ガンダムの歴史の重要ピース『MSV』とはなんだったのか?

    MSVがなかったら、ガンダムは消えていたかもしれない

    モビルスーツバリエーション、MSV。

    映像作品を持たず、モビルスーツのデザイン画と文字設定だけで展開されたガンプラ企画は、1980年初頭の少年、青年たちを熱狂させた。

    「あの時代、MSVがなかったらおそらくZガンダムもなかったし、ガンダムは消えていたかもしれない」

    当時熱狂の中にいた高校生で、のちに『ガンダム・センチネル』を手がけるあさのまさひこさんはそう語る。

    5月、あさのさんは著書『MSVジェネレーション ぼくたちのぼくたちによるぼくたちのための<ガンプラ革命>』を発表した。

    当時、商業流通した雑誌など客観的資料を基にMSVについて綴ったドキュメンタリー本だ。

    現在まで続くガンダムの歴史の中でMSVがいかに重要だったのか。出版までの苦難と亡き”編集者”への思いとは。BuzzFeed Japanはあさのさんをインタビューした。

    MSVとは1980年前半に発売された雑誌、書籍を中心に展開されたガンプラの企画、その後に発売されたバンダイのプラモデルシリーズを指す。

    劇場版『機動戦士ガンダム』第1作が公開され、ガンプラ人気が社会現象と化した81年に出版された書籍『劇場版機動戦士ガンダム アニメグラフブック』。

    この本にガンダムのメカニックデザイナー大河原邦男によるオリジナルのザク(水中用ザク、ザクキャノンなど)のイラストが掲載され、大きな反響を呼んだ。

    本を担当した編集者の安井尚志は、大河原に続々とオリジナルのMSを描き起こさせる。

    これらの機体は後にMSVと呼ばれ、当時の小学生から大学生まで幅広い世代に支持された。

    高機動型ザクⅡ(黒い三連星専用ザク)、ジョニー・ライデン少佐専用ザクⅡ、フルアーマーガンダムなどファンならよく知るMSも、MSVから生まれたものだ。

    二次創作的な雑誌企画だったMSVは、1983年にバンダイからプラモデルとして発売され、ガンダムの正史に組み込まれていく。

    アニメなど映像作品をもたないMSVがなぜブームとなったのか。

    「現在ガンプラは日本だけでなく、世界中、とくにアジア諸国でも売れています。でも規模でなく、熱量でいうと、今が1なら当時は100以上。触ればやけどするくらいでした」

    まだファミコンが発売される前。ガンプラに限らず、プラモデルが子供たちの趣味の王者だった。

    「当時は正規だけでなく、パチモノまで含めるとほぼ毎日、模型屋にリアルロボットの新製品のプラモが入るような時代だったんです。小学生から大学生まで、ネットがないから足を使っておもちゃ屋を回って新製品の情報を手に入れた。店の人も一見さんにはなかなか教えてくれなくて、常連にはこっそり『入っているよ』と教えてくれてました(笑)」

    MSV以前のガンプラも大ブームを巻き起こしたが、例えば1/144のゲルググは腕が肩の装甲よりも上まで上がらないなど、現在を考えると決して高い質ではなく、改造しないとアニメに登場したような”リアルさ“には近づけなかった。

    だからこそ子供たちは雑誌に載った改造法を実践し、自らリアルな物に仕上げた。

    「ただ組み立てるだけではだめ。説明書を破り捨てて、いろんな部分を改造してこそ初めて、ムーブメントの輪の中に入っていける。自分で考えて、自分で行動することが必要だったんです」

    自分たちの手を経て完成される文化。当時の小学生までもがMSVを「自分たちが生み、育んだ文化」と自負していたという。

    あさのさんがMSVを描きたかった理由の一つが、ブームを作ったのが編集者の安井、そして模型集団「ストリーム・ベース」と、20代の若い世代だったことだ。

    「ミリタリーなどについてものすごい知識量を持っていたけれど、当時大学生だった人間の、喫茶店で話して作ったような企画がなぜ大人気となったのか。そのミラクルを描きたかった」

