2020年6月10日、自分の所属する日本緩和医療学会から「新型コロナウイルス感染症が拡大しているこの時期にいのちに関わるような病気で入院中の患者さんのご家族にお伝えしたいこと」というリーフレットが公表されたことを知りました。

その内容は慈愛に満ちた言葉が連なっていましたが、緩和ケアの専門家が今まで大切にしてきたアイデンティティを自らの手で放棄する「緩和ケアの自殺」を思わせるものでした。
この新型コロナウイルス(以下コロナ)に翻弄された3ヶ月を思い出しながら、私の考えを皆様に伝えたいと思います。
現在私は、自分が開業した在宅医療中心の、特に緩和ケアを専門としたクリニックで患者を診療すると同時に、非常勤勤務として、神戸市立医療センター中央市民病院で最新の治療を受けている患者の治療にあたっています。
新型コロナウイルス感染の始まり
2020年3月に入ってから、私の住む神戸でも最初のコロナ感染の患者が発生しました。学校は一斉に休校となり、私の家でも子供達が家に留まるようになりました。
最初はああ、あのときと同じだと11年前を思い出しました。2009年の5月にこの神戸でもパニックになった新型インフルエンザ流行の時を思い出したのです。あのときも休校となり、町から人が減りました。
でも、私の勤務していた緩和ケア病棟ではいつも通りの日々が続きました。同じ町の基幹病院では、発熱外来に殺到する患者に防護服を着た職員が対応している様子をテレビで見ました。同じ町なのに、対岸の火事、自分の職場や生活には関係のないことと思えました。
しかし、今回のコロナの影響は大きく、院内感染の増加、そして中国やイタリアで医療者がコロナで死亡したというニュースを見て、私の心も「前とは違うんだ、本物の『パンデミック』で、映画のようなことが現実になっているんだ」と感じ動揺しました。
ある時、診療している患者から、「先生こそお大事に。先生の方が危ないんだから」と言われてはっとしました。自分が在宅医療の従事者として診察する患者よりも、病院の非常勤勤務もして、色んな患者を診る自分の方が、ずっとコロナに感染する危険は高いのだと悟りました。
院内感染の始まりと病院の面会制限
3月も下旬になると、東京の永寿総合病院が、4月を過ぎると私が非常勤勤務している、病院でも患者、職員を含む院内感染が発生しました。

日本中の病院もこの頃から次々に面会制限をし、家族が患者に面会することを禁じ始めました。そして、今も私の町のほとんどの病院が面会を制限し続けています。
患者は感染を恐れて外来の受診をせず、病院の入院患者は減り、面会の家族もいないため、ひっそりとしました。

私は変わっていく病院の状況を内部から見て、「医療崩壊というのは、集中治療室が火事場のようなパニックになるのではなく、人気がなくひっそりと静かになってしまうものなのだ」と初めて知りました。
私のかつて勤務していた緩和ケア病棟も、近隣の緩和ケア病棟も、所属する病院全体の方針を受けて、面会制限をするようになりました。
間もなく死を迎える患者であっても、家族が側に付き添うことができなくなる状況を、私は為す術もなく見ていることしかできませんでした。
4月の頃はまだ自分もコロナの恐怖に身も心も支配され、全てのリスクを重く受け止めていました。「今は仕方ない、コロナの恐怖と威力には、人間は逆らえない。それは緩和ケア病棟であっても同じ」と思えていました。
付き添いを求める家族は病院から退院することも
しかし、3月から4月にかけて今までとは違う患者が病院から紹介されるようになりました。
「家族がどうしても亡くなる場面に付き添いたい。しかし病院ではそれはできない」と、在宅での看取りを願うご家族からの依頼です。

