なぜ東京五輪で柔道選手が相次いで棄権したのか? 背景にある複雑な事情とは【回顧2021】

    東京五輪に出場した柔道選手が相次いで棄権した。新型コロナに感染したわけではない。その背景には、中東の複雑な状況がある。

    2021年にBuzzFeed Newsで反響の大きかった記事をご紹介しています(初出:7月28日。情勢も当時のものです)。


    東京オリンピックの柔道男子73キロ級で、アルジェリアの選手とスーダンの選手が、相次いで出場を棄権した。その理由は、今大会で続く新型コロナウイルス感染によるものではなかった。

    そして、柔道81キロ級でイラン出身のサイード・モラエイ選手がモンゴル代表として出場し、銀メダルを獲得した。

    なぜ五輪出場という夢を果たしながら闘わずして棄権したり、国籍を変えたりするのか。

    その背景には、イスラエルと周辺各国が鋭い対立を続ける、中東の複雑な状況がある。

    イスラエルと対戦する選手が相次いで棄権

    柔道で最初に棄権を明らかにしたのは、アルジェリアのフェティ・ヌーリン選手だ。

    五輪に出場して勝ち上がった場合、2回戦でイスラエルのトハー・ブトブル選手と対戦することになるため、「イスラエルの占領下にあるパレスチナの兄弟達に対して沈黙することは出来ない」と棄権の理由を地元紙などに説明した。

    そして、次に棄権を表明したのは、73キロ級1回戦でアルジェリアのヌーリン選手と対戦する予定だった、スーダンのモハメド・アブダルラスール選手だった。

    ヌーリン選手の棄権で自分が不戦勝となり、2回戦でイスラエルのブトブル選手と対戦することになるのを避けたとみられる。

    なお、ブトブル選手は2回戦で「対戦相手なし」となって勝利の扱いに。その後の対戦で勝ち上がったものの、準々決勝と敗者復活戦で敗れ、メダル獲得はならなかった。そして、ヌーリン選手の棄権は、これが初めてではなかった。

    2019年8月に東京で開かれた世界選手権でも、3回戦で同じブトブル選手と対戦することになり、棄権している。

    パレスチナ問題で続くイスラエルへのボイコット

    イスラエルはパレスチナ問題を巡り、周辺国との対立が続く。周辺アラブ各国の多くやイランは、外交面だけでなく経済面やスポーツなど、さまざまな面でイスラエルとの関係を絶ち続けてきた。

    このため、例えばイスラエル・サッカー協会は、地理的にはアジアサッカー連盟(AFC)の管轄だが、周辺国協会のボイコットを避けるため欧州サッカー連盟(UEFA)に所属。代表チームは主に、欧州のチームと対戦している。

    親イスラエル路線を採った米トランプ政権(当時)の強い働きかけもあり、アラブ首長国連邦など複数のペルシャ湾岸諸国やモロッコが2020年にイスラエルとの国交を正常化するなど、近年は一部で関係改善の動きが進んでいる。しかし、アルジェリアなどは同調していない。

    2021年5月には、イスラエルとパレスチナの衝突が激化。双方に多数の死者が出て、対立は更に深まった。

    棄権を強要された選手が亡命してメダル獲得

    とはいえ、個々のスポーツ選手に対して政治の動きとの同調を求めることには、反発もある。

    柔道男子81キロ級にモンゴル代表として出場し銀メダルを獲得したサイード・モラエイ選手は、イラン出身だ。

    イランでも有数の強豪選手だったが、亡命してモンゴル国籍を取得してモンゴルの代表選手となった。

    亡命の原因も、五輪と同じ東京・日本武道館で行われた2019年世界選手権での、イスラエル選手との対戦と棄権を巡る騒動だった。

    イラン代表として出場したモラエイ選手は、2019年の柔道世界選手権で順調に勝ち進んだ。


    しかし国際柔道連盟によると、4回戦でロシアの選手と対戦する直前、イランのスポーツ担当副大臣からモラエイ選手のコーチに電話が入った。

    このまま勝ち進めばイスラエルのサギ・ムキ選手と対戦することになるため、イスラエルの存在を認めないイラン政府に、棄権を求められたのだ。イランの家族にも圧力がかけられたという。

    それを聞いたモラエイ選手はその場に倒れ、号泣した。その様子を見た各国のコーチや世界連盟の幹部らが、モラエイ選手に「どんな選択をとっても全力で支える」と慰めたという。

    精神的に追い詰められたモラエイ選手は、すぐに棄権することはしなかった。しかし、ムキ選手と対戦する前に敗退。最終的に81キロ級で優勝したのは、ムキ選手だった。

    なお、ムキ選手は準々決勝でエジプトの選手と対戦し、破っている。エジプトは中東でも数少ない、イスラエルと国交のある国だ。1979年にイスラエルと国交を正常化しているため、エジプトの代表選手はイスラエルの選手との対戦を必ずしも棄権する必要がないのだ。

    一方、イランはかつての王政時代、イスラエルと良好な関係を保っていた。しかし、1979年のイスラム革命で政権が変わり、エジプトと入れ替わるようにイスラエルと断交。今では世界で最も激しくイスラエルと対立する国となっている。

    政府の指示に逆らったモラエイ選手は、そのままドイツに逃れ、棄権を迫られたことを公表した。イラン側は関与を否定したが、国際柔道連盟は政府の圧力があったと認定。イラン柔道連盟に対し、国際柔道連盟と傘下の各連盟が主催する国際大会への出場停止処分とした。

    モラエイ選手は難民選手として国際試合に復帰。2019年末にモンゴル国籍を取得することで、東京五輪出場を果たしたのだ。

    なお、モラエイ選手が2年前に武道館で闘えなかったイスラエルのムキ選手は今大会、3回戦で敗れた。

    パレスチナ問題の改善、及びイスラエルと周辺各国の関係改善が進まない限り、こうした棄権を巡る問題は今後も続きそうだ。

    そして、今回棄権したヌーリン選手らが、どこまで自らの意思で棄権を決めたのか、周囲からの圧力があったのかどうかは、不透明なままだ。


    【編集部注】登場する選手名のカタカナ表記は、この記事では五輪公式HPの表記にあわせています。出身地域での実際の発音は、公式HPでの表記とは異なる場合があります。