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Posted on 2018年6月3日

患者の自殺は、残された人たちの心を壊す

心や感情までも乗っ取ってしまうがん

(この話に登場する人物にモデルはいますが、仮名を使うなどご本人とわからないように詳細は変えて書いています)

「きゃー」

ある日の午後、いつも静寂で包まれているホスピスの病室から、二人の叫び声が聞こえました。廊下には明るい日差しが差し込み、いつも通り明るくそして変わらない風景でした。丁度私も病棟にいたので、直ぐに声の聞こえた病室に駆けつけました。

一目で何が起きているかを理解しました。そして、「ああ、自分もついにこの体験をする日が来たのだ」と悟りました。

その部屋に2週間前から入院していたケンさんは、興奮した口調で、「自分で病気を治すために、自分で腹を切った」と私に告げました。その傍らでは、ケンさんのパートナーのミワさんと、看護師のオオノさんが、青ざめた顔で立ち尽くしていました。

ケンさんは、いつも通りミワさんが付き添い、昼食後におやつとしてリンゴを食べるために、ナイフで皮むきをしていたのです。その最中に、前触れもなくミワさんとオオノさんの目の前で、ナイフを自分の肝臓に向けて突き刺したのです。

肝臓には幾つものがんがあり、ケンさんは、そのがんのために残りわずかとなった時間を過ごすためにホスピスに入院していました。

Nozomi Shiya / BuzzFeed / Gettyimages

凄惨な状況で冷静に対処

私は、現場の状況に圧倒されながらも、妙に冷静になりました。若い時に、脳外科医として修行をしたため、白衣を着ていると、どんな凄惨な状況であっても、冷静に頭が動く能力が身についているのです。

今までも交通事故、自殺、転落事故のために救急車で運ばれた患者を何度も診察し、処置してきました。原形をとどめないほど破壊された肉体を目の前にすると、最初は動揺しますが、直ぐに職業的な本能の目が開き、周囲に的確に指示を与えつつ、自分も手を動かし始めます。

この時もそうでした。オオノさんが既にナイフをその手から取り上げていましたが、青ざめて病室にへたり込んでいました。ミワさんは目の前で何が起きたのか分からないまま、「すみません、すみません」と私とオオノさんに謝り続けていました。

私はまず、ミワさんとオオノさんを部屋から外へ出しました。そして代わりの看護師を呼び、まず部屋にナイフのように自分を傷つけてしまうものがないかを確認するように指示しました。

心や感情までも乗っ取ってしまうがん

ケンさんには、毎日診察の時、他の患者よりも長く話をする必要がありました。

ケンさんは、トラックの運転手でした。

「この病気のため、仕事も続けられなくなった。運転する元気がなくなってしまった」

「抗がん剤の治療を受けて、手持ちのお金はほとんどなくなってしまった」

「今から老後をゆっくり過ごそうと思っていたのに、もう残された時間も少ない。なぜ自分だけがんになったのかやりきれない」

そのようにがんに自分の生活が壊されてきたことを話していました。ケンさんの苦悩は深いものでした。

そしてその日の午前にも言葉を交わしていました。「ここ(ホスピスの病室)にいると、あいつと(ミワさん)ゆっくりと過ごすことができる。今まで忙しすぎたからなあ」と、午後に起きることを全く予感させない会話ばかりでした。

私は、傷ついたケンさんに話しかけました。

「思い切ったことをしましたねえ。相当痛いんじゃないの?」

自分でも驚くほど落ち着いた話し方でした。ケンさんに「どうしてこんなことをしたのか」と理由を聞くのは止めました。その時に彼を責めるようなことはしたくないと思ったのです。理由は今までの対話の中にあると直感しました。

いつものように、心は動揺していても、それを上回る職業的な冷静さでした。腹部はナイフのため、ぱっくりと裂け、その傷を通して普段は直接見ることができない、中の様子を見ることができました。

ナイフは、まるで手術のメスのようにきれいな線で、腹部の表面から内臓のぎりぎり外側(腹膜)だけを切り、大出血することもなかったのです。ケンさんの肝臓には、その表面に存在感のあるがんの姿が幾つも見えていました。

私は、蝕まれてしまったケンさんの心身とは裏腹に、がんの、勢いのある生き生きとした姿には、何か納得できるものがありました。やはりがんという病気は、体だけでなく行動も、心だけではなく感情も、乗っ取ってしまうものなのだと改めて知らされました。

ケンさんは、「自分で病気を治すために、自分で腹を切った」と、おかしなことを言い放った後に、「もういいんや、生きていても仕方がない。どうせ死ぬのなら、早いほうがみんなにもいいんや」と話し続けていました。興奮しているためか、腹部の痛みは感じていないようでした。

「ああ、自分もついにこの体験をする日が来たのだ」

がん患者は、他の病気の患者よりも自殺することが多いのです。ホスピスでがん患者を診察し続けている以上、いつかは、自殺する患者を目の前で診察する日が来ると、心のどこかで思っていたのです。

