし、父の慰霊祭を開いた。日本軍が残したタンクのなかにあった綺麗な砂を手に取り、「霊砂」と呼んで小袋に入れ、持ち帰ることにした。

    父と子、そして日本と戦争が残した爪痕の姿

    この映画が描くのは、父冨五郎さんの姿を追う佐藤勉さんの姿だけではない。笑顔で日本人を迎えるマーシャル諸島の人々から、日本と戦争への複雑な思いが見え隠れする現実も描き出す。

    ある高齢の女性は、淡々と「(戦闘から逃れるため)家族と一緒に別の島に逃げたのだけど、父は波にさらわれて死んだ。今も戦争は怖い。飛行機の音を聞くと怖い」と語った。

    村人らの家は、日本軍が滑走路などを造る際に破壊され、そのままだという。

    日本軍が残したコンクリート壁には「ウオッゼ記念」という題で、「昭和二十年十...」というかすれた日付がある、漢字とハングルで書かれた文章も残っていた。「遠洋」「渡航」「無情」「故郷」という漢字が読み取れる。

    春眠舎

    残されたハングルと漢字混じりの文章

    地元の古老は言った。「日本は滑走路や要塞をつくるためにいろんな人を連れてきた。囚人や朝鮮人も」。そして付け加えた。「理解できたなら、よかった」

    マーシャルへの旅を終えた大川さんは、つてを頼って国立歴史民俗博物館の研究者に赤外線による文章の解析を依頼。冨五郎さんの日記のほぼ全文を解読した。

    その成果も踏まえ、映画「タリナイ」を完成させた。さらに、映画をつくるのと同時に、冨五郎さんの日記と、マーシャル諸島と戦争の歴史を「マーシャル、父の戦場 ある日本兵の日記をめぐる歴史実践」(みずき書林)という本にまとめた。

    最後に残る謎

    映画「タリナイ」は9月29日から、東京・渋谷のアップリンクなどで公開されている。10月5日と6日には勉さんも参加し、トークショーが開かれた。

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    映画を見た人と語り合う佐藤勉さん

    勉さんは「父のことを、子や孫の世代に伝えるためにも、マーシャルに行かねばならないと思っていました。多くの人々に見て頂きたい」という。

    大川さんはこれからも、「コイシイワ」の歌や、ハングルの文章をだれが書いたのかなど、マーシャル諸島と日本の関わりを調べ、ドキュメンタリーなどのかたちでまとめたいと思っている。

    そして、勉さんと大川さんにはもう一つ、どうしても解明したいことがある。

    貴重な日記を戦後間もなく、冨五郎さんの最後の様子を書き添えた手紙とともに送ってくれた戦友、原田豊秋さんの消息が、どれだけ調べても分からないのだ。

    住所が書かれた封筒は、長い年月を経るうちに失われてしまった。ヒントは「遠く山梨の地より」という手紙の文面から、戦後間もなくの段階では、山梨県で暮らしていたということだけだ。

    勉さんは原田豊秋さんか、その遺族にお礼を伝えたいと願っている。

    そしてそれは、軍の検閲を全く受けていない兵士の日記という第一級の歴史資料を残してくれた原田豊秋さんに対し、日記の解読に関わった大川さんや研究者ら共通の願いでもある。

    情報をお持ちの方は、みずき書林 までお寄せ下さい。

    映画「タリナイ」予告編

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    Contact Yoshihiro Kando at yoshihiro.kando@buzzfeed.com.

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