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薬の力で、最期は苦しまず、眠るように逝きたい

患者の思いを叶える、医師の葛藤

(この話に登場する人物にモデルはいますが、仮名を使うなどご本人とわからないように詳細は変えて書いています)

医療現場では、この数年で、死に向かう患者の意識が変化してきたと実感しています。

それまでの生き方、人生の功績に関わらず、病と死の苦痛は、誰しも公平にやってきます。人は最期は苦しまず、人は皆、眠るように逝きたいと願っています。最近、本当に眠るように逝きたいという願いを、医療の助けで実現しようとする患者を診療するようになってきました。

終末期医療の現場も次の段階に進んできたのだと、私は冷静に受け止めています。そして、私を含めた医療者の意識も変わる必要があると思い、自分の経験と心に起こった戸惑い、そして変化を皆様と共有し、考えたいと思います。

「今日が丁度良い日です。もう眠らせてください」

「先生、今日が丁度良い日です。もう眠らせて下さい。では、家で待ってますので、手が空いたら来て下さい」

いつも通りの穏やかな、どこか清々しいともいえる口調でした。

ミノルさんは、末期がんのため自宅で療養している、60代の方です。奥さんと二人暮らし、子供はおらず二人で助け合って生きてきました。

ミノルさんが市内の総合病院で、末期がんと診断され、もう治療の方法がなくなり、少しでも苦しみが軽くなる緩和ケアを中心に自宅療養をする決心されたときから、私との関わりが始まりました。入院先の病院に出向いて何度か診察し、担当医と治療の引き継ぎをし、自宅療養に備えました。

そして、ついに自宅に戻ったミノルさんは、入院中よりも生き生きとした表情でした。

「家に帰ってほっとした。やはり病院は、周りの物音が気になるし、なにせ食事が不味い。もう二度と病院には戻りたくない。このままずっと家で過ごしていたい」と言いました。

奥さんも「毎日電車とバスを乗り継いで病院へ行き、長い時間狭い部屋で付き添い、家に帰ると疲れ果てていました。こうして家で過ごしていると、家事もできるし、私も疲れたときは、自分の部屋で横になり休むこともできます。本当に良かった」と安堵の表情でした。

しかし、良いときは続きません。家に帰り半月もすると、がんの苦しみがミノルさんに襲いかかっていきました。

ミノルさんは、お腹の中にできたがんが大きくなったせいで、その日の早朝から、ずっと吐いていました。朝早くに奥さんから電話がありました。

「昨日の夜から吐き続けてしまい、どうしたらよいのか。先生、診察してもらえますか」

私が午前中診察したときは、もう胃の中のものを全て吐き出してしまい、すっきりとした様子でした。苦しみは自ずと過ぎ去り、ミノルさんはほっとした様子でした。

「昨日から急に吐き気がひどく、食べたものも全部吐いてしまった。自分でも分かる。もうそろそろ終わりが近づいているんだと思う。先生、以前話してくれた方法で、もう苦しくないようにしてもらおうかと思っているのだが」

以前話した方法とは、がんの苦しみが、度を超してしまい、もうなす術がなくなったときの治療のことです。

「先生、今日の午後に、妹が遠くから来てくれる。妹と最後に話すことができたら、もう思い残すことはないんだ。苦しまないようにしてくれるか」と頼まれたのです。

私は、強い戸惑いを感じ、その時はなんと答えていいか分かりませんでした。

苦痛を取り除く最後の手段「鎮静」

多くの患者を治療した経験から、様々な苦しみに耐える患者を見てきました。

痛みには鎮痛薬、息苦しさには、安定剤、吐き気には吐き気止めとそれぞれの苦しみに合わせて薬を、そしてベッド上でどのような位置に身体を落ち着けたら、少しでも苦しみが軽くなるかを、看護師や家族と共に考えてきました。

多くの患者は、緩和ケアと、そして最後には自然と眠ってしまうことで、苦しみから救われます。

しかし、あらゆる治療と緩和ケアを施しても苦しみが残る患者は、確かにいます。ミノルさんのように、会話ができるくらい意識がはっきりしたまま最期の時を迎えつつある方は、特に肉体の苦しみ、そして心の苦しみが、度を超えて苦しくなってしまうのです。

どうして、苦しみの強い状態になってしまうのか、長年患者を診察していてもよく分かりません。ただ比較的年齢の若い、体力のある患者ほど、苦しみながら最期の時を迎えてしまうことが多いようです。

