心して読んでね… 11の恐ろしい未解決事件 In イギリス

    リアルなクライムストーリーに興味のある人はどうぞ。

    警告:この記事には、人によっては不快に感じる内容があります。

    1. 1954年にルイスリップで絞殺された、ジャン・タウンゼント

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    21歳のジャン・タウンゼントは、パーティーを終えて両親と暮らす自分の家に帰る途中、身に付けていたスカーフで絞殺された。

    地元の住民が、2人のアメリカ人の男性が口論し、その後に女性が助けを求めて叫ぶのが聞こえたと証言していた。当初警察は、容疑者はサウスルイスリップ空港に拠点を置くアメリカの軍人だったのではないかと考えていた。その後多くの女性が、自分たちも見知らぬ男性に近づかれたと証言をした。

    しかし、この事件で正式に起訴された人物はいない。

    1982年、警察は一連の匿名の電話を受け、この事件を再び捜査することにした。そしてタウンゼントを殺害した容疑者はアメリカの軍人ではなく、また容疑者は、この地域の他の疑わしい事件との関連も無いと結論付けた。

    この事件は未解決のままだ。

    2. 1931年にリバプールで撲殺された、ジュリア・ウォーレス

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    ジュリア・ウォーレスは、夫のウィリアム・ウォーレスと共にアンフィールドに住んでいた。彼女が殺害される夜、夫の元に、保険について話したいので会えませんかという怪しい電話が、「R.M. クォルトロー」と名乗る人物からあったという。

    約束の時間、夫は家の外に出て電話の人物を待ったが、現れなかった。そして家に戻ったら、ジュリアが殺害されていたのだ。

    当初警察は、夫・ウィリアムが容疑者で、R.M. クォルトローとはウィリアムなのではないかと見ていた。夫は自分の妻の殺害への関与を否定したが、有罪とされ、死刑判決を受けることとなった。

    しかしのちに刑事控訴裁判所は、十分な証拠による裏付けがないという理由で、ウィリアムの死刑判決を棄却している。

    しかし、その後も彼の元にはずっと嫌がらせの手紙が届き、時には直接脅しを受けることもあった。

    最近になり、テレビ番組、書籍、ラジオ番組、新聞記事などが、この事件を再び掘り下げるようになっている。ジュリアの同僚の1人が容疑者として挙がったが、事件は未解決のままだ。

    3. 1931年にハンプシャーで毒殺された、ヒューバート・チェヴィス

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    ヒューバート・チェヴィスは、イギリス軍王立砲兵連隊の中尉であり、殺害される6か月前に、裕福な家の女性と結婚している。

    殺害される日の夜、チェヴィスと妻は自宅で友人たちと酒を楽しんでいた。友人たちが去った後、チェヴィスと妻は自宅の料理人が作って執事が持ってくる、少し早めの夕食を食べた。そしてチェヴィスは、料理に出てきたヤマウズラを口に入れた後で吐き出した。非常に不味かったのだ。

    その夜遅く、チェヴィスは痛みを伴う胃痙攣を起こし、病院に搬送された。次の日の朝、チェヴィスは死亡した。

    そしてチェヴィスの胃の中からは、2粒のストリキニーネ(毒物)が発見された。

    そしてチェヴィスの葬儀の日、チェヴィスの父親の元に、ダブリンの「J.ハーティガン」という人物から「万歳、万歳、万歳!」という電報が届いたのだ。

    そしてのちに再び父親の元に、同じ差出人から「本件の謎は解決不可能」と書かれたハガキが届いている。

    実際に、この事件はまだ解決されていない。

    4. 1902年、ピーゼンホールで刺殺されたローズ・ハーセント

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    サフォークのカントリーハウスの使用人であるローズ・ハーセントは、雷雨の激しい真夜中に刺殺された。その段階で、ハーセントが妊娠しているとは誰も知らなかった。