1時間足らずの短時間の付き添いを、「人数を制限して一人二人なら許可するが、それ以上を求められると病院ではできない」と言われ、やむにやまれず病院から家に患者を連れて帰る家族の相談を受けるようになったのです。
看病の経験もない人でも、自分の生活する家で、自分の愛する人が死ぬという過酷な現実を考えるひまもなく、ただただ側にいたい、一緒にいたいという思いだけでした。
そして、何組かの患者を自宅で診療し、看取っていきました。家族は、自分の愛する人の最期を見届けた満足感よりも、心の準備ができていない状態で、家族が看取りのケアを行いことに、恐怖や後悔を感じている事を知りました。
また自宅で介護、看病をし続けた家族の中には、愛する人が目の前で衰弱する姿に、心が耐えきれなくなる方もいました。
私や看護師が全力で支えようとしても、看病する家族を支えきれないとき、「死に目に会えなくても仕方がない」と肩を落としながら病院への入院を決断した方の表情には、今まで見たことのないような絶望を感じました。
「このまま家に留まって看病を続けても、病院(緩和ケア病棟)に入院して会えなくなっても、どっちも選べないような苦しさがある」
右に行っても左に行っても、奈落の底に落とされるような思いをする、それでも、どちらがよりましなのか、家族は選ばなくてはならない。こんな絶望感に向き合ったのは初めてでした。
医学雑誌とマスコミの情報の氾濫
この半年の間、様々な医学雑誌(ジャーナル)には、コロナの特徴、治療法が書かれた論文が次々に発表され、連日新聞やテレビでも報道されています。
恐怖で家にこもった私の患者達が、自分と同じくらい医学知識を持っていることにも驚かされます。その多くは、ワイドショーから得た知識でした。
「PCR検査」「アビガン」「抗体検査」
日常会話には登場しないような単語がどんどん患者から出てきます。恐怖を知識で乗り越えようとするーー。私も患者も同じ対処方法でこの危機を乗り越えようとしているのです。患者と医師が同じ目線で話したのも初めての経験でした。
コロナの最新の治療法だけではなく、緩和ケアの医学雑誌には、コロナに感染した患者の症状、主に息苦しさをどう治療するかについて書かれた論文もありました。
そして、今まで緩和ケアが大切にしていた、アイデンティティである患者との対話、コミュニケーションの方法をどう変えていけば良いのかという研究や論考も毎週のように発表されるようになりました。
プライバシーが保たれた部屋で、患者とごく近い距離で、目を見て、丁寧な言葉を選びながら、たとえ悪い話であっても、情を込めて伝えていく。そして家族との対話もケアとして積極的に行う。
緩和ケアのコミュニケーションのスタイルが、コロナの前では全て悪手になってしまうのです。
よく知られた「3つの密」と言われる、
- 換気の悪い密閉空間
- 多数が集まる密集場所
- 間近で会話や発声をする密接場面
その全てが、緩和ケアで率先して行うべきとされていたことでした。

きちんとプライバシーが保たれ、時には、患者や家族が泣き崩れてしまっても、周囲の目が気にならない場所を緩和ケアでは大切にします。
しかしプライバシーが保たれた診察室や、面談室のほとんどは窓もなく、換気が悪いのでコロナの前では避けるべき場所となってしまいました。
多職種連携を大切にするからこそ、医師だけではなく看護師をふくめた多くの関係者が、患者と家族とともに密集して話し、相手に言葉とそして時にはボディータッチをふくむ非言語的コミュニケーション、セラピューティックタッチ(治療的に相手を触ること)で間近で会話します。
そして、医療者はマスクをしていれば、自分の表情の全てを患者に伝えることができません。情感を込めたコミュニケーションができなくなったのです。さらに、マスク越しの声では、耳が遠い方にとっては、自分の話が十分に届かなくなってしまいました。
緩和ケアのコミュニケーションが否定された、タブレット端末の限界
緩和ケアのコミュニケーションの全てが、ウイルス感染症対策で否定されてしまいました。代わりの方法として、iPadのようなタブレット端末を利用した方法で、面会できない患者と家族が関わる方法や、医療者と家族が面談する方法が提案されました。
もちろん、新しい試みは採り入れる意義はあります。
私自身もクリニックの職員を自宅でテレワークとし、訪問看護師やリハビリ、薬剤師とビデオ会議を使って定期的に会議をするようになりました。


顔見知りの間柄なら、それぞれ離れたところにいた同じ場所に集まれなくても、テクノロジーの力で一緒の時間に話し合うことができることを知りました。「もっと早くにこうしておけば良かった」と心底思っています。
また、自分が診療をしたことのない患者であっても、よく知った訪問看護師から相談を受けたとき、今までならその看護師からの伝聞で、当たり障りのない意見を伝えていました。しかし、今はビデオを通して直接患者の様子を見たり、直接患者と話す遠隔診療(ビデオ診療)をしたりする機会もあり、今まで以上に個別性の高い、有益な助言ができるようになりました。
しかし、タブレット端末では、実際に家族が患者のそばに付き添うことを到底しのぐことはできません。ホスピスに入院する患者は、入院すれば会えなくなるので、自分が実際に死ぬ前に、家族と死の別れをする悲しい現状があるという主張もあります。
家族は、死に逝く方を映像として見ることができ、声をかけることはできるかもしれません。
しかし、実際に顔に触り、手を握り、体をさすり声をかけることに比べれば、比べるに値しないのは当たり前です。タブレット端末では、死に際に言葉を交わせた患者と家族の心を一時的に慰められることはあっても、死別のつらさや悲しさが軽減される効果はほとんどないでしょう。
さらに言うなら、死に逝く患者と家族の心の交流は、とても私的なもので、医療者であっても立ち入ってはならない時間と空間だと思うのです。
タブレット端末を自らの手でつかみ、そして家族と語り合うほどの力もない患者は、医療者の助けを必要とします。立ち入ってはならない時間と空間に、医療者が必要とはいえ暴力的に入り込んできてしまうのです。
パンデミック期(流行期)の第一波が過ぎて
しかし、5月が過ぎると徐々にコロナの流行も収まり、6月になると私の町ではほとんどの患者は病院から退院し、そして新たな患者は発生しない、幸運としか言いようのない状況となりました。
6月が過ぎて私の町も梅雨になったようです。外は雨が降っています。去年と同じ景色です。でも病院では面会制限が続き、異常な状況が続いています。現時点でも(この原稿は2020年6月12日書いています)、市内の緩和ケア病棟の全ては面会制限をしています(※)。

