トランプの決断で銃に撃たれた人々を治療した日本人の話

    パレスチナ自治区ガザに向かい、抗議デモに参加したことでイスラエル軍に撃たれた人々を治療した日本人の医師と看護師に聞いた。

    5月14日、イスラエルは祝賀ムードに包まれた。米国のトランプ大統領がこの日、在イスラエル米国大使館を、国際的にイスラエルの首都とみなされてきたテルアビブから、エルサレムに移設したからだ。

    トランプ氏の長女で大統領補佐官のイバンカさん、その夫の大統領上級顧問ジャレド・クシュナー氏、そしてイスラエルのネタニヤフ首相ら両国の政府要人が出席し、華やかな記念式典が開かれた。

    「明らかに下肢を狙っている」

    その日、エルサレムから車で約1時間半のパレスチナ自治区ガザで、「国境なき医師団(MSF)」から派遣されていた大阪府在住の手術室看護師、佐藤真史さん(49)は「デモが銃撃されて多数の死傷者が出ている。明日から別の病院の応援に入ってほしい」と頼まれた。

    翌15日、地域の基幹病院の一つアルアクサー病院に向かうと、負傷者が廊下に溢れていた。

    ガザ地区とイスラエルの境界線付近で抗議デモをしていたパレスチナ人らに対し、イスラエル軍が実弾を発砲。多くの人々が倒れたのだ。

    5月14日だけ58人が死亡し、2771人がけがをする惨事となった。負傷者のうち1359人が実弾発砲によるけがだった。佐藤さんが治療に当たったのは、こうして撃たれた人々だった。

    「けがは下肢に集中していた。明らかに、脚を狙って銃撃されていた」と佐藤さんは振り返る。

    市民が行うデモに対して軍や警察がいきなり実弾を発砲することなど、日本では考えられない。だが、イスラエルによる占領と封鎖の下にあるパレスチナでは、これが日常だ。

    手術室では手術台が2台運び込まれ、複数の医師が同時並行で手術を繰り返していた。麻酔医の一人は「もう41人も殺された」と声をかけてきた。

    負傷者のほとんどは若者

    佐藤さんは一日中、手術の支援や、負傷部分の回りを金具などで固定する仕事を続け、そのまま病院に泊まり込んだ。翌日も、手術と看護に追われた。

    トランプ氏がエルサレムへの米国大使館移転を発表すると、パレスチナ各地では抗議デモが噴き出した。

    というのも、エルサレムは、イスラエル、パレスチナの双方が首都だと主張している都市だからだ。トランプ氏の決定は、それまで「和平交渉の仲介者」だったはずの米国が、これからはイスラエルの肩を持つと宣言するのに等しい。パレスチナ人らは一斉に反発した。

    トランプ氏の一方的な決定

    イスラエルは1980年、エルサレム全域を首都と宣言する法律を制定したが、国連の安全保障理事会はこれを「占領地の一方的な変更」として認めない決議を採択している。このため、日本を含む各国の在イスラエル大使館は、エルサレムではなくテルアビブに今もある。

    次々と担ぎ込まれる負傷者は20歳代の若者が多かった。「ガザの失業率が4割、若年層では6割といわれる。未来に希望が持てず自由が制限された若者たちが、危険を冒してデモに参加しているという印象だった」という。

    撃たれ、涙をためて祈る子ども

    佐藤さんの印象に残っているには、脚を撃たれた10歳の男の子のことだ。銃創の回りの痛んだ組織を取り除いて再生を促すデブリードメントの手術を担当すると、局所麻酔を受けていたこの子は涙を流し、コーランを唱えながら恐怖に耐えていた。

    イスラエル軍の使う軍用銃は、一般的な拳銃よりも弾丸が大きく速度も速いため、人体の受けるダメージは大きい。骨に当たれば砕けて体内で飛び散るタイプの弾丸が使われており、治療は難しくなる。

    軍人が言う「優れた兵器」とは、それだけ人を傷つけ、苦しめる力が大きい、ということなのだ。

    10歳の子を含め、けがをした人々はその後、傷の状況を見ながら何度も手術を繰り返し、リハビリを行う必要がある。衛生状態が悪いため感染症のリスクが高く、傷口にウジがわいているような患者もいた。栄養状態もよくない。