かつて救急車で運ばれてきた自殺した患者、自殺未遂の患者はもちろん初めて会う方でした。それまでどう生きてきたか、何を感じていたか、そして何に苦悩してきた方か知る由もありません。知ったとしても、なぜか自分の心の深くには到達しません。

だからこそ私は冷静に、的確に医師として患者を治療できました。しかし、目の前のケンさんは、初めて会う方ではありません。何に苦悩してきたか、毎日自分の目と耳で知っていました。自殺の衝撃は即座に私の心の深くまで到達しました。

最早、末期のがんのケンさんに、大きな手術をすることは不可能だろうと考えて、傷の縫合を始めました。「ちゃんと傷を治しますので、ちょっと落ち着きましょうか」と話しながら。ケンさんは抵抗することなく、静かに目をつぶりながら処置を受けていました。私の心の衝撃も縫合の作業の間に、不思議と落ち着いていきました。

家族、看護師、周りの人に与えた衝撃

傷を縫合し終わり、部屋を出てミワさんとオオノさんと別の部屋で、何が起きたのかを聞きました。ミワさんによると、「今まで自殺をほのめかすような話はしたことがありませんでした。急に持っていたナイフで自分を傷つけてしまって。どうしたんでしょう。一体あの人は」と動揺していました。

ベテランのオオノさんもあまりにも大きな事態に、いつものような冷静さもなく、無言で下を向いていました。泣いていました。色んな感情が一度におこり、自分の心が自分で受け止められなかったのでしょう。

次の日に、ケンさんを診察後、ケンさんの傷と体のダメージを確認するためにいくつかの検査をしました。検査の結果はケンさんの穏やかな様子とは異なり、相当悪い状態でした。「もう助からない」。私は経験的に察しました。

ケンさんは既にほぼベッドで寝たきりの状態でした。もう、自分で起き上がる力はありません。がんは相当進行しており、既にケンさんの体にはそれを治す力は残っていません。

さらなる手術や治療を行っても、もうケンさんが入院前のように自分で歩けるようになることはない、ナイフで腹を刺す、自殺を試みる直前の状態に戻れることはないと察したのです。私は、もうこのまま本人の痛みだけを治療し、そして残されるミワさんの心のケアをしようと心に決めました。

ミワさんは、ケンさんを深く愛していました。それぞれ離婚した後に、数年前から交際し今に至ります。長く連れ添った夫婦とは違う関係でした。二人とも分別があり、落ち着いた中にも、初々しい愛情に充ちた時間を過ごしていました。

ミワさんは、それまでと同じように静かにケンさんの傍らに座り、そしていつもと同じ落ち着きを保っていました。いや、きっと保つように努めていたのだと思います。

あの日以降、看護師のオオノさんの様子がおかしくなりました。ケンさんの部屋に近づくだけで動悸がするようになり、部屋の中に入ることができなくなったのです。

「あの時のことが思い出されて、とてもつらくなり、部屋に入ることもできない」と、オオノさんは仕事ができないほどでした。

ことの重大さに私は驚き、まずケンさんの部屋を別の部屋に移しました。オオノさんだけではなく、ミワさんにとっても、また他の関係者にとっても、その部屋にいるだけでつらい体験を思い出すからです。

仕事から帰った後もオオノさんは、あの時のことが思い出されてしまうようになってしまいました。心的外傷後ストレス障害(PTSD)によるフラッシュバックです。深刻な状態でした。その後オオノさんはいったん仕事を休み、そして同僚の精神科の診察を受けることになりました。

Nozomi Shiya / BuzzFeed

患者の自殺は家族や医療者も深く傷つける。

残された人の痛み

ケンさんの傷は治ることなく、予測よりさらに死期は早まり、あの日から数日後に亡くなりました。

ミワさんは「本当に皆様にはご迷惑をおかけしました」と深々と頭を下げ、自分が悲しむことよりも、ホスピスの人たちに申し訳ないという気持ちが大きくなっているようでした。その姿を見て、私はどう言葉をかけて良いのか分からなくなってしまいました。

ケンさんもミワさんも、もうホスピスにはいなくなりました。

しかしあの日の場所と記憶は、まだホスピスに残り続けていました。オオノさんは、なかなか仕事に戻ることができずにいました。

「自殺するほどつらい気持ちで過ごしていることを、私は気がつかなかった」「あの時自分が何かできていたのではないか、自殺を防ぐことができたのではないか」「自分の力不足で、こんな事態になってしまった」と自分を責め続けていました。

私や同僚が「あなたのせいではない、あなたの責任ではない」と話しても、精神科の治療でさえも、なかなかオオノさんの助けにはなりませんでした。

オオノさんの心を救うきっかけになったのは、催眠療法を得意とするある霊能者でした。人のすすめもあり、オオノさんはその方のセラピーを受けたのです。不思議な体験をしたと私に教えてくれました。