そんな最期の苦しみを取り除く最後の手段が、「鎮静(セデーション)」という治療なのです。

苦しみなく最期の時を過ごす、多くの人達と同じように、眠ったままで過ごせるように、薬の力を借りる方法です。

私も、ホスピスで働いていたときも、在宅医療を実践している今も、何度も患者に「鎮静」を実行してきました。「鎮静」で使う薬は、一般的な睡眠薬で、「ドルミカム」という薬を点滴で注射します。

この睡眠薬は、日常的にどこの病院やクリニックでも、外来で胃カメラ、大腸カメラを眠った状態で受けるときに使われており、身体の状態が良い方は安全に使用することができます。眠っている間に検査は終わり、検査が終わり薬を止めれば間もなく目が覚めます。

しかし、がんで衰弱した患者に睡眠薬を注射するには、少ない量でも効き過ぎて、呼吸を止めてしまうことがあるため、細心の注意と、経験を必要とします。

私が戸惑いを感じたのは、ミノルさんの話し方とその内容でした。

私が鎮静をしてきた多くの患者たちは、「もうこれ以上痛みには耐えられない。助けてほしい」とその時感じている自分の苦しみをはっきり言葉で伝えるか、「しんどい、しんどい」と朦朧とした意識の中で、顔をゆがめて苦しさを伝えるか、そのどちらかのことが多いのです。

ミノルさんのように、強い苦しみを体験していない状態で、「鎮静」を求められることはほとんどありませんでした。穏やかな話し方で冷静に、「鎮静してほしい」と患者から頼まれることも、「妹と最後に話したらもう鎮静してほしい」と、治療を始める時期を患者自らが決めて、はっきり意思を伝えられることは今までになかったのです。

迷いと覚悟 症状が落ち着いている患者を眠らせるべきか

そして、ミノルさんが妹と話した直後に、私に「眠らせてください」と直接電話が掛かってきたのです。私はその日の仕事を終えて、日が暮れた夕刻に、ミノルさんの家に着きました。

既に看護師が家に着いており、ミノルさんと奥さんと話していました。とても穏やかな雰囲気でした。ミノルさんと奥さんはずっと手を握りあっていました。

私は一目で、今のミノルさんは、強い肉体の苦しみも、また追い詰められた心の苦しみもないことを察しました。

「お待たせしました。ミノルさん、本当におっしゃっていたように、今から眠れるように薬を使っても良いのでしょうか。私の見立てでは、今それほど苦しんでいないように見えるのですが」と問うと、ミノルさんは、奥さんの顔を見つめたままこう言ったのです。

「先生、今日が丁度良い日です。もうやり残したことはありません。やっておきたいこと、伝えておきたいこと、全て終わりました。この先、もうそれほど時間はないと思います。もう少しも苦しみたくないのです。先生お願いします。もう眠らせて下さい」

そして、ミノルさんは「最期は苦しまず、眠るように逝きたいのです」とはっきりと言ったのです。

本当に言葉は明瞭で、その表情は全てをやり遂げた、清々しい穏やかな表情でした。

私は、しばし心の中で葛藤しました。

いつものように、苦しみが強い状態になった時に初めて、眠らせるべきではないのか。

いや、本人が眠らせて欲しいというからには、それに従うべきではないのか。

今からやろうとしていることは、本当に苦しみを救う方法なのだろうか。

自分の人生を、そして死をコントロールしたい気持ちに応えているだけなのではないか。

私はもう一度ミノルさんに問いかけました。

「今の状態で薬を使うと、恐らくもう周りの人と話すことはできなくなると思います。本当に最後になると思うのです。それでも、眠りたいと思っているのでしょうか」

ミノルさんは、「もういいんだ。もう話せなくていいんだ」と決心は変わりませんでした。

奥さんにも声をかけました。

「奥さんも同じミノルさんと同じ考えなのでしょうか。もう眠らせてあげたいと思っているのでしょうか」

奥さんは、直ぐに返事をしました。

「もうこの人がこの先苦しむ姿を少しも見たくないんです。十分に話をしてきました。最後のお別れもしました。この人が言うように、もう今日が丁度良い日なのですよ、先生」

私は覚悟を決めました。

いつものように、薬で眠ることはしばらく考えてもらい、今この場で鎮静を始めないこともできる。でも、また次に相当苦しんでからやっと鎮静を始めるというのは、本当に良い治療と言えるのだろうか。

