両親の「孫を持つ」という夢 僕は彼らの望みを叶えることはできない

    「クィア三姉妹」の末っ子である僕は、両親に孫の夢をかなえてあげられる最後の砦だ。子どもを持たないことで、僕はふたりから幸せのチャンスを奪ってしまっているような気がしている。

    ある日、姪と一緒に電車に乗っていたときのことだった。僕たちは、互いに体を寄せ合って座っていた。厳密には、彼女は僕のいとこの娘で、いま5歳だ。でも「姪」のほうが呼びやすいからそうしている。

    僕はこの子が大好きだ。彼女は僕に、いかにも子どもという感じで、いろんなことを聞いてくる。けれども、大人が不意に聞いてくるような、僕が僕(トランス男性)である理由については何も聞いてこない。

    隣に座っていた中年男性が、僕たちの仲の良い様子にほほえみながら、姪は僕の一人娘なのかと尋ねてきた。「いえ、僕の子じゃないんです。姪なんです」と僕は答えた。

    「すごくなついてるじゃない! 君はお子さんは?」と彼は質問を続けた。

    「いないんですよ、それが」と僕は笑いながら答えた。

    すると彼は、僕に子どもがいないことに驚いた様子で「君はいくつなの?」と尋ねてきた。

    「30です」

    感心と興味が入り交じった表情を浮かべながら、彼は「君みたいな男性に、30まで子どもがいないなんて……偶然のいたずらかね?」と言った。

    「さあ、わかりません。たぶん、用心深い性格だからでしょう」と僕は言い、頭をふった。こんな言い訳はばかげていると思いながら。

    「スマートな人なんだね」と彼は言い、自分の息子の話を始めた。彼の息子には、計画外の子どもが何人かいたという。

    でも僕自身は、自分のことをスマートだなんて思っていない。ただラッキーなだけだ。性的関係にせよ、請求書の支払いにせよ、僕はこれまでずっと、何かにつけて少し無謀な生き方をしてきた。もし誰かを妊娠させる能力が自分にあったなら、きっといまごろは、スリー・オン・スリー(3人制バスケットボール)ができるぐらいの数の子どもたちに恵まれているような気がしている。

    パートナーと愛し合っても妊娠できないことに、悲しさを感じるときもある。でも、子連れの親と一緒に飛行機に乗る機会があったり、シスジェンダーの男性がコンドームのことでぶつくさ言うのを聞いたりしたあとはたいてい、制限よりも幸運を感じるときのほうが多いように思う。

    僕の父は先日、70歳になった。母も、父より少しだけ若い年齢だ。そんな僕の両親は今、「窓」が閉じられようとしているような気分に襲われているように思える。

    僕は三姉妹の末っ子で、姉2人はそれぞれ37歳と35歳だ。2人ともクィアで、子どもを生むつもりはないと、すでにきっぱり宣言している。長姉にはトランス男性のパートナーがいる。次姉はもっぱらひとりだけの生活だ。まれな例外をこのルールにもうけるときは、男らしい女性たちと付き合っている。

    たぶん僕の両親は、クィアの子どもたちを支え、愛情をそそぐことに関しては、申し分のない人たちだ。それでも、せめてひとりでもストレートの子がいてくれたら、人生の最後の日々を埋めてくれる孫たちに囲まれる確率が上がっていたのに……と思うこともあるのでは、と思わずにはいられない。

    祖父母になれるかもしれない、という両親の最後の希望は、30歳のトランスジェンダー男性である僕に託されている。しらふと大麻中毒のあいだを行き来している、この僕に。誰とでも寝る→誰かと付き合う→誰とでも寝る……をくり返している、この僕に。教職を捨てて気楽な道を選び、ライター兼コメディアンとして身を立て始めた、この僕に。

    僕は一種のワイルドカードだ。すごく満たされている気分の日もある。かと思えば、人生なんて、やっぱり無意味なものにしか思えない日もある。どれだけ原稿を書いても、どれだけ友だちといっしょに笑っても、どれだけ最高のセックスをしても。