オオノさんは、セラピーを通じて自分の心に浮かんだ情景を自分自身で語り、そして霊能者の語りを通じて、落ち着きを取り戻していきました。

私に教えてくれたその時の情景というのは、「ケンさんは亡くなった後、部屋には多くの天使がやってきて、包帯で体中をぐるぐる巻きにした。そして天使たちからきちんと治療とケアを受けて、今は自由な状態にある」というものでした。

こういうスピリチュアルな話は、信じるとか信じないとか、本当とか嘘とか語っても全く意味はありません。

私は霊能者やいわゆるスピリチュアルな世界観にも偏見を持たず、あらゆる考え方や可能性をまず尊重したいと考えています。どのようなありえない滑稽話であっても、その人の心を慰め、癒やし、そして生きる力を再び与えるのであれば、善い力になると私は思います。

医学は科学の最先端を目指す学問ですが、科学が人の心を救えない時もある事を、謙虚に理解しておく必要があるのです。

精神医学の現実的な語りと、科学的な薬の治療だけではなく、あらゆる力を借りて、人は前に進めばよいのです。

そのセラピーを通じて、オオノさんは以前の落ち着きを取り戻し、そしてホスピスに戻ってきました。しかし、戻ってきてもあの部屋だけには入ることはできませんでした。

仕事には戻ることはできましたが、「担当した患者から『早く死にたい』『いっそ楽になりたい』と言われると、以前のように話を受け止めることができなくなってしまった」と心境の変化を告白してくれました。

それから数年経ち、オオノさんは自らホスピスを辞め、次の職場へと新天地を求めていきました。次の職場は、ホスピスとは違い、ゆっくりと人と関わる時間があり、病状の落ち着いた患者が多い療養病院でした。

あの日から半年が経った頃、たまたま街角で、ミワさんの娘に会いました。ミワさんは、以前のような穏やかな明るさを失い、そして独り暮らしをしているとのことでした。「あの病院にはもう近づきたくない」と話していることも知りました。

変わった環境、癒えることのない傷

あの日から10年近くが経ち、オオノさんも、そして私も順にホスピスを去りました。私は6年前に開業し、診療室と往診を行う中で、がんの患者を診療し続けています。今でも自分が診療している患者がホスピスに入院すると、必ず時間を取り会いに行くようにしています。つい先日も、ある患者に会いに行きました。

「ここ(ホスピス)での暮らしはどうですか。不自由はありませんか」

「ええ、ここの方はとても良くしてくれます」

比較的若い女性の方です。「毎日の食事、食材にとても気を配っていらっしゃいましたが、ここでも食事を自分で作っていらっしゃるのですか」と尋ねると、「ええ、ここには台所もありますし、冷蔵庫も使わせてくれますから。ただ一つだけ困っていることがあります」と答えました。

「それは何ですか」と私が尋ねると、彼女はこう答えたのです。

「ここでは包丁を使うことができない決まりなのです。はさみを使い何とか料理しています」と。私は10年以上前のあの日のことを思い出しました。あの日はまだこのホスピスでは続いていたのです。

あの日、働いていたホスピスの看護師も、私も私の上司ももういません。今働いている医師も看護師は、ケンさんのこともミワさんのこともそして、オオノさんのことも知らないでしょう。ただあの日の痛ましい記憶だけは、ずっとホスピスで語り継がれていることを瞬時に理解しました。

私とオオノさんを含めた多くの同僚、ミワさんとその周囲の方々は、ケンさんという身近な人を自殺で亡くしました。いくら医療者であっても、オオノさんのように自殺に立ち会った人、自殺の現場を目撃した人は、心に強い傷を残しなかなか癒えることはありません。

私はどこかで、緩和ケアは自殺したいほどつらい体験をしている患者の心を支え、そして救うことができると思っていました。いや、そう思いたいと心に言い聞かせていました。

しかし、私は初めて診療している患者に自殺されてしまう体験を通じて、自分の力の及ばない限界のようなものを知りました。そして、人の心を支配する、がんの恐ろしさを改めて思い知らされたのです。

人の自殺はどれだけ時間が過ぎても、残された人たちの心を壊し続けます。そして残された人たちは、自殺の事実を受け容れられないまま、逝ってしまった人が存在しない「今」を生き続けます。

ケンさんが、衝動的に自殺したのか、計画的に自殺したのか、今でも謎のままです。私は彼に最後に関わった医師として、自殺を防ぐ方法がなかったのか、今でも彼との対話を思い出し、考え続けています。私だけでなく、残された人たちそれぞれが、ずっと自殺の謎と向き合い続けるしかないのです。

【新城拓也(しんじょう・たくや)】 しんじょう医院院長

1971年、広島市生まれ。名古屋市育ち。1996年、名古屋市大医学部卒。社会保険神戸中央病院(現・JCHO神戸中央病院)緩和ケア病棟(ホスピス)で10年間勤務した後、2012年8月、緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」を開業。著書 『「がんと命の道しるべ」 余命宣告の向こう側 』(日本評論社)『超・開業力』(金原出版)など多数。