春めいた気候となった3月17日。さいたま市桜区の秋ケ瀬公園に、カラフルな服装を身をまとった人々が集まった。

クルド人の春の祭り「ネウロズ」を祝う人々だ。
クルド人とは、トルコ、イラク、シリア、イランの各国に、国境を越えて拡がる民族。総人口3000万人とされるが、民族分布と無関係に国境線が引かれたため、いずれの国でも「少数民族」として差別されたり、弾圧されたりしている。
なぜ中東クルドの祭りが遠く離れた埼玉県で開かれているのか。埼玉だけで1500人といわれるクルド人が暮らしているからだ。
その多くは、トルコ東部や南部の出身。トルコ国籍だけでなく、シリア国籍やイラン国籍などの人も集まった。みんなパスポートは別々だが、クルド語を話すクルド人という点で繋がっている。

トルコでは、人口の2割ほどをクルド人が占める。だがトルコ政府はクルド人に対して同化政策を採り、弾圧も続けてきた。
文化や言語の独自性を守りたいクルド人の独立運動が起き、一時は軍などによる鎮圧作戦も展開された。クルド独立を求める組織PKKはトルコ政府に「テロ組織」に指定されている。
国会にはクルド人中心の国民民主主義党(HDP)もあり、2018年の選挙で64議席(定数600)を占めたが、指導者のデミルタシュ氏は「テロ容疑」で逮捕され、今も獄中にある。トルコ政府はそれほど、クルド人の動きを警戒している。
トルコ国籍の場合、90日以内の滞在の場合、日本のビザは免除される。このため、トルコ国籍クルド人が行きやすい日本は、生きるための「脱出先」の一つとなっているのだ。
「みんな自由に楽しんで」
さいたま市でのネウロズの祭りは、日本に暮らすクルド人らでつくる「日本クルド文化協会」が主催している。
「みなさん、自由に踊ってください。今日は天気がいいし、これからもどんどん人が集まります。どうぞ自由にネウロズを楽しんで下さい」
事務局長のワッカズ・チョラクさん(37)がステージに立ち、クルド語と日本語であいさつした。

ネウロズは、クルドの新年を祝う祭りだ。クルド人にとっては年間で最も大切な祭礼で、みんなで輪になって踊り、楽しむ。
苦難続く日本のクルド人ら
だが、ワッカズさんには、心に引っかかっていることがある。ワッカズさんだけでなく、ここに集まるクルド人の多くもそうだ。滞在資格の問題だ。
クルド人は欧米など各地で難民として認められ、一定の保護を受けている。だがクルド問題に詳しい弁護士や支援団体によると、日本の当局がこれまでトルコ国籍のクルド人の難民申請を認めた例はない。良好な両国関係に「配慮」した結果ではないかとみられている。
このため、日本人と結婚したり、日本企業に就職してその支援でビザを得たりした人などを除く多くの人々は、滞在期限が切れると「不法残留」の扱いとなる。難民申請をして、入管の権限による「仮放免」などの不安定な立場で、何とか暮らしている。
ワッカズさんは正規の滞在資格を持っているが、そうではない兄弟のメメットさん(38)は、1年2ヶ月前から東京入国管理局に収容されている。
メメットさんは2019年3月12日、体調不良を訴えたものの、入管の嘱託医の判断で病院には搬送されなかった。窮状を聞いたクルド人や日本人支援者らが入管の前に集まり、夜を徹した抗議活動が続いた。
クルド人が多い地域を示す地図
お父さんは入管に収容中
メメットさんの妻は「友人らは家族みんなで祝ってるが、私たちは家族が揃っていない。夫がいないネウロズは、去年に続きこれで2回目になります」という。
例年の祭りでは、妻もクルドの民族衣装を着て太鼓を叩くが「今年は、悲しくてそんな気にもなれなかった」と肩を落とした。
一家はメメットさんの兄がクルド問題の活動家だったため、2004年にトルコから来日して難民申請を行った。
メメットさんの妻は週に1度、入管でガラス越しに夫と面会するが、3人の息子たちは平日は学校があるため、なかなか面会にはいけない。
子どもたちが最後にメメットさんと面会できたのは昨年の12月のことだという。
日本で生まれ育った8歳の三男は「前はお父さんと魚釣りやサッカーをして遊んだ。早くまた会いたい」と小さな声で話し、母に抱きつき涙を流した。
三男は日本で生まれ育ち、地元の公立小学校に通っているため、ごく普通に日本語を話し、読み書きもできる。
「パスちょうだい」 子どもたちは日本語で叫ぶ
ネウロズの会場では大人だけでなく、子どもたちも集まった。男の子たちは「パスちょうだい」「それ、ファールだよ!」と、日本語で話しながら、芝生が拡がる会場の隅で、サッカーをしていた。
日本で育つクルドの子どもたちの共通言語は、日本語なのだ。

「日本社会のために働きたい」
「子どもたちが大学を卒業したときに、働ける権利だけでも与えてほしい。何も責任のない子どもたちには、後悔のない人生を生きてほしい」
小学生と大学生の娘3人を埼玉県川口市で育てるクルド女性(48)は、BuzzFeed Newsにこう語る。
この女性は来日して難民申請をしてから10年経つが、認められていない。働く権利も与えられていないため外に出る機会も少なく、日本語はまだあまり分からないという。
その言葉を日本語に通訳してくれたのは、日本で育った11歳の三女だった。
長女と次女はそれぞれ大学で、看護と福祉を学んでいる。いずれも難民申請中で現在は「仮放免」の立場だ。買い物などの用事で埼玉県から東京都内に出る時にも、入管に申請をして許可を得る必要があり、働くこともできない。
大学で学んでも、それを活かして卒業後に働くことは許されていないのだ。
「娘たちは看護師や介護士として、日本の人々のために働こうとしている」
そう語る母の言葉を訳した11歳の三女は「将来は、人の役に立つ仕事に就きたいです」と、笑顔で話した。
一家は、労働許可を求めて裁判を起こしている。

「日本政府はどうしたいのか」
50歳の男性は日本で10年暮らし、日本語も巧みだ。日本人と結婚しているため、安定した立場で暮らすことができる。ただし、「私もトルコに戻ったら、すぐ捕まって刑務所に送られる。クルド人だから」という。
「日本で色んな人々に助けてもらい、日本人と日本社会は大好きです。しかし、日本政府がクルド問題でどうしたいのか、さっぱり分からない。そもそもトルコのクルド人の入国を断りたいのならば、そうすればいいのに、ビザは免除されたままです」
「そして、日本で多くの子どもたちが生まれ、育っている。日本以外では暮らすことができない世代がどんどん増えている。難民問題をどうするのか、クルド問題をどうするのか。日本政府ははっきりすべきだ」