    するとそんなとき、シャボン玉に大はしゃぎしている幼い子どもの姿が目に飛び込んでくる。きっと僕なら、宇宙にでも飛び出さないかぎり、あんなにはしゃぐことはできないだろう。僕のなかの「窓」がこじ開けられる。僕はひそかに思う。よし、僕も子を持つ親になろう、と。

    そして、すぐに思い出す。この1カ月間、僕はロールパンにはさんだハニー・ターキーばかり食べて生きてきたことを。そんなもの、赤ちゃんは、1歳を過ぎないと食べられない。アパートには、僕のほかに3人の大人がいる。黒カビだって生えているかもしれない。僕はマジックマッシュルームが大好きだし、朝の5時まで踊るのも大好きだ。それに、必要なものも手にできずに生きている人たちがすでにごまんといるし、いずれにせよ地球も死に瀕している。結局、窓はバタンと閉まってしまう。

    ここにきて両親は、自分たちの人生における「祖父母の章」をあきらめてしまったみたいだ。自分たちの物語を締めくくってくれると思っていた最終章。自分たちに残された時間はもうあまりない、とやたら言ったり、長いため息をついたり、自分のきょうだいたちの孫の話をするときにジェラシーをあらわにしたり、体重10kg超の愛猫を異常なほどかわいがったり、といったことからも、それはうかがえる。

    僕の父はラビで、母はアーティストで教育者だ。11カ月後には、父は40年間務めたラビの仕事をやめて、僕が生まれ育ったオハイオ州シンシナティから東海岸へ、母といっしょに引っ越す。

    ちょっと前に実家に帰ったとき、母から、ずっと取ってあった赤ちゃんの服や本、おもちゃ数箱分を寄付した、と伝えられた。僕らが生まれてから30年以上ものあいだ、母が未来の孫のために大事に取っていたものだ。そのことを母の口から聞いたとき、僕の胸はしめつけられた。

    母が何年もかけて僕のためにパーティを企画し、それに全身全霊を傾けてきたのに、「もっと楽しい予定がほかにあるから」と言って、その招待を断わってしまったような気分に襲われた。

    僕は、母のいなくなった後の人生に恐怖を感じた。母が悔やんだり、こうであったらしいのに、と思ったりしているすべてのことに、共感的な悲しさを感じた。そうした感情を包み込んでいたのが、孫が生まれないという事実に対して抱かれる、父と母の悲しさだった。そのとき感じられた悲しさがとても大きかったせいで、僕はいま、両親に孫をプレゼントしてあげる方法はないか、真剣に考えている。この世に命を生み出す理由が悲しさだなんて、ひどいとは思うのだけど。

    だけど僕は、親戚や知人のなかに、どう見ても満足とはいえない不幸せな結婚生活を送りながら、親になるという道を選んだ夫婦を何組も見てきた。妻には関心を払わないくせに、孫のことを話し出したとたんに表情が明るくなる夫を何人も見てきた。

    「人生の目的や永遠性」に関して感じる飢えに似た思いを、自分の力ではどうともできないとき、親というものは、子どもや孫を使って、それを満たそうとするのかもしれない。大いなる力や意義を感じさせてくれる新たな命を生み出すことで、人生で必ず見えてくる「デッドエンド(行きどまり)」を避けようとするのかもしれない。

    また、たとえ子づくりが目的ではない場合でも、セックスは、苦痛からの逃避や、退屈になりがちな生活の気晴らし、単調な毎日のちょっとしたスパイスとして機能する。かくいう僕にも、セックスで悲しみを消し去ろうとした過去がある。もしトランスジェンダーじゃなかったら、この悲しい官能が、僕に子どもを授けてくれた可能性は十分にある。

    僕が子どもを授かった場合にかかるお金や労力が、この問題についての僕の気持ちに影響していることは間違いない。

    でもその一方で、子を持つことへのこのためらいは、僕がトランスジェンダーであるという事実には収まりきらないと思う。また、社会規範の外で生活し、ストレートの人たちが暮らす社会の期待なんてまるで気にしないということが、僕の姿勢の一端を担っているのはたしかなのだが、この選択も、自分がクィアであるということだけでは説明できないと思う。