    著書の中ではMSVが生まれるきっかけに現アニメ・特撮研究家の氷川竜介のアイディアがあったりと有名人の名前も飛び出し、オタク文化の群像劇としても楽しめる。

    もう一つ描きたかったのはガンダムの歴史におけるMSVの重要性だ。

    劇場版3部作の最後となる「機動戦士ガンダム めぐりあい宇宙編」の公開と「機動戦士Zガンダム」のスタートの間には3年の空白期間がある。

    アニメがなかったこの期間、ガンダムの熱を保ったのがMSVだった。

    「あそこでMSVがなかったら、おそらくはZガンダムもなかったし、ガンダムはそこで消えていたかもしれない。ガンダムというビッグタイトルを俯瞰してみると、MSVはブリッジ。ものすごく重要なピースなんです」

    MSVの軍事的に深堀りされた機体設定などはアニメの世界に深みを持たせた。

    それらは「機動戦士ガンダム0083」「機動戦士ガンダム 08MS小隊」そして「機動戦士ガンダムUC」へと色濃く繋がっていった。

    あさのさんは2008年に模型雑誌でMSVの特集を企画。手応えを感じ、一冊の本にまとめたいと考えた。

    書籍化するにあたり、2013年に話を持ち込んだのが、MSVブームに関わった雑誌「模型情報」で編集長を務めていた加藤智さんだった。

    あさのさんはデザイン専門学校生のころに加藤さんと知り合い、その後あさのさんが原型師として美少女フィギュアの第一人者となると、取材対象と取材者として親交を深めた。

    「加藤さんにMSVで本を作りたいと話をしたら、待ってましたという感じでした。当時加藤さんは『キャラアニ』の社長。出版部門はありませんでしたが、この企画だけは絶対に他人に任せたくないと版元はKADOKAWA、発行はキャラアニとトップ決断で決まりました」

    すべての取材にも同行していた加藤さん。バンダイに出版の最終許可を取った後、加藤さんから「近くにいいところがある」と隅田川沿いの店に誘われ、酒を交わした。

    「夕暮れでスカイツリーが綺麗に見えて。『この本が出れば心置きなく死ねる。成仏できる』と加藤さんが言ったんです。本を作る途中何度も言われていたから『また、その話ですか』と何度も言ったんですけど…」

    2014年2月17日に加藤さんと打ち合わせした際、「いつ書き上がる?」と加藤さんから聞かれ「2月いっぱい」と答えていたあさのさん。

    1週間後、外出先で加藤さんの訃報を知る。後から、加藤さんはすい臓がんを隠して、取材に臨んでいたことを聞いた。

    もう少しぼくの執筆ペースが早かったら、もしくは、この企画をもう少し早く持ち込んでいたら…。

    本のあとがきには、あさのさんの忸怩たる思いが綴られている。

    社長の肝入り企画だったMSV本は、加藤さんの死により状況が変わり、出版が難航。

    別の出版社に持ち込むも再びトラブルに遭い、太田出版に持ち込んだのが2年前の9月だった。

    仕切り直しとなったMSV本だが、元々バンダイの社員でMSVの当事者でもあった加藤さんの後ろ盾がないこともあり、出版は困難を極めた。

    編集を担当した太田出版の林和弘さんによれば「この本が出版できたこと自体が奇跡」と言うほどの難産の末に、今年ついに出版に漕ぎ着けた。

    雑誌特集から約10年、加藤さんの死から4年の歳月が経っていた。

    様々な思いが込められ、出版された『MSVジェネレーション』。MSVというものを語ることと同じくらい、ある強い気持ちが込められている。

    「プラスチックモデルというミニマムなものを題材として、重厚的なドキュメントがつづれ、それを世に公表できたことが僕の中では重要です。例え、おもちゃであってもきちんと書き切ることができれば、それは重要な、重厚なドキュメントになり得る。小さいかもしれないけれど、その風穴を開けられたという自負があります」

    「リカちゃん人形だろうが、スーパー戦隊シリーズだろうが、題材は何でもいいんです。同業者の中から僕も、私もやりたいという声が上がってほしいし、版権元もこういう表現があってもよいかなとなる。そういう世の中になってくれると期待してます」

    MSVがガンダムの歴史をつなぐブリッジになったように、この本が、そしてこの本に刺激を受けた後続が文化を後世に伝えるブリッジになってくれることを、あさのさんは願っている。