    「この人たちが将来ずっと悲しみや痛みが残るなかでどうやって生きていくのか、治療の間ずっと考えていた」と佐藤さんは言う。

    この日、2008年にイスラエル軍の砲撃により両足を失ったため、車椅子でデモに参加した青年ファディ・アブサラーハさんも、撃たれて命を落とした。

    車椅子でデモに加わり殺害されたファディさん

    長崎県在住の外科医、渥美智晶さん(42)も、MSFの緊急援助要員として5月21日からガザに派遣された。11日で40の症例を担当した。

    傷はいずれも、銃による被害がほとんど起きない日本ではまず見ないものだった。けがが酷い場合、下肢の切断が必要になるが、その決断は慎重にならざるを得なかった。「日本でバリアフリーの施設や障害者優先の姿勢があるが、ガザでは整っていない。足を失えば行動手段もうばわれ、社会的抹殺を受けかねない」からだという。

    女性も標的に

    女性もターゲットとなった。ある日、夫ともに抗議デモに出て撃たれたという28歳の女性を担当した。弾丸がちぎれて体内で壊れ、けがを悪化させていた。

    この女性は「14日、デモ会場後方ののテントの方にいたら、突然どーんと音がして、気づいたらけがをしていた」という。おそらくは遠方から狙撃されたのだ。

    この女性が診療室を訪れたのは、けがをして10日後のことだった。それまで何の処置も受けておらず、傷が化膿して大きく膨れ上がっていた。

    イスラエル軍による封鎖が続き、住民が地区外に出ることもできないガザの医療体制は危機的だ。医療器具や医薬品が足りず、十分な治療を受けることができない患者が少なくない。

    銃創のような外科治療だけでなく、がんや慢性疾患の治療体制も崩壊寸前だ。すぐ隣のイスラエルには世界最高レベルの医療体制が整っているが、慢性疾患の患者がガザから出て治療を受けようとしても、イスラエル当局の許可はほとんど出ない。

    MSFは抗議デモが激しくなり始めた2018年4月1日から6月3日の間、銃で撃たれた1286人を受け入れた。1286人のうち31人は、下肢を切断せざるを得なかった。患者の平均年齢は25歳で、18歳未満は155人。最年少は7歳だった。

    ガザ地区は面積356平方キロ。福岡市とほぼ同じ広さだ。そこに約200万人が暮らす。うち144万人は、イスラエル建国などに伴い故郷を追われた難民だ。

    天井のない監獄に暮らす日々

    周囲は塀で囲まれ、イスラエル軍の監視塔が並ぶ。上空には監視用の軍事ドローンが浮かぶ。イスラエル軍は攻撃機能を持ったドローンも使っている。住民の出入りにはイスラエルの許可が必要だが、多くが拒否されており、事実上、出入りの自由はない。「天井のない巨大な監獄」と呼ばれている。

    佐藤さんも渥美さんも検問所を越えてガザに入境すると、衝撃を感じた。エルサレムからの道路は快適で、綺麗に植樹が施され、まるでカリフォルニアかどこかのように綺麗に整っている。行き交う車もピカピカだ。

    だが、検問を越えて長い通路を歩いてガザに入ると、そこはロバの荷車や馬車すらも行き交う別世界だった。

    帰国後にBuzzFeed Newsの取材に応じた二人は「実際に現地に入った者として、知っておいてほしいことがある」と声をそろえた。

    「過度な暴力を停止すべきだ、非武装の市民に対して、イスラエル軍が実弾を使っているのは明らかだ。その状況を知ってもらうことが大切だと思う」と語り、こう続けた。

    「中立の立場に立つ我々のような者が、こういったかたちで状況を伝え、みなさんに現状を知ってもらうのが、我々の持つ最大の武器だと思います」

    裁けない犯罪 そして葬られた決議

    ガザではデモと銃撃が続く。

    6月1日にはパレスチナ人の医療ボランティア、ラザン・アル=ナジャルさんが撃たれて死亡した。21歳だった。白い医療用ベストを着て、デモの現場で撃たれた人を手当てしていたところを狙撃されたという。ガザにいた渥美さんにも、その日のうちにこの知らせが入った。

    非武装の市民や医療関係者への攻撃は、明確な国際人道法違反だ。違反者を裁く国際刑事裁判所(ICC)がオランダ・ハーグに設置されている。パレスチナ自治政府は5月22日、ICCに対し、ガザでの市民殺害などに関する捜査を要請した。

    だが、イスラエルは自国の行動を問われることを恐れてICCに加盟しておらず、捜査に協力する可能性は低い。

    そして米国は6月1日の国連安全保障理事会で、イスラエルを非難しパレスチナ人の保護を求める決議案に拒否権を行使し、つぶした。

    なお、米軍の行動が法的に問われることを懸念する米国も、ICCには加盟していない。G7各国でICC非加盟なのは、米国だけだ。