    ハーセントが殺害された後、地元の牧師のウィリアム・ガーディナーが、殺人の疑いで逮捕された。その後ガーディナーは釈放されている。

    ガーディナーは結婚して子供が6人いるにもかかわらず、ハーセントと浮気をしていたのだ。後にガーディナーは、ハーセントが妊娠していた子どもの父親なのではないかと噂されていた。

    ガーディナーは殺人罪で裁判にかけられたが、陪審員が評決に同意しなかったため、正式に無罪とされる前に死亡した。地元の人の中では、ガーディナーの妻が嫉妬を感じてハーセントを殺害したのではという人もいたが、裏付けを取ることはできなかった。

    5. 1945年、ウォリックシャーで生贄として殺害されたチャールズ・ウォルトン

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    チャールズ・ウォルトンは75歳の農夫で、養子にした姪のエディス・ウォルトンと一緒に暮らしていた。殺害される日、チャールズはアルフレッド・ポッターの農場で、1日中生け垣を切り倒していた。

    エディスが家に帰るとチャールズがいなかったため、エディスとアルフレッド、そして隣人のハリー・ビーズリーがチャールズを探しに行った。

    そして3人は、体を殴打されて刃物で切られた上、杭のようにピッチフォークで地面に刺されたチャールズの遺体を発見した。胸は十字架のように裂かれ、そして身に付けていた腕時計は無くなっていた。

    当初警察は、近くの刑務所から脱獄した気のふれた受刑者か、イタリアの捕虜がチャールズを殺害したのではと考えていた。アルフレッド、エディス、エディスのボーイフレンド、チャールズの親友、通りすがりの人のすべてが、容疑者として尋問を受けた。

    チャールズは魔女であると考えられ、儀式的な殺人の犠牲になったのではと多くの地元の人は話している。

    そしてこの事件で最も不気味なのは、数年前に同じ地域・同じ手口で、女性1人が殺害されているという点だ。

    6. 1908年にアイタムで射殺された、キャロライン・ルアード

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    キャロライン・ルアードは、夫のチャールズ・ルアード少将と散歩をしていた。チャールズは近くのゴルフ場からゴルフクラブを取ってくるためにキャロラインと別れ、キャロラインは、家でアフタヌーンティーに来る客を待っていた。

    夫が家に戻ると、夫はキャロラインの遺体を発見した。頭には銃弾の傷があり、指輪が無くなっていた。

    一部の人は、夫がキャロラインを射殺したのではと考えていた。のちに夫は自殺している。

    キャロラインが射殺される前に、ジョン・ディックマンという人物が彼女にお金を貸すと申し出ていた。ジョンはたのちに電車で男性1人を殺害し、死刑を宣告を受けており、彼が犯人ではと考える人もいた。

    この事件の真相も闇のままだ。

    7. 1972年にスタッフォードシャーで殺害された、ジュディス・ロバーツ

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    高校生のジュディス・ロバーツは、自転車に乗っているときに殺害された。

    兵士のアンドリュー・エヴァンスは、夢の中でロバーツの顔が出てくることに苦しみ、ロバーツを殺害したと自白した。エヴァンスは終身刑を宣告された。

    しかし、人権団体のJusticeの助けにより、エヴァンスは後に刑務所から釈放されることとなった。エヴァンスは、記憶喪失とうつ病に苦しんでおり、病気のために偽の記憶が生み出されたと主張していた。

    そして刑務所に入ってから25年後、エヴァンスは釈放され、イギリス内務省から75万ポンドの補償金を受け取ることとなった。

    事件の真相は誰も知らない。

    8. 1975年にレイトンで喉を切られて殺害された、イブ・ストラトフォード

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    イブ・ストラトフォードはプレイボーイのバニーガールをやっており、レイトンのシェアハウスで喉を切られて殺害されているのを、恋人が発見した。手はスカーフで縛られ、片方の足首はタイツで縛られていた。

    有罪とされた人物はいなかったが、2004年にこの事件の捜査が再開された。

    2007年、最新のDNA技術により、ストラトフォードを殺害した容疑者は、ハウンズローで殺害された16歳のリン・ウィードンを殺害した容疑者と同一人物である可能性が高いことが判明した。

