
自然災害が多いと言われる日本だが、大雨や土砂災害をはじめとした災害の発生頻度はさらに増加傾向にある。
災害大国・日本に生きる私たちにとって、防災力を向上することは重要な課題だ。本記事では、未来を担う子どもたちへの防災教育をテーマに、防災学習アドバイザー・コラボレーターの諏訪清二さんに話を聞いた。
「生徒たちと一緒に学ぼう」英語教師から、防災学科科長へ
―いつから防災教育に携わられていますか?
1982年に大学卒業して、12年ほど兵庫県の高校で英語教師をしていました。その後、舞子高校へ転勤。35歳だったかな。その年に阪神淡路大震災を経験しました。それから5年後、同校で「環境防災科」の設立を担当。2002年4月には、日本初となる環境防災科がスタートして、そこからは学科の科長を務めました。

―初めての授業はどんな感じでしたか?
初の授業は僕もめちゃくちゃ緊張するし、生徒たちも緊張していました。そこから生徒のことを段々知っていき、付け焼き刃の知識だと相手にならないということがわかっていったんです。
たとえば生徒の1人は、震災でお母さんを亡くしている。別の子は、母子家庭でおばあちゃんっ子だったのに、おばあちゃんを亡くしている。そんな子たちが多くいたんです。だから、付け焼き刃の知識では絶対に向き合えないと思いました。
そういうこともあって、生徒たちには震災に関わったいろいろな人の話を聞かせたいと考たんです。それで外部講師として、行政から消防、警察、NGOなど、さまざまな立場の人を招いた。それから、学校の外にも生徒を連れ出した。六甲山へ行って地学の勉強をしたり、焼け野原になった長田区で聞き取り調査をしたり。こちらの付け焼き刃の知識はなしで、生徒たちと一緒に学ぼうという感じでした。


「1人の女性が亡くなった」消防士が号泣して語った被災体験
―外部講師の先生には、どんな話を聞いたんでしょう?
最初の外部講師は、消防士でした。当時の垂水消防署の副署長が来て、神戸市の消防の取り組みを話してくれました。すごく淡々と語るものだから、僕は「もうちょっとリアルな話がほしかったな」なんて思いながら聞いていたんです。
そしたら、その副署長が急に号泣し始めたんです。何かと思ったら、西市民病院という5階部分がパンケーキクラッシュ(倒壊した建物の階層が平たく押し潰される「層崩壊」のこと)で潰れてしまった病院があるんですが、そこで「1人だけ救えなかった」と。「1人の女性が亡くなった」と言って、ワッと泣き出したんです。
後から知ったんですが、救えなかった1人は生徒のお母さんだったんです。その生徒は当時「環境防災科をやめようと思っていた」とも話してくれました。自分の母親を殺した地震の勉強ばかりでしょう? だから、もう耐えられないからやめようと思っていた。けれど消防署の人が、震災から7年ほど経っているのに、自分のお母さんを救えなかったと教室で号泣している。「それを見て、学校をやめようと思うことをやめた」と言っていました。「もうちょっと付き合ってみよう」と。
乳飲み子を抱えた母親に、水を譲ってもらった看護師――。被災体験を聞いた高校生の感想とは?
―授業を通じて、諏訪先生が学んだことはありますか?
講師の被災体験を聞き終えた生徒の作文には、必ずと言っていいほど「もしも私なら」と書いてあるんです。たとえば、これは看護師から聞いた話ですが、発災直後は怪我人が大勢病院に押し寄せてくる。そんな状況で水が足りなくなって、町中を探し回ったけど誰も分けてくれない。でも、乳飲み子を抱えたお母さんが、「この子のミルクにしようと思っていたけど、これを使ってください」と、ペットボトルの水を譲ってくれたそうです。