患者と家族は十分な心配りのある看取りという場面を奪われたまま、涙をのんで死別という、取り返しがつかない別れを続けています。
※2020年6月12日時点、神戸市内7病棟の緩和ケア病棟に当院から電話で調査した。全ての緩和ケア病棟で面会制限(人数家族のみ 2名まで、時間 15分まで、1病棟のみ申し出た家族に限り時間無制限で面会可能)。
緩和ケア病棟の医療スタッフも心を痛めていることでしょう。代わりの方法を探していることでしょう。家族の代わりが果たせないにしても、今まで以上に心を込めてケアしていることでしょう。
感染対策を最優先し、患者や家族の最期の時を過ごすという、人間として当たり前の権利を制限するのは最小限にせねばなりません。
そんな時に緩和医療学会から冒頭のリーフレットが公表されたことを知りました。院内感染を恐れ、安全志向の強まり過ぎている医療現場を追認するリーフレットには、私は強い落胆を感じました。

コロナに感染した患者ではない、終末期を迎えた多くの患者にも相変わらず制限を続けている状況を、仕方がないと容認しつつ、その代わりの方法(写真、カード、ノートのやりとり、スマートフォン・タブレット端末の使用)を提案しています。
ないよりはましかもしれないけれども、とても代わりにはならない方法を見ていると、患者と家族の権利を必要以上に制限している、見舞いと付き添いを禁じた現状は、感染対策の名の下に「死者の権利を冒涜している」とさえ思うのです。
ウィズコロナ時代の在宅緩和ケアの価値とは
このリーフレットの最後には、「可能ならご自宅での介護を検討されませんか?」と書かれています。「面会制限は、残念ながらしばらくは続きそうです」と続きます。

私は緩和ケア病棟を辞めて開業以降、新たな療養の場を作ろうと、今まで取り組んできました。病院が良いか在宅が良いかではなく、病院でも在宅でもどちらにも患者や家族の居場所はあるという、療養環境がより豊かになる事を願って働いてきました。
コロナの流行後は、心のどこかではやってはいけないことを自分はしているのではないか、患者の自宅という密室で誰にも見つからないように闇営業ならぬ闇診療をしているようではないかと思うときもあります。
しかし、緩和ケアが大切にしていた対話やコミュニケーションのスタイルは、テクノロジーで凌駕できるものではありません。そのスタイルを完全に捨てて「新しい生活スタイル」、「新しい日常」の言葉に踊らされ、心ない診療やケアに陥ってはならないのです。
死に逝く患者を守るために、私達は反省しなくてはならない
感染症対策が、全ての価値観に優先すると考えるべき時期は、限定されています。
私は緩和ケアの専門家として、この3月から今に続く病院の状況を「コロナ対策下には仕方がなかった」とは思えません。「こんなことをしてはいけない」と思います。

コロナの第一波が過ぎ、次の波が来るのか来ないのか誰にも分かりませんが、今こそ立ち止まって自分達が、患者や家族にしてきた残酷な事を振り返り、反省する時を与えられているのだと思います。
反省なくこの3ヶ月を容認し、さらに全国の病院が独自に「緊急事態宣言」を続ける異常さを私は憂いています。
そして、感染対策の前に、思考停止した体のこのリーフレットは「緩和ケアの自殺」を思わせます。自分達が大切にしていたことを、変えることなく大切にし続ける方法を探すことこそが、専門家がアピールすべき意見ではないでしょうか。
私は、コロナに感染した患者への対処方法を、コロナ以外で死に逝く全ての患者にまで当てはめるなとアピールしたいと思います。2020年3月以降今までに亡くなっている、最後の時を家族と十分に過ごせなかった無念の死者はもう帰って来られないから、残された私たちが変わらなくてはなりません。
【新城拓也(しんじょう・たくや)】しんじょう医院院長
1971年、広島市生まれ。名古屋市育ち。1996年、名古屋市大医学部卒。社会保険神戸中央病院(現・JCHO神戸中央病院)緩和ケア病棟(ホスピス)で10年間勤務した後、2012年8月、緩和ケア専門の在宅診療クリニック「しんじょう医院」を開業。著書 『「がんと命の道しるべ」 余命宣告の向こう側 』(日本評論社)『超・開業力』(金原出版)など多数。