リオ五輪女子レスリング53kg級決勝が18日(日本時間19日)に行われ、アメリカのヘレン・マルーリス(24)が日本の吉田沙保里(33)を破り、アメリカの女子レスリングに初の金メダルをもたらした。

「2年間、吉田に勝つために練習してきた。マルーリスのトレーニングはすべて吉田対策だ」
マルーリスのコーチであるバレンティン・カリカは事前のワシントンポストの取材にそう語っていた。
迎えた吉田との決勝戦。マルーリスは吉田を研究した成果を見せる。
頭をつけてるような低い姿勢で手をしっかり組み続け、吉田が得意とするタックルをさせない。
1ポイントリードされての第2ピリオド開始直後、一瞬の隙をついてバックを取り逆転し、試合残り1分のところで場外に出し4-1とリード。その後も吉田の攻撃を防ぎ続けた。
試合終了のブザーが鳴ると、涙を流しながらコーチと抱き合った。
五輪初出場のマルーリスが、生ける伝説の4連覇の夢を砕いた。吉田の個人戦連勝記録は206で止まった。

マルーリスにとってはリオ五輪はロンドン五輪の雪辱の場所でもあった。
代表をかけた試合で敗れたマルーリスはトレーニングパートナーとしてロンドンにいた。
代表コーチから要請があった時、やりたくないという気持ちもあったが、自国のレスリングチームのために受け入れた。
そして次は自分がと思った。リオへの第一歩は、ロンドンから始まった。
2015年の世界選手権では五輪では行われない55kg級で優勝。減量をしてリオ五輪53kg級の代表の座をつかんだ。

レスリングを始めたのは7歳。周りに練習相手のいない兄のパートナーとなったのがきっかけだった。
両親はレスリングを辞めさせようとしたが、12歳の時に女子レスリングがアテネ五輪で正式採用され、続けることができた。
アテネ大会で金メダルを獲得したのは吉田だった。この日マルーリスに敗れるまで、五輪では一度も負けていなかった。
またメジャーリーガーのダルビッシュ有はTwitterで、マルーリスはパートナーの山本聖子がアメリカ女子代表のコーチを務めていた時代の教え子だと明かしている。
山本は吉田のライバル。吉田にとってはこの日マルーリスに敗れるまで、2001年12月全日本選手権での山本との試合が、個人戦では最後の敗戦だった。
一方、山本は2004年の代表選考を兼ねたジャパンクイーンズカップでは吉田に敗れ、五輪出場の夢を断たれている。

吉田に憧れ、目標に成長してきたのは金メダルを獲った登坂絵莉、土性沙羅、川井梨紗子だけではなかった。
「長年、サオリとレスリングすることを夢見てました。彼女はヒーロー。このスポーツで最も栄冠を手にしたレスラーで、レスリングできて光栄でした」
こうUSA TODAYの取材に語ったマルーリス。彼女にとっても吉田は憧れだった。
一方、吉田は試合直後、泣きながら敗因を語った。
「自分の気持ちが...。最後は勝てるだろうと思っていたのですが、取り返しのつかないことになってしまった」
自分を破ろうと対策を練る相手はもちろん、金メダルを獲らなければという重圧と戦っていた。

吉田はリオを最後の五輪として位置付けていた。マルーリスは吉田を目標とし、アメリカに女子レスリング初めての金をもたらした。
金メダリストと銀メダリストの残酷なまでの対比が、新たな時代の訪れを告げていた。