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日本 に すむ 難民(なんみん)の 子「つよく 生(い)きて」と 難民ランナー が メッセージ【やさしい 日本語 の きじ】

東京(とうきょう)マラソン を 走(はし)った 難民(なんみん)の 選手(せんしゅ)が、日本 に 住(す)む 難民(なんみん)の 子ども に メッセージ を おくり ました。【やさしい にほんご の きじ】

3月(さんがつ)1日(ついたち)、ひとり の 難民(なんみん)の 選手(せんしゅ)が、東京(とうきょう)マラソン に でました。

39才(さい)の ヨナス・キンディ さん です。

ヨナスさん は、アフリカ の エチオピア という 国(くに)で 生(う)まれ ました。でも、政治(せいじ)の 問題(もんだい)で、エチオピア から 逃(に)げ ました。

それからは、ルクセンブルク という 国(くに)で、難民(なんみん)として、くらして います。

ヨナスさん は マラソン に でる ために、2月(にがつ)から 1週間(いっしゅうかん)、日本(にほん)に きました。

日本(にほん)にも、外国(がいこく)から 逃(に)げて きた 難民(なんみん)の 人(ひと)が 住(す)んで います。子(こ)ども も います。

ヨナスさんは、日本(にほん)に 住(す)む 難民(なんみん)の 子(こ)ども に、こう 伝(つた)えたい と 話(はな)します。

「どんなに 大変(たいへん)な ことも、チャレンジ して ください。 希望(きぼう)を 持(も)って、強(つよ)く 生(い)きて ください」

今回(こんかい)は、ヨナスさんは マラソン の 練習(れんしゅう)で 忙(いそが)しかった ですが、日本(にほん)に 住(す)む 難民(なんみん)の 人(ひと)にも、会(あ)いに 行(い)きたかった そうです。

ヨナスさんは、14才(さい)で、マラソン を 始(はじ)め ました。

家(いえ)から、学校(がっこう)まで、8キロメートル を 毎日(まいにち)走(はし)って いました。

18才(さい)からは、クラブ チーム で、給料(きゅうりょう)を もらって、走(はし)って いました。

エチオピア は、とても 足(あし)が 速(はや)い マラソン 選手(せんしゅ)が たくさん いる 国(くに)です。

ヨナスさんも「オリンピック選手(せんしゅ)に なりたい」と 思(おも)って 練習(れんしゅう)を がんばりました。

「走(はし)る ことは、友達(ともだち)です」と、ヨナスさん は 話(はな)します。

2016年(ねん)、ヨナスさんは ブラジル の リオデジャネイロ で あった オリンピック に でました。

ヨナスさんは、子(こ)ども の ときの、夢(ゆめ)を 叶(かな)え ました。

普通(ふつう)は、スポーツ 選手(せんしゅ)は、自分(じぶん)の 国(くに)を 代表(だいひょう)して、オリンピック に でます。

でも、難民(なんみん)は 自分(じぶん)の 国(くに)から でることが できません。

だから、2016年(ねん)に 難民(なんみん)の スポーツ 選手(せんしゅ)の ための チーム が できました。

「難民(なんみん)選手団(せんしゅだん)」という 名前(なまえ)です。

夢(ゆめ)を 叶(かな)えた ヨナスさんは、「強(つよ)く 生(い)きて、情熱(じょうねつ)が あれば、なんでも 達成(たっせい)できます」と 話(はな)し ます。

ヨナスさんは、今(いま)住(す)んでいる、ルクセンブルク だけ でなく、フランス や、ドイツ の マラソン 大会(たいかい)でも、勝(か)って きました。

難民(なんみん)に なって、ルクセンブルク に 行(い)った 時(とき)は、フランス語(ご)も わからなくて、大変(たいへん)でした。仕事(しごと)も ありません でした。

しかし、ヨナスさん は フランス語(ご)の 勉強(べんきょう)も、スポーツ 選手(せんしゅ)に マッサージ を する 仕事(しごと)も がんばり ました。

今(いま)、目指(めざ)している のは、東京(とうきょう)オリンピック に 出(で)る こと です。

ヨナスさんは、「世界(せかい)では、たくさん の 人(ひと)が 難民(なんみん)に なり、苦(くる)しんで います。子(こ)ども も、死(し)んで いって います」と 話(はな)します。

ヨナスさんは、オリンピック に 出(で)て、世界(せかい)の 人(ひと)に、難民(なんみん)に ついて 知(し)って、サポート して ほしいの です。