タレント、シンガー、自身のブランド「mmts(マミタス)」のデザインなど多彩な活動を続ける中川翔子さん。
そんな彼女が3年ぶりとなる個人名義でのシングル『blue moon』を11月28日にリリースする。
新曲には亡き愛猫マミタスへの思い、そして子どもたちへ伝えたいメッセージも込められている。そこには自身の変化もあったという。
30代を迎えた「しょこたん」の今を聞いた。
――シングルのリリースは3年ぶり。意外でした。
小林幸子さんや、「でんぱ組.inc」とのコラボ曲はあったんですけど、個人名義で出すのは3年半ぶり。びっくり&本当に諦めずにいて、また時が巡ってきたのでよかったと思います。
――新曲「blue moon」はアニメ『ゾイドワイルド』のエンディングテーマです。歌詞は中川さんとmeg rockさんの共作ですが、どんな思いが込められていますか。
アニメは相棒との絆が未来に繋がっていく物語です。そんな存在がいてくれたから、きっと自分は嬉しい時も、悲しい時も、人生のいろんな瞬間を乗り越えて今を生きている。
もう会えないとしても、これからもずっと一緒なんだということは心の中にあって。その思いを言葉にして、歌にしたら、ずっとずっと残ると思っていました。
しかも「blue moon」には、「あり得ないほどの奇跡」という意味があって。
家族、恋人、ペットだったり。大切な存在に出会えて、お互いに思い合えるって、あり得ないほどの奇跡!
――昨年9月に亡くなった愛猫「マミタス」の存在も歌詞には影響していますか。
そうですね。それはすごく大きな自分の中でのきっかけというか。
仕事で心が折れそうになって、「もう無理かな」って思っちゃった時、何も言わずにマミタスが側にいてくれることで、どれだけ助かったか。
ヒャダイン(前山田健一)さんがマミタスへの思いを特別に歌にしてくれた『愛してる』という曲があるんですけど、最後まで歌えないくらい涙が出てしまって…。だけど、笑顔で歌うことでもう会えないんじゃなくて、一緒にこれからもいることなんだって気づけました。
いま周りにいる人に対しても、もう会えないけれど愛してくれた存在に対しても、私はコンサートで歌っているとき「空に届いているな」「いま聞いてくれているな」って思えるし、「自分も生きているな」って感じる瞬間です。
きっと誰しも生きていると嬉しいことだけじゃなくて、悲しいこともきっとあって。
どうしても人生って有限だから、別れる時も来てしまうかもしれない。
けれど、例え距離が離れても、肉体的に会えなくても、気持ちってずっとあると思います。だから、大切な存在を重ねて曲を聞いてもらえたら嬉しいです。
自分の中でも、これを言葉に、歌にできたことによって、また気持ちが少し前に向けるなと思ったし。歌うたびに大丈夫って、強くなれるって思える気がします。
あと歌詞に登場する「月」は「ツキ(幸運)」もかかっていて、聞いてくれた方やみなさんにラッキーが訪れますようにという思いも込められています。
いつもライブの最後で「みんなまた会うまで風邪引くなよ。怪我するなよ。猫なでろよ。そして、死ぬなよ」って言うんです。
「みんなにラッキーが訪れますように」っていう、シンプルな願いをこっそりかけています。
――シングルを引っ提げてのリリースイベントツアーも久々ですね。
久々にリリースイベントで全国を回って、初めての方もたくさん来てくれました。
一方で、コンサートで出会ったファン同士で結婚して、「子どもがこんなに大きくなったから連れて来たよ」っていう方もいっぱいいて。もう、それが第三次ブームぐらいで(笑)。
そういう方は、きっと子どもに対して「月のように見守りたい」という気持ちになるのかなって。
私もまだ見ぬ孫に「おばあちゃんはラプンツェルの声をやっていたんだよ」と言いたいっていう夢があって。まだまだ死ねないなと思います(笑)。