確かにミノルさんの言うとおり、もう残された時間はほとんどないのだ。例え薬で眠ってしまうことで、何日か早く死を迎えることになったとしても、その時間の違いはわずかだろう。やはり、少しも苦しまずに最期を迎えたいというミノルさんとそして奥さんの思いに応えよう、そしてそれができるのは、今ここに居る自分しかいない。

私は覚悟を決めたものの、一抹の迷いから、最後に一緒に居る看護師に話しかけました。

「やはり他にもう方法はないのだろうね」。

しかし、看護師は何も答えずただ私の顔を見ているだけでした。

そして、私は決心して鎮静を始めました。

私は、いつもよりゆっくりと点滴の準備をしました。もしかしたら、準備している間にもミノルさんの気持ちが変わるかもしれないと思っていたのです。注射のアンプルを切り、いつもよりも丁寧に注射器で吸いだし、そして点滴のボトルに混ぜました。

ミノルさんの右腕に点滴の針を丁寧に入れると、ミノルさんは痛そうにしかめっ面をしながら、「これが最後の痛みだな」とつぶやきました。左手は奥さんの手を握ったままでした。

私は、少しずつ睡眠薬を点滴し始めました。ミノルさんは、5分もしないうちに眠りについてしまいました。息づかいは穏やかで、規則正しいものでした。眠ったあともしばらく部屋に留まり、睡眠薬が過量になり呼吸が止まってしまうことのないように、投与量を微調節し続けました。

そして、何度かミノルさんに声をかけましたが、返事がなく眠り続けていること、息づかいが変わらないことを見定めて、私も看護師も帰途につきました。最後に見たミノルさんの表情は、全く苦しみがないことが、はっきりと分かるものでした。ミノルさんの左手はもう、奥さんの手を握り返す力はありませんでした。

ミノルさんが亡くなったのは、翌朝でした。奥さんから電話があり家に向かうと、ミノルさんは既に息を引き取っていました。奥さんに様子を聞くと、

「本当にすやすやといつも通り眠っていたので、私も安心しました。ずっと眠ったままで本当に安らかに逝ってしまいました。最後はもっと苦しむものだと思っていたので、本当にこれで良かったと思います」と最期の様子を教えてくれました。

今、苦しんでいる患者に治療はできるのか 現実的な選択

私がミノルさんに施した「鎮静」の治療は、国内外広く行われています。一番最近の国内の調査では、病院でもホスピスでも、そして在宅でも15%のがん患者に鎮静が行われていました。このように現実に、一部のがん患者の最後の苦しみは、最新の緩和ケアを実践しても残ってしまうのです。

もちろん、通常の緩和ケアも進歩し続ければ、今よりもよりさらに苦しみに対するよりよい治療ができるようになるでしょう。また今でも、より専門的な緩和ケアが受けられる病院へ行けば、苦しみは緩和されるかもしれません。

しかし、今苦しんでいる患者には、緩和ケアの進歩を待つことはできません。

また、余命がわずかの患者を、苦しみが強くなった時点で急にホスピスのような緩和ケアを専門的に受けられる病院に入院させることは、現実には難しいのです。

多くのホスピスは、入院待機期間があり、1〜2週間程度入院まで待たされることが普通です。ミノルさんのように、苦しみが耐えられない状態となってから、「今すぐに入院させてほしい」とホスピスに要望しても、すぐに入院はできないのです。

また、通常の緩和ケアを施しても患者を苦しみから救えないだろうと事前に予測することは、ほぼ不可能です。ですから、前もって苦しみそうな患者を見つけ出し、ホスピスに入院させることは現実にはできません。

もし、入院できたとしても、そこで出会う医師、看護師は患者、家族にとって初対面です。耐えがたい苦しみがある患者が、医師と治療について話し合うことができるでしょうか。また医師といえども、時には数日という短い時間の間に的確に状態を把握することができるでしょうか。

私は、例え入院できたとしても、「鎮静」を含む高度な緩和ケアは直ぐに受けられないのではないかと、自分がホスピスで働いていた経験からも考えています。

ミノルさんのように、自宅で最期まで過ごしたいと強く望んでいる患者も数多くいます。患者が耐えがたい苦しみに襲われても、自宅でできる限りの緩和ケアを行い、それでも救えないときには、ホスピスに入院することなく、それまで治療をしてきた医師が、きちんと「鎮静」を正しい手順で実践できる方が現実的だと思います。

2007年、厚生労働省では、「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」をまとめました(現在改訂作業中)。その中では、「患者本人による意思決定を基本としたうえで、人生の最終段階における医療を進めることが最も重要な原則である」とされています。