    僕が知っている同い年ぐらいのストレートの人たちは、ほとんどが子どもはいない。彼らは意図的にそうしている。僕の世代は、やれうぬぼれ屋だの、やれ身勝手だの、やれ未熟者だのと、ずっと非難されてきた。たしかに僕らは、「大人になること」に、何らかのかたちで抵抗を示しているように思える。あるいは単に、大人を再定義しようとしているだけなのかもしれない。

    この壊れた世界を受け継ぐ子どもをつくることよりも、友だちやアート、パーティ、若さ、時間の自由にプライオリティを置いているなんて、最高にクールじゃないか! それとも、それって利己的でナルシスト的なことなんだろうか? たぶん、たいていのことがそうであるように、その両方なんだと思う。

    けれども、上の世代だって、「子どもをつくることは十分に自己中心的な行為だ」と思うべきなのかもしれない。「世界から忘れ去られること」への恐怖が、何らかのかたちでモチベーションになっていることを考えると。人間は、自分がこの世を去ったずっとあとにも、自分の名前や、自分が遺した財産や物事や、小さな骨とかいったものがこの世に存在していてほしいと願う生き物だ。

    もし子孫の自由研究の家系図に、ジェームズひいひいひいおじいちゃんとして自分が入っていなかったら、僕らはこの世に本当にいたことになるのだろうか? 子孫を持つことは、僕らが達成できる「小さなセレブのステータス」みたいなものだ。

    たしかにそうだ。母は、僕の心のビヨンセだし(正確に言えば、母とビヨンセはどちらも、僕のハートをしっかりとつかんでいる)、父は僕のヒレル(紀元10年頃に亡くなったユダヤ教の有名なラビ)だ。僕はふたりを愛し、大切に思い、尊敬している。僕が生きているかぎり、僕はずっと、ふたりを自分の一部として扱うつもりだ。

    でも、子どもをつくらないことで、僕はふたりをがっかりさせているような気がしている。幸せと、それよりももっと大事な安らぎをもたらしてくれるものを、ふたりから奪ってしまっているような気がする。このことに僕は胸を痛めている(そして、僕のその様子に、両親も胸を痛めているようだ。つまり僕は、ふたつのことでダメージを負わせているわけだ)。

    ふたりがこの世を去ったあと、子どもをつくらないという自分の決断を後悔することになったらどうしよう? いまなら、両親は祖父母になれるし、生まれてくる子どもにとっても、おじいちゃんとおばあちゃんができるのに。ふたりの言っていることが正しくて、子育ては人間にできるいちばん意味のあることのひとつだったらどうしよう?

    父の70歳の誕生日を祝うために先月帰省したとき、僕はふたりに、子育てにそんなにも大きな価値があるとどうして思うのか、尋ねてみた。父はまず、そこには生物学が関係しているというようなことを言った。僕はこの意見をつっぱねた。生物学と僕は厄介な関係にあるからだ。

    でも、神と僕の関係はすごく親密だ。だから僕は、父の次の言葉に耳を傾けた。父はこんなふうに言った。「子どもは、私たち人間は自分たちよりもはるかに大きな何かの一部であり、同時に、それぞれが計り知れないほど貴重で重要な存在であることを教えてくれる」

    私たちは、貴重な存在であると同時に小さな存在であり、欠くべからざる存在であると同時にほんのひとかけのような存在だ。このふたつの真実を収納するための空間を、誰もが自分のなかにもっていてほしい。そういう願望を、僕は父から受け継いでいる。

    ただ、僕は父とは異なり、この壮大な概念を本当に認識することは、必ずしも生殖というパッケージの一部だとは思っていない。自分自身や自分の子ども、すべての人間は、すばらしくパワフルであると同時に、恐ろしいほどはかない存在である、ということを理解せずに、子どもを育てている人が多いような気がしてならない。

    もし、子育てするだけでこうした認識が保証され、「貴重品のように扱われるべきなのは、特定の命だけではない」ということを保証する行動に人々をかりたてててくれるなら、僕らの世界は、いまみたいにひどい状態になっていなかっただろう。

