「アフガンの最も偉大な友人」を狙った卑劣な銃弾 アフガンで井戸を掘った医師中村哲さんの功績

    長年にわたりアフガニスタンで医療や灌漑整備などの支援を続けてきた「ペシャワール会」代表の中村哲医師が、凶弾に倒れた。なぜ中村さんは「アフガンの最も偉大な友人」と呼ばれるのか。

    長年にわたりアフガニスタンで、医療や灌漑(かんがい)整備などの支援を続けてきた中村哲医師が12月4日、現地で凶弾に倒れた。

    David Greedy / Getty Images

    アフガン政府の大統領報道官は、中村さんを「アフガンの最も偉大な友人」と讃えた。

    The Afghan government strongly condemns the heinous and cowardice attack on Afghan's greatest friend, Dr. Nakmora who has dedicated all his life to change the lives of Afghans, working on water management, dams and improving traditional agriculture in Afghainstan.

    Twitter: @SediqSediqqi / Via Twitter: @SediqSediqqi

    アフガン政府は、水資源管理やダム建設などを行って伝統的農業を改善し、その人生のすべてをアフガン人の暮らしを変えることに捧げてきた、アフガンにとって最も偉大な友人である中村医師に対する卑怯で憎むべき攻撃を、強く非難する。

    中村さんは医師としてアフガンに向かった。そして、干ばつに苦しむ農村の窮状を見て、つるはしを手に井戸掘りや水路づくりを始めた。

    時事通信

    中村さんを支援するために結成されたNGOペシャワール会によると、中村さんがパキスタン北西部ペシャワールの病院に赴任したのは1984年。

    医師としてのもともとの専門だったハンセン病の治療だけでなく、ペシャワール周辺の難民キャンプでアフガン難民の診療にも携わった。

    1989年からアフガン国内に活動を拡げ、病院がほとんどない山間部で、貧しい人々の診療を始めた。

    転機となったのは2000年だ。

    アフガンで深刻な干ばつが拡がり、農村はどこも疲弊。人々の暮らしはいっそう苦しくなったうえ、赤痢などの病気も蔓延した。

    そこで、伝統的な工法を研究しながら井戸を掘り、水路を建設する事業を始めた。水不足から村を離れ、難民となっていた人々が、水源の復活で故郷に戻り、もとの暮らしを始められるようになった。

    2003年からは、総合的な農村復興事業「緑の大地計画」を進めている。

    こんな「井戸を掘る医者」の姿は、日本の高校英語の教科書などでも紹介された。

    2001年には、米軍のアフガン攻撃と日本の米軍支援に反対の論陣を張り、国会にも参考人として登壇した。

    時事通信

    アフガン情勢を大きく変えたのは、2001年9月11日に起きた米同時多発テロ事件だった。

    首謀した国際テロ組織アルカイダのオサマ・ビンラディンの引き渡しを拒否したとして、米国は当時アフガンの大部分を支配していたタリバン政権に対し、「テロとの戦い」を名目に攻撃を開始。激しい爆撃や、米軍と連携した反タリバン勢力の地上侵攻などで、1カ月余りでタリバン政権を崩壊させた。

    この時、日本では米軍を中心とする多国籍軍に協力するかどうかを巡る論争が起きた。

    中村さんは現地から帰国し、参考人として衆院テロ対策特別委員会に出席。米軍の攻撃や、自衛隊の参加に強く反対し、こう語った。

    「現地は対日感情が世界で最もいい場所の一つです。その原因は、日本は平和国家として、戦後、あれだけつぶされながらやってきたという信頼感があるんです。それが、この軍事的プレゼンスによって一挙にたたきつぶされ、やはり米英の走り使いだったのかという認識が行き渡りますと、これは非常に我々、働きにくくなるということがあります」

    タリバン政権の崩壊から18年。

    中村さんが当時、危惧した通り、武力による政権転覆は、アフガンに安定をもたらさなかった。

    AFP=時事

    アフガンの地域に根ざした活動は国際的に高く評価され、「アジアのノーベル賞」と呼ばれるマグサイサイ賞を2003年に受賞した。

    各地で毎年のように表彰されるようになっても、年に3分の2はアフガン山間部の現場に留まり、自ら重機に乗り込んだりして水路建設などの事業を続けた。

    2008年には日本人スタッフを殺害された。

    時事通信

    2008年、ペシャワール会の日本人スタッフの男性が、現地での活動中に武装勢力に拉致、殺害された。

    丸腰で草の根の支援活動を続けてきたペシャワール会すらも襲われたことに、内外で大きな衝撃が走った。

    中村さんは自身以外の日本人スタッフを帰国させ、警備体制を強化して支援事業を続けた。

    時事通信(ペシャワール会提供)

    アフガンではその後も情勢の悪化が続き、多くのNGOが日本人職員を撤退させた。

    外務省など政府関係者を除くと、中村さんはアフガンの厳しい環境で現場に立ち続ける、ほぼ唯一の日本人だった。

    これまでに中村さんの事業で潤った土地は1万6千ヘクタールを超える。

    写真は2017年1月、整備を支援した用水路の送水を祝う祝賀会に出席した中村哲医師(中央左)。

    アフガン政府は中村さんの長年の功績を称え、市民証を与えた。

    @SediqSediqqi / Via Twitter: @SediqSediqqi

    中村さんの地道な活動は、アフガン政府の強い関心を呼んだ。

    2019年10月に、大統領官邸に招かれ、「名誉国民」としてアフガンの市民証を、ガニ大統領から渡された。

    アフガン政府から公式に、社会を建設する「同胞」と認められたのだ。

    これにより、ビザなしで渡航ができるようになったうえ、外国人には制限されていた土地の取得も可能になった。

    一方で、こうした政府側からのアプローチにより、アフガンの反政府武装勢力が、中村さんを「アフガン政府寄り」と見做すことになった可能性も、否定はできない。

    AFP=時事

    中村さんは車で移動中に銃撃され、アフガン人運転手や護衛ら同乗者5人も死亡した。

    タリバンは今回への銃撃事件への関与を否定しており、事件の背景はまだ、明らかになっていない。

    NHKによると、タリバンは「今回、ジャララバードで起きた事件について関与を否定する。日本のNGOはわれわれの土地でこれまで復興支援に取り組んできており、攻撃の対象にしたことは一切ない」との声明を出した。

    中村さんの死に、SNSでは追悼のコメントが相次いでいる。

    言葉にならない。今の世界で、本当に尊敬すべき人の一人だったのに。ただ、ただ、悲しい。 https://t.co/RVJtLzGEnO

    Twitter: @hiranok / Via Twitter: @hiranok

    作家の平野啓一郎さん

    アフガンからも追悼の声が

    #Nakamura will be remembered as a true Afghan Hero and human being who selflessly worked for the betterment of #Afghanistan. https://t.co/UP1jfXba0w

    Twitter: @Ghorzong / Via Twitter: @Ghorzong

    #Nakamuraはアフガンの本物の英雄、そしてアフガニスタンの改善のため無私の姿勢で働き続けた人として記憶される。

    アフガン人として銃撃を詫びるツイートも

    Twitter: @MYounasMokhlis2 / Via Twitter: @MYounasMokhlis2

    Contact Kando, Yoshihiro at yoshihiro.kando@buzzfeed.com.

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