一方で、緩和医療学会の、「苦痛緩和のための鎮静に関するガイドライン(2010年版)」では、ミノルさんのように治癒の見込めないがん患者、患者の耐えがたい苦痛があり、緩和治療の再検討をし、予測される生命予後(余命)が短い場合に「鎮静」を実施するとされています。

しかし、患者のみが鎮静に合意しているだけではなく、家族、そして医療チームが合意した場合に「鎮静」は実施するように明記されています。

つまり、本人、家族、医療者の三方が「鎮静」に合意することを必要とします。確かに、本人の希望だけではなく、家族、医療者の意見が一致する方が、「鎮静」のように死の直前に意識を低下させるというジレンマの大きな治療を実行するには、望ましいとは思います。

患者の意思をどこまで尊重するか 時代の変化と医師の葛藤

ミノルさんのように、今まさに苦しみの真っただ中になくとも、「もうこの先少しも苦しまずに死を迎えたい」と考える人もいるのです。

しかし医療現場では、「まだ鎮静を実行するほど苦しんでいるとはいえない」と医療者が判断すれば、本人が望んでも鎮静を受けることはできません。家族が、「たとえ苦しんでいても最期まで話ができるようにしてほしい」と主張すれば、鎮静は始まらないことが度々です。

本当にそれで良いのでしょうか。最近私は迷うようになってきました。より本人の意思、希望に沿った治療を、患者のために実行しても良いのではないか、そんな風に考えるようになりました。

私がミノルさんから、「先生、今日の午後に、妹が遠くから来てくれる。妹と最後に話すことができたら、もう思い残すことはないんだ。苦しまないようにしてくれるか」と言われたときの葛藤は相当なものでした。

ミノルさんは自分の死ぬ時を定め、その手助けを私に求めていると感じたからです。今の苦しみではなく、近い将来の苦しみを感じないように「鎮静」を受けたいと言われたのは初めてのことでした。この状況での「鎮静」はやり過ぎなのではないかとも思いました。

それでも、私はミノルさんの意思を叶えました。その覚悟は、それまでにミノルさんや奥さんと交わした会話と時間の積み重ねがあったからこそでした。どんな生き方をしてきたか、どんなことを大切に考えるのか、ご夫婦はどんな歴史を紡いできたのか、そのことを知っているからこそ実行できた「鎮静」でした。

以前から私は、学会でこの「鎮静」のガイドラインの作成に関わっています。医療者だけではなく、治療を実際に受ける一般市民の方々にも「鎮静」について、知ってほしいと、自分の取り組みの取材をうけました。2年前にNHKのクローズアップ現代で取り上げられ、現状を伝えることができました。

また、読売新聞の医療サイト「ヨミドクター」でも鎮静について具体的な内容を書く機会がありました。

今でも「私は絶対に『鎮静』しない」、他方では「いやもっと積極的に『鎮静』するべきだ」と、医師はそれぞれの信念を主張し続けています。医療者同士が、治療の是非について議論している場合ではないのです。

私は、現場で時代の変化を感じています。この数年で、患者の意思をより尊重しようと、日本人も考えるようになってきたのです。

もちろん、医師が十分に病状と治療を説明した上で、患者の意思を尊重するのが前提です。ミノルさんのように、「今から鎮静して下さい。もう十分生きました」と言われたとき、相手の言葉をはねつけずに、医師として自分の信念をいったん保留して、真剣に向き合う時代が来たのです。

患者自身が治療だけでなく、最期に過ごす場所、さらには死に方も選択しその意思を表明する時代がすぐそこまで、いや、もう来ているのです。

患者のために医療を実践するには、プロフェッショナルな自分の技術と信念を鍛錬しつつも、一つの考えに固執せず、たとえ自分の信念と衝突しても、あらゆる患者の意思を尊重できるという、相当な力量を必要とする時代になったのです。

自分自身そのような力量を身につけることができるのか。私は清々しいミノルさんの表情を思い出しながら、今も戸惑い続けているのです。

【新城拓也(しんじょう・たくや)】 しんじょう医院院長

1971年、広島市生まれ。名古屋市育ち。1996年、名古屋市大医学部卒。社会保険神戸中央病院(現・JCHO神戸中央病院)緩和ケア病棟(ホスピス)で10年間勤務した後、2012年8月、緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」を開業。著書 『「がんと命の道しるべ」 余命宣告の向こう側 』(日本評論社)『超・開業力』(金原出版)など多数。