    僕は、母のほうを見た。母はやさしいまなざしを僕に向けながら、こう言った。「私があなたたちを産みたいと思ったのは、愛を増やしたかったからだと思う。世界にもっと愛を根付かせる方法のひとつとして、子育てに取り組みたかったんだと思うわ」

    そして、こう付け加えた。「わたしには、世界にもっと愛をつくりだしてくれる人を生み出すチャンスのように思えた。この人生で可能なことはそんなにないように思えるけど、これならできると思えたし……すごく大切なことだと感じたのよ」

    子どものころの僕は、おまえは愛されている、大切な存在なんだよと、いつも言われていた。この「特権」は、僕に与えられた多くの特権のなかでも、いちばん大きな意味を持っているもののひとつだと思う。

    不思議なことに、大人になってからの僕は、今度は自分がお返しをする番のような気がしている。だから僕は、ふたりは愛されているということ、とても大切な存在であるということを、いつも彼らに伝えている。

    自分を抑えきれなくなっていた母は、僕の質問を待たずに、さらにこう付け加えた。「おばあちゃんになるっていうことは、また別の角度から、自分の子どもを愛することだって、ずっと思ってたわ。あなたの子どもを世話したり、愛したりすることでね」

    「じゃあ、僕の子どもをフルタイムで育ててくれて、愛してくれるんだったら、つまりその、いっしょに暮らして、食べさせて、養育費を出してくれるんだったら、いますぐひとりプレゼントする方法を見つけるよ」と僕は言った。

    父も母も笑った。

    そして、「あなたたちだけで十分。だから心配しないで」と言ってくれた。

    でも、僕は心配している。自分は正しくないんじゃないか、間違ったことを優先させているんじゃないか、あとで後悔するような生き方をしているんじゃないか、と。ふたりをがっかりさせているんじゃないか、彼らの人生の最後の日々を台無しにしてしまっているんじゃないか、未来に目を向けていないんじゃないか、あっというまに年を取って、手遅れになってしまうんじゃないか、と。

    これは一種のギャンブルだ。サイコロを投げることは、ひとりの人間に対する責任を負うことを意味する。すごく大きな賭けだ。そして、時計の針は刻々と進んでいる。


    僕は、助産師の立ち会いのもと、自宅で生まれた。父と母はヒッピー世代だったので、僕の胎盤をバラの茂みの下に埋めた。毎年シーズンになると、開花したバラの写真を送ってくれる。

    ふたりとも、デジタル写真の撮り方を完全にはマスターしていない。そのせいで、写真はいつもピンぼけで、バランスもよくない。だけど、そこがまたキュートで、僕を奇妙で特別な気分にしてくれる。

    僕はいま、ふたりに対して、あなたたちは僕に、吸収しきれないほどの栄養を与えてくれた、と伝える方法を見つけようとしている。たとえ僕自身が、バラの茂みの下に胎盤を埋めることはないとしても。

    だから僕は、自分をあふれさせようと努力している。母は、この世界にもっと愛を根付かせるために僕を産んだと言った。その意味では、僕は母を失望させていないかもしれない。

    僕は、自作の曲やジョーク、詩、物語をふたりに送っている。言ってみればそれらは、僕が撮った「ピンぼけのバラの写真」だ。ふたりが蒔き、身を挺して守ってくれた、僕という「種」から育ったものたちだ。

    ふたりは人生の終盤に入りつつあるので、僕は喪失感と向き合うことになるだろう。それは彼らも同じだ。両親が生きているあいだに子どもが生まれないなら、僕が、彼らの痛みを支えてあげなければならなくなるだろう。その痛みが、ほかのあらゆる本当の気持ちを消すことはないと知りながら。

    彼らが肉体の外で存在する準備に入るとき、そして、「彼らのことを覚えている僕ら」もこの世を去ったらどうなるのだろう、という恐れに立ち向かうときに、僕がふたりにかけてあげられる言葉や態度は、ひとつしか思いつかない。「あなたたちだけで十分。だから心配しないで」


    この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:阪本博希/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan