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「生きる価値のない病人」という発想はどこから生まれるのか

バーンアウトしかけた緩和ケア医の経験より

「早く死んだ方が楽になるのでは......」

あの頃の僕は明らかに仕事に疲れていました。大きな夢を抱いて働き出したホスピスでしたが、わずか数年で行き詰まってしまいました。

医師の仕事に疲れ果てて、患者に対し「早く死んだ方が楽になるのでは......」と考えるようにまでなっていた
Nozomi Shiya / BuzzFeed

医師の仕事に疲れ果てて、患者に対し「早く死んだ方が楽になるのでは......」と考えるようにまでなっていた

幸い色んな偶然が重なり、自分の視野を広げることができたのですが、それがなければ、きっとホスピスの仕事をやめていたと思います。

その頃の僕は、目の前にいる患者一人一人に集中できなくなり、毎日仕事に行くのがとても苦しくなりました。一人一人の人生に思いを馳せることもできなくなり、ひたすら患者の看取りを繰り返しその果てについに恐ろしい考えに至ったのです。

亡くなっていく患者に麻痺していく心

僕の働いていたホスピスでは、1日に3人の患者が亡くなる時もありました。せっかくホスピスにたどり着いても、1週間もしないうちになくなる患者も2割近くいました。死が日常になり、自分の心が麻痺してきたことにも気がついていました。

患者の治療方針をホスピスの看護師から尋ねられると億劫になり苦痛で、うまく答えられなくなりました。投薬内容の確認や、深夜や休日の呼び出しのために、職場から電話がかかってくることを、とても恐れるようになりました。

精神的な疲労で恐ろしい発想が胸を捉えるようになった
Sarinyapinngam / Getty Images

精神的な疲労で恐ろしい発想が胸を捉えるようになった

ある日の帰り道でした。恐ろしい思いつきでしたが、自分の心を捉える威力のある発想が心に浮かびました。

痛みもあり、体の苦痛もある。トイレにも行けなくなる、意識も朦朧としてはっきり会話もできなくなる。

みんなそういう状況になるのなら、早く死んだ方が楽になるのではないか、患者にとっても家族にとっても幸福なのではないだろうか。ついにそんなことまで考えるようになってしまったのです。

ホスピスの現実

じっくりと人と関わり、がんの苦しみから患者を少しでも救いたいと、今から16年前、31歳の時にホスピスで働くようになりました。

医師になってからわずか6年間のキャリアでしたが、自分は医療技術の習得よりも、人と関わり、一緒に悩み続ける方が向いていると感じるようになっていました。

名古屋から神戸に家族を連れて移り住み、ホスピスで働くようになりました。自分の望む職場を得て、僕は生き生きと働き始めました。ホスピスでは、色んな本に書いてある通り、きっと、自分で望んで最期の日々を見つめながら過ごしている方が療養しているのだろうと思っていました。

しかし、現実は違いました。

神戸市内の大きな病院はどこも満床で、患者が入院するベッドが足りない状態です。そのため、長く入院している患者は少しでも早く別の病院に移さないと、新しい患者の診察ができないばかりか、病院の収入も減ってしまうため、いまや2週間も入院できないほどの状況です。

とある大病院では、家で倒れ入院した患者にも、最初の日から、「いずれ時期が来たら、別の病院に移って頂きます」と言うのです。

治る見込みのない、癌の患者は、本人や家族が望むか望まないかに関わらず、ホスピスへの転院を、病院の担当者から求められます。大病院では亡くなるまでずっと入院できる訳ではないのです。ベッドで寝たきりの状態であっても、転院するのが現状なのです。

そして、僕の働いていたホスピスでは、多くの末期がん患者を受け入れていました。入院される前に必ず家族と面接するようにしていました。その時に「どうしてホスピスに移ることにしたのですか?」と尋ねると、決まって答えは「病院から退院するように言われました」「連れて帰っても家で看ることはできないので」というものでした。

ホスピスに抱いていたイメージと現実とのギャップに医療者側も戸惑った
Katarzynabialasiewicz / Getty Images

ホスピスに抱いていたイメージと現実とのギャップに医療者側も戸惑った

患者自身が望んで、ホスピスに来ることはめったにないことなんだと分かりました。患者は、緊張し、またしょんぼりした様子でホスピスに入院してきます。「いよいよ、ここで終わりだ」とはっきり言う人もいました。そして、やはり家に帰ることなくほとんどの人は1ヶ月もしないうちに亡くなっていくのです。

一人の患者を最期まで支えるというのは、とてもパワーの必要な仕事です。あらゆる苦痛を薬で治療し、果てない悩みを聞き、家族の不安とやるせない思いを聞き続けます。自分に元々備わっている誠実さと優しさだけでは、この仕事を続けることはできないと思い始めました。

バーンアウトからの立ち直り

自分は仕事に疲れ、バーンアウト(燃え尽き)していると自覚していました。

しかしそこからどう這い上がったら良いのか分かりませんでした。目に入る職場、ホスピス病棟の景色はいつもと変わらず、見慣れた廊下、ドア、病室の隅々からは何も希望を見つけることはできませんでした。自分を指導する上司、仕事の悩みを相談する同僚も同じ病院には全くいませんでした。

ある日、たまたま一枚のチラシが郵送されてきました。東京で緩和ケアに関する勉強会を企画しており、ホスピスで働く医師の参加を募っていました。僕はその勉強会に参加することにしました。

しかし、知らない人達が集まる勉強会に行くことを思うと、気後れして前日まで行くのをやめようと思うほどでした。本当に心が疲労すると何か新しいことをしなくてはと思っても、体が動かなくなるものです。

どうにか新幹線に乗り、東京まで行き、会場に着きました。会場のエレベータの前で、知らない医師から声を掛けられました。背が高くて、自分よりも年上の医師でした。

「やあ、先生はどこからきたんだい?」

その医師は自分の隣町のホスピスで働いている医師でした。

自己紹介をし合い、名刺を交換しました。「きっと一人で働いていると分からないことも沢山あると思うから、何か困ったらメールして」と、初対面なのに明るく話しかけてくれました。気後れが一瞬で吹き飛びました。

患者の苦痛を癒やす実践的な知識や技法

この勉強会では、患者の苦痛を緩和する薬の使い方に加えて、「がんの患者に告知する対話」や、「がんの患者の心の苦しみを聞く対話」の実践的な方法をレクチャーしていました。

対話の仕方も既に体系があり、自分のように知識も技法もなく、心を開き、時間を掛け、丁寧に話を聞けば患者の苦しみは軽くなるといった、底の浅い方法では直ぐにだめになることが分かりました。

患者をケアするには医療者の倫理観だけではなく、専門的な知識や技術の習得が欠かせない
Wavebreakmedia / Getty Images

患者をケアするには医療者の倫理観だけではなく、専門的な知識や技術の習得が欠かせない

「私はどの位あと生きられるでしょうか」と患者から尋ねられたとき、いつも自分は、答えることを逃げていました。「それは神様でないと分からないと思うのです」「与えられた生をとにかく全うしましょう」と、何の答えにもケアにもならない答えしかできませんでした。

勉強会では、患者がなぜそのような問いを自分に向けているのか、まず患者自身に尋ね返すことを知りました。

「なぜあなたは、あとどの位生きられるか気になるのですか?」と医師から患者に問いかけるのです。その答えを聞きそして適切な助言を与えるのが、医師の務めだと知りました。

「頭がしっかりしているうちに会社の事を整理したい」「体が動くうちに家族ともう一度時間をとりたい」と、患者は「あと何ヶ月と何日生きるのか数字を知りたい」わけではないことも知りました。

病棟の景色が変わった

勉強会から帰ってきてから、僕は患者と向き合う方法を少しだけ身につけることができました。目に入る病棟の景色は今までと同じでしたが、全く違う色彩になりました。

患者と死について話すことができるようになり、体系づけられた対話技法を、さらに習得し錬磨することで、自分の心が強くなっていくことを実感しました。

一人一人の患者に対して、その瞬間瞬間を大切にすることができるようになりました。例え相手が対話できないほど弱っていても、体に触れて、静かに問いかけることで、わずかな体の動きなどを読み取ることで対話する方法を知りました。

患者本人と話せなくても、家族と患者の事を語り合うことで、患者とそして家族の心を癒やすことができることを知りました。

メールで全国の同僚と情報を交換することで、自分には何が足りないのか、どこが限界なのかを理解できるようになりました。

「自分の治療のためにこんなに苦しめてしまって本当に申し訳ない」という気持ちから、「自分が分からないことも、誰かと相談し、うまくいかなくても逃げずに考え続ける」という気持ちに変わりました。

バーンアウトからの立ち直りができ、そして研鑽を続けることで、多くの患者、家族の死を支え続ける本当の力を身につけることができました。

変わってきた言葉の受け止め

ホスピス病棟はいつも満床で、なかなかすぐに入院できません。

疲れていた時は、「ここに来られて良かった」と家族に言われたときは、やっと入院の順番が回ってきて、数日でもとにかくホスピスにたどり着けて良かったという家族の気持ちに、複雑な思いを持っていました。

本当は来たいところに来たわけではないのにとか、こんな数日の関わりで何ができたというのだろうかとか違和感を覚えていたのです。

しかし、自分が強くなることでこの言葉の受け止め方が変わりました。自分の関わった患者、家族がたとえ短い時間であっても、「安全な場所」と実感してもらえれば、自分との関わりを覚えていなくてもいいのではないかと。

さらには、この場所で患者や家族が何を考えて、どう生きるかは、自分の及ぶところではない。また今の医療制度を憂いても、自分の及ぶところではない。

倫理観の教育だけではなく、手応えのある技術や技法は教育できているのか
Katarzynabialasiewicz / Getty Images

倫理観の教育だけではなく、手応えのある技術や技法は教育できているのか

とにかく患者、家族に訓練された優しさで対話し、きちんと必要な治療をし、このホスピスを安全な場所であるように守り続けようと思ったのです。この時から、見た目は同じ病棟でも全く違う色彩を帯びたのです。

最近の恐ろしい事件やブログから思うこと

相模原の障害者施設では、元職員が多くの人達を殺傷しました。犯行に及んだ男性は、言葉でコミュニケーションできない人間は生きる価値がないと、疑いもなく語り続けています。

横浜の病院では、亡くなりゆく患者に、消毒液を混ぜた点滴を投与し、殺してしまう看護師が現れました。

そして、最近匿名の看護師のブログを通じて、「今の病院は姥捨て山」と治る見込みのない患者たちの尊厳を全く理解しない言説が広まり、とある医師のブログでは「患者を殺してもいい」と書かれ、多くの人達が共感しています。

彼らの発する、患者、弱者に対するヘイトスピーチを目にするたびに、強い憤りを感じます。

しかし、これは一部の先鋭化した考えの持ち主が起こした事件ではないと僕は考えています。

一部の人達には、「生きている価値のある人、生産性のある人」と「生きている価値のない人、生産性のない人」を区別する考えが深く信念として存在します。「生きる価値のない人は死んだ方が良い」と本心から考えているのです。

かつてホスピスで疲労した僕も、一瞬ですが診察中の患者が「早く死んだ方が楽になるのではないか」と恐ろしいことを考えてしまったことを、ここで正直に告白しました。このような考えは、自分の弱さと、未熟さ、無知が原因のバーンアウトで生まれたものだと感じています。

元来恐ろしいことを考えている人間なのではなく、十分に教育、訓練を受けないまま、現場に立ち、バーンアウトしてもなお現場に留まってしまたために、事件を起こしたのではないかと、想像しています。

恐ろしい事件を起こした犯人も、ブログの看護師も、己の技術の未熟さを自覚していることが、接見や報道の内容からうかがい知れます。

今の医療や介護の現場では、弱い立場の患者の尊厳を守ろうとする、手応えのない道徳的な倫理観の教育だけではなく、患者の体に触る方法、患者と対話する方法といった、手応えのある技術や技法を教育できているのでしょうか。

「医療に関わる人間は心が美しく優しいに違いない。あとは、経験を積めばその優しさがより強いものになる」とケアの現場の人たちは考えていないでしょうか。

ケアの無知と教育の不足が、「生きる価値のない病人」の発想と、恐ろしい事件の火種を生み出しているのではないかと、僕は自分を振り返って考えているのです。

【新城拓也(しんじょう・たくや)】 しんじょう医院院長

1971年、広島市生まれ。名古屋市育ち。1996年、名古屋市大医学部卒。社会保険神戸中央病院(現・JCHO神戸中央病院)緩和ケア病棟(ホスピス)で10年間勤務した後、2012年8月、緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」を開業。著書 『「がんと命の道しるべ」 余命宣告の向こう側 』(日本評論社)『超・開業力』(金原出版)など多数。