この話を聞いた生徒の感想は2通り。「もしも私が看護師なら、それはもらえない」と「もしも私がお母さんだったら、わたせない」というもの。それらを読んで、この「もしも私なら」という発想が大事なんだと気づいたんです。何故ならそれは、過去の災害に自分を置いている、あるいは、過去の災害を今の自分に持ってきているということでしょう?
つまり、災害を自分ごと化して「そこにいる自分なら何をするか」という未来を考えているわけです。過去の災害と今の自分、そして未来の災害が繋がる。それって、すごく大事なことだと思ったんです。だから、そういう「本物」に出会える場所づくりをしようと考えました。
「人間は『がめつい』と言ってしまうもの」善悪両面を伝える大切さ
被災体験を教師のフィルターに通すと、美しい話に仕上げて教訓をつけたくなるんです。たとえば、小学生の作文で「震災の前日に友だちと喧嘩して、もう会えなくなってしまった。だから、僕はこれから毎日を一生懸命生きるんだ」というのがある。教師はそれを受け止めて、「みんなも頑張って毎日を生きよう」と言うけど、それは嘘だろうと。
その作文を書いた子は、そこにいきつくまでに、ものすごく自分を責めたと思うんです。そういうプロセスを無視して、綺麗ごとだけで「毎日を大切に生きよう」なんて言う教育はおかしい。そうではなく、その作文を生徒に読ませるだけでいい。そして、それをどう解釈するかは生徒に任せたらいいと思うんです。
たとえば熊本地震のとき、子どもたちとキャンプをして防災のことを勉強する会をしたんです。そのとき、小学生の女の子が体験談を聞かせてくれました。避難所でスリッパが配られるので、家族の分を持って帰ろうとしたら、居合わせたおばさんに「がめつい」と言われた。それが悔しくて泣いた。そんな話をしてくれたんです。それは美談ではないけれど、「人間は『がめつい』と言ってしまうものなんだよ」と、そのまま生徒たちに伝えたらいい。
被災体験には綺麗じゃない部分もあります。水やご飯の取り合いがあったし、避難所のトイレはものすごく汚くて、学校の先生と生徒が掃除して大変だった。そういう人間の悪い部分も善い部分も両方伝えなきゃならない。もちろん怖い話ばかりではいけませんし、心のケアも必要です。だけど、きちんと正しい話を伝えて、震災の光と闇のどちらも子どもたち自身に考えてもらいたい。そんなふうに思うんです。

防災教育は「生きる力を育む教育」。一人ひとり異なる力を養う
―最後に諏訪先生が考える、理想の防災教育を教えてください。
僕が考える防災教育は「災害に根差した教育」。別の言葉で言うと「生きる力を育む教育」です。「生きる力とはなに?」と聞くと、みんな違うことを答えます。けれど、それでいいんです。みんながそれぞれの生きる力の定義を持っていて、その生きる力の定義に向かって学んでいく。そんな教育のあり方が理想かなと思います。
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子どもたちの力を信じ、防災教育に尽力し続ける諏訪清二さん。彼が高校教師として最後に教鞭をとっていた兵庫県立松陽高校では、生徒たちとトヨタ自動車社員の交流があったと言う。
「これは僕の退職後の話ですが、防災学習の一環として生徒たちが非常食の缶入りパンをつくって、防災イベントで販売していたそうなんです。そうしたら、隣で給電車のデモンストレーションをしていたトヨタ社員が、『そのパンをうちで温めよう』と生徒たちに声をかけてきた。それで、パンを給電車で温めて販売したことがあったと聞きました」
トヨタ自動車は長らく、防災分野における取り組みに注力している。とくに給電車では、災害時などの停電にも電気を供給できるラインアップを充実。もしものときは1500Wまでの電力供給が可能で、パンを温めることはもちろん、電気スタンドで灯りをともしたり、ヒーターで暖まったりすることもできるそうだ。
諏訪さんは同社の防災給電の取り組みを知り、最後にこう語った。
「最近ではeラーニングやトヨタの『防災給電サポーターLINE』のような、オンラインで防災知識を学ぶ面白いツールも増えています。たとえば、そういったツールを活用して、社員とその家族を対象にした勉強会をやるのも良い。それを防災の取り組み事例として発信すれば、他の企業にも広がる。トヨタがやったら、社会的インパクトは大きいと思うんです」
諏訪さんは高校教師を退職した今も、災害に根ざした教育を日本に広げるべく活動を続けている。
トヨタ自動車の防災給電の情報はこちら。
また、「防災給電サポーターLINE」では、防災に役立つ豆知識や、給電車の使い方の情報などを提供中。LINEの友だち追加は、以下QRコードからどなたでも可能。

※2022年1月28日HuffPost Japan掲載『「防災教育は、生きる力を育む」日本初・防災学科をつくった英語教師が語る、被災体験を子どもへ伝える大切さ』より転載