    警察は、2つの事件は性的な動機による殺人で、同一人物によるものだと見ているが、それを裏付ける証拠はまだ発見されていない。

    9. 1976年にハイランドで行方不明になった、レニーマクレー

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    行方不明になる日、夫と別居していたレニー・マクレーは、長男のゴードンを父親と一緒に泊まらせるため、夫の家まで長男を車で送っていった。

    もう1人の息子・アンドリューと一緒に、キルマーノックの妹の家に車で向かったのが最後に目撃されている。そしてマクレーとアンドリューは、目的地に到着することは無かった。

    マクレーの車は道路の待避所に停められている状態で発見され、そして車の中は、マクレーの血液型と一致する血液が一面に飛び散っていた。なお、マクレーとアンドリューの遺体はどちらも発見されていない。

    捜査により、マクレーはアンドリューの本当の父親である可能性がある、既婚男性のビル・マクダウェルと関係を持っていたことが判明した。

    マクレーの親友は、マクレーが行方不明になった時に向かっていたのは妹の家ではなく、マクダウェルの元だったと主張した。

    最近、地元の人たちはマクレーの遺体とアンドリューの遺体が、A9の下に埋まっているのではと考え始めたようだ。ある農家の男性は、「遺体が埋まっている可能性」のある場所に、黄色い丸を描いている。

    しかし、事件の真相は誰にも分からない。

    10. 1876年にバルハムで毒殺されたチャールズ・ブラボー

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    チャールズ・ブラボーは法廷弁護士であり、私生子の父親であるにもかかわらず、フローレンス・リカルドと結婚していた。リカルドは以前に暴力的なアルコール依存症の男性と結婚しており、またずっと年上の既婚男性とも関係を持っていた。最初の夫が亡くなったとき、リカルドは年上の男性との関係を終わらせ、ブラボーと結婚した。

    ブラボーはリカルドに対して暴力的だった。1870年の「既婚女性財産法」のおかげで、より多くの財産を所有していた可能性があり、おそらくリカルドはブラボーよりも裕福だった。

    そしてブラボーは、リカルドと結婚して4か月後に毒殺された。

    中には、ブラボーはリカルドの毒殺を計画していたが、誤って自分で毒を飲んでしまったのではと考える人もいた。

    その他には、ブラボーは自殺したという説、家政婦がブラボーを殺害した説、リカルドがブラボーを殺害した説、そして最近解雇された、ブラボーの以前の花婿付き添い人がブラボーを殺害した説などがある。

    この事件で逮捕・起訴された人物は出ていない。

    11. 1919年にリトルストレットンで射殺されたベラ・ライト

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    工場で働く22歳のベラ・ライトは、男性と一緒に緑色の自転車に乗っているのを目撃された日、頭を撃たれて死亡した。

    第一次世界大戦の退役軍人のロナルド・ヴィヴィアン・ライトは、ベラ・ライトを殺害した罪で裁判にかけられ、後に無罪となった。

    裁判では2人の若い女性が、ベラ・ライトが死亡した日、自転車に乗っている時にロナルドに追いかけられたと証言し、またはロナルドは、以前に未成年者との不適切な行為を2回行ったことを認めた。

    ロナルドは、ベラ・ライトが自転車のスパナを見つけるのを手伝っただけで、ベラ・ライトの遺体の近くで見つかった血液は、カラスの血液だと主張した。

    そして弁護士の助言により、ベラ・ライトの殺人を除く、それ以外の起訴されていることをすべて事実だと認めた。

    しかしロナルドはベラ・ライトが殺害された後、5か月間自分の自転車を隠し、その後自転車を解体して川に投棄している。

    この事件について書かれた本も出版されており、中にはロナルドが、殺害を自白したとする本もある。とはいえこの自白の裏付けは取れていない。

    この記事は英語から翻訳・編集しました。