いつも歌う時には「みんな長生きしてね。約束だよ」という掛け合いがあるんですけど、「どうか幸せでいてね」「どうか少しでも長生きしてほしい」と心から思うようになってきました。
最近、やばいんですよね。懐かしいと感じられるものが全部愛おしくなっちゃって。
例えば、子供のころに行っていた後楽園遊園地(現東京ドームシティアトラクションズ)に、大人になってからこの夏行ったんですけど…。
――出演されているテレビ番組『ポケモンの家あつまる?』の共演者と遊びに行かれた時ですね。
リアル脱出ゲームにみんなで行ったり。80年代後半からありそうなコンクリートの壁を発見したんですけど、壁がもう愛おしくて、壁の写真をずっと撮っていたり。
――(笑)
ヤバいな私って、あとで見た時に思ったんですけど(笑)。でも、大人になればなるほど、懐かしい気持ちの尊さを感じるというのは、いつか「blue moon」もそう思ってもらえるのかなって。
例えば「空色デイズ」は、リリースからもう11年も経っているんです。
この間も大阪城ホールでのアニメイベントで、シークレットゲストとして登場して歌ったら「うわっ、懐かしい」という声もいただけて。「そうか、あっという間だったけど、長いな」と。
でも、その中にいろんな出会いがあって。まだ子どもだった人が今、大人になって「自分で働いたお金でしょこたんのライブに来ています」って言ってくれて。
子どもたちにいろんな夢の扉を届けられたらというのがあるので、今回『ゾイドワイルド』の歌を歌えたことは本当によかったなって思っています。
――「子どもたちのために」という思いを強く意識し始めたのはいつ頃だったんですか。
私も20代前半でポケモンの番組をやらせていただいて、気づけば12年。だんだん子どもたちに「しょこたん」と言ってもらえるのが嬉しくて。
私も子どもの頃、テレビでゲーム番組に出ているお姉さんの楽しそうな姿を見て、そこから始まって。
今、大好きなことができている感謝の気持ちをまた何倍にもして届けられたらすごく素敵だし、「しょこたんを見て、こうなりました」って人と会えたら最高だなって思うんです。
私が、レジェンドの先輩にいっぱい感謝の気持ちがあるような感覚と一緒で。
レジェンドって、凄く優しいんです。藤子不二雄(A)先生の展示パーティーがこの後にあるんですけど「絶対来てね」って言ってくださったり、水木(一郎)の兄貴とかも「Nintendo Switchの新しいゲーム、もうクリアしたんだけどさ」みたいな連絡をくれたり、友達みたいに話題を教えてくださったり(笑)
そう思うと、「モーニング娘。’18」の飯窪春菜ちゃんは私の10歳下なのですが、あまり年下という意識はなかったんです。
だけど「中川さん、いつもありがとうございます」とか言われると「えっ? 何言ってんの?」みたいな感じになっちゃう。
――中川さん的には同年代の友達感覚だったのに(笑)。でも、だんだんと「しょこたん」が「しょこたんさん」になって来ませんか?
そうなんです。最近、呼ばれ方が「しょこたんさん」か「翔子さん」なんですよ(笑)。
しょこたんに、”さん”を付けてくださるのは申し訳ないなと思いつつ。
スタッフさんも「しょこたんのバミリ、ここです」から「翔子さんのバミリ、ここです」に変わって。「あっ、ヤバい。申し訳ない」って。
――どこかのインタビューで、30代になってから「ウチくる?」って言えるようになったという話がありました。積極的に人と関わろうという思いが30歳になって湧いてきたのでしょうか。
そうですね。逆に20代は歌詞にも書いてあるように、「光の粒の雨の中を 今日も僕は走り続ける」という感じで。
友達だったり、人に会うとかも勝手に大ごとに考えすぎちゃって。自分のことを話すのも恐いなと、勝手に怯えたり。
学生時代も友達と共有するのも得意じゃなかったし、それこそ中学の時は友達が2人しかいなかったんですけど。
その友達と再会したおかげで藤子先生とか色んな方に会えている。なんだそれは?って(笑)。
――友達は何者なんですか?
