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「疑似西暦」にご注意!「忠臣蔵」年末でなく年始だったござる

各々方、間違いでござる

えっ「忠臣蔵」って年末じゃなく年始だったの!

和暦(旧暦)を西暦に代える際に、誤った日付となる「疑似西暦」の横行について、国際日本文化研究センター名誉教授の笠谷和比古氏が、9月21日付の読売新聞文化面で言及している。

和暦から現在使われる西暦に直す際、慶長5年→1600年と年だけでなく、日付についても和暦と西暦にずれが生じるため直さなければならない。

しかし笠谷氏は歴史本やムックなどの中に、日付まで正しく変換していないものが多く「歴史を学ぶ人は混乱するし、国民の歴史認識はゆがめられている」と注意をうながしている。

紙面では関ヶ原合戦、王政復古の宣言など、いくつかの例が出ているが、特に面白いのが「忠臣蔵」で知られる、赤穂浪士の討ち入りだ。

討ち入りが起こった元禄15年12月14日。正しく西暦に直すと1703年1月30日となるが、笠谷氏によれば1702年12月14日や1703年12月14日と間違った日付が横行しているという。

年末になるとテレビで「忠臣蔵」の映画が放送されるのが日本の風物詩だが、厳密に言えば、年を越してから放送するのが正しいようだ。

このように実際の西暦の日付によって歴史的出来事を見ると、新たな発見が生まれ、面白い。

【桶狭間の戦い】×1560年5月19日→○1560年6月12日

織田信長が少ない兵力ながら奇襲により今川義元の大軍を破り、覇業への第一歩を飾った戦いは、天候が雨だったことも影響したと言われている。

現在の日付に直すとちょうど梅雨時。運ではなく、あらかじめ天候を見越しての奇襲だったといえそうだ。

【桜田門外の変】×1860年3月3日→○1860年3月24日

大老・井伊直弼が元水戸藩士たちによって襲撃、暗殺された事件。

当日は明け方から雪が降り、井伊の護衛についていた武士たちは、雨合羽に刀には柄袋(雨や雪の日に刀剣の柄を覆う袋)をつけていたことで、襲撃への反応が遅れ、暗殺の成功につながったとも言われる。

事件が起こった日は現在の日付で3月24日。季節外れの雪が井伊、そして日本の運命を変えたようだ。

【坂本龍馬の誕生日】×1836年11月15日→○1836年1月3日

幕末を駆け抜けた坂本龍馬。誕生日を1836年11月15日と書いているところもあるが、正しく新暦に直すと1836年1月3日となる。

龍馬が暗殺されたのは慶応3年11月15日、新暦に直すと1867年12月10日だが旧暦ならば生まれた日付も死んだ日付も同じ11月15日。

旧暦の方がドラマチックだ。


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