何者かわからない感じになってるんですよ、今(笑)。
でも年上年下とか関係なく、自分から誘ってみる。むしろ誘ってみる方が、意外とうまくいく。
漫画家の清野とおるさんの『東京都北区赤羽』に凄くハマって。赤羽に行ってみたいなと思っていたら、1か月くらい後に知り合った方が清野さんに連絡を取ってくれて、赤羽を案内してもらえると言う話になって「あっ、もうかなった」という。
お酒を全然飲まなかった時に比べると、今は1杯ぐらい飲めるようになったので、それだけでも全然見える景色が違うんだと思うと、なんか面白そうなことがまだいっぱいあるかも。
全部一気にイエーイって、遅咲きのはじけ方したらヤバいじゃないですか。
そういうことはないんですけど「ちょっと行ってみませんか」って自分で言うのが面白いなって思ってます。
――人との関わり方でいうと、中川さんはブログ、そしてTwitterとネットを通しての発信をこれまでされてきました。
私はSNSの黎明期の頃にデビューして、そのおかげで自分の好きなものだったり、こういう人ですよというのを知ってもらうきっかけになって、そこからテレビや歌という未来に繋がっていきました。
SNSが本当に未来への夢の種まきの場所になっていて、10年越しに花が咲いたこともすごくあって。
日本語って凄く語彙が限られているけど、その中でも好きと思ったことをどんな風に褒めるか。褒めるのは楽しいじゃないですか。ディスるより絶対。
「ゾイドワイルド」でもこの間、ダイオウグソクムシのゾイド「グソック」が登場みたいなのがあって、5000RTとかなっているの面白いなって。何グソックって凄くない? って。そういうのを見つけたいですよね。
――グソクムシのメジャー化でいうと中川さんのおかげですよね。
いえいえ。でもグソクムシにも需要が生まれているというのは、凄くハッピーな未来だなと思います。昔は見つからなかった、日陰にいた物たちが、今は堂々と輝いていられる、そんな時代ですよね。
SNSの良いところは、どんなものでも好きって言えること。否定される筋合いはないってことですもんね。マンホールが好きな人がいたり。
だからハッピーなことをいっぱい言う。何かを褒めまくる。それもわざとらしくなっちゃうと仕事みたいになるから違う。
――30歳をすぎてから演技の仕事もやられていて、以前からイラストを描くことは自身の柱の一つと語っています。そんな中、歌というのはやはり特別でしょうか。
凄く特別です。やっぱり一番原始的に最初からやりたいと思ったことでもあり、歌を通して初めましての人にも出会えているし、いろんな発見をできている。
何より自分自身もいろんな景色を見ることができて、一番の生きた証しです。
本当に歌って不思議で、魔法みたいで、目には見えないけど確かにあって、自分が経験を積んでいけば、歌も進化していくし、時がまた輝きを増してくれるものもある。自分が死んだあともずっと残る。
ずっとずっと時を超えて、宝石のように輝きを増していくものが歌だと思うので、できるだけ長く歌えるように、今頑張る時だなと思います。
――歌であると共にアニソンであることも大事ですか。
アニソンであることで聞こうと絶対になってくれる人がいるんですよね。
自分のことを思い返すと、6歳から13歳までに何に出会うかで絶対に未来の道というかビジョン、自分の色って決まるのかなと思うんですけど、そういう世代に何か刺さるものをプレゼンできたならなっていうのはいつも思います。
私の脳みそはきっとたくさんの素晴らしい歌だったり、この世界のいろんな素敵なものに育ててもらっていて、このワクワクする気持ちを未来の地球を回す若い子どもにも届けたい。
ゾイドを見ている子どもたちが大人になったとき「懐かしいな」って感じる気持ちはすごく尊くて、大人になった第一歩な気がします。
その気持ちにプラスして、見ていた時の食卓の風景とか思い出も溶けこんでいて、大人になって気づく。そうなったらうれしいです。
ずっとずっと時を超えて、輝きを増していくアニメソングの中に、『blue moon』が歴史に加われたら嬉しいなと思います。あと、これはいくつになっても歌える歌だと思います。
――50歳になっても?
はい。「綺麗ア・ラ・モード」という10年前の楽曲は今の方が歌詞の意味だったり、歌っていく中で気持ちよく歌えるようにもなってきて。
作曲家の筒美京平さんが「時を重ねる方がもっとうまく気持ちよく歌えるようになっていくよ」とおっしゃってた意味が凄く分かります。
レコーディングで生まれて、ファンの方に聞いてもらって、その時に見た光とか自分の経験値とかいろんなものが重なって、どんどん出来上がっていくんだなと思います。
――そう考えると、曲は子どもですね。
そうですね。爆誕したって感じですね。
――じゃあ、この子どもを平成の次の世代まで歌い継いでもらいたいですね。
そうですね。孫に歌ってほしい(笑)。ファンのお子さんにも、その子どもにも口伝してほしいです。
それまであと20年くらいかかるかな。『愛の讃歌』を歌いこなすには、20年、30年と人生色んな目に遭わないと説得力が出ないと思うので、そこを目指して。そう思うと、まだまだこれからですね(笑)。