なんで「独裁者」の息子が大統領に? ぶっちゃけどうなのか、フィリピンの有権者に聞いてみた

    フィリピンで大統領選挙が実施され、ボンボン・マルコス氏の当選が確実となりました。父親は「独裁者」として知られた故フェルディナンド・マルコス元大統領。この結果を有権者はどう受け止めているのか、市民の声を聞きました。

    フィリピンで5月9日、大統領選挙が投開票され、「ボンボン」の愛称で知られるフェルディナンド・マルコス・ジュニア元上院議員(64)の当選が確実となりました。

    ボンボン氏の父は「独裁者」として知られ、1986年の「ピープルパワー革命」で失脚した故フェルディナンド・マルコス元大統領。

    副大統領には、タッグを組んで出馬した、ロドリゴ・ドゥテルテ現大統領の娘サラ氏(43)が当選確実となりました。

    ドゥテルテ大統領も「麻薬撲滅のためなら超法規的に容疑者を殺す」という強権的姿勢で知られ、「フィリピンのトランプ」の異名を取っています。

    かつて市民に追放された独裁者の息子と、フィリピンのトランプの娘。このコンビが勝つという結果を、フィリピンの人々はどう受け止めているのか。

    尋ねると、旧マルコス政権に対する世代間の考え方の違いが2人の勝因の背景に浮かんできました。

    ボンボン・マルコス氏、どんな人?

    ボンボン氏の父親は、1965年から約20年にわたり大統領の座につき、戒厳令下での人権侵害が国内外で問題視された、故フェルディナンド・マルコス氏。

    「アジアのケネディ」と呼ばれ、48歳の若さで大統領に就任した当初は失業率の低下などを実現したのですが、次第に行き詰まると1972年に戒厳令を布告。憲法を停止しました。

    戒厳令下で強権的な政治に声を上げた人々が拘束され、拷問を受けたり殺害されたりする事態が相次ぎました。

    のちのフィリピン政府の調査によると、1万人以上が不当な拘束や拷問の被害を受け、少なくとも2千人が殺されるか行方不明となりました。

    マルコス一家は独裁政権時代からの不正蓄財の問題も抱え、いまだ解決していません。

    そして1983年には民主化運動指導者で政敵のベニグノ・アキノ氏がマニラ空港で暗殺されました。その様子が同行していた日本などのテレビカメラに収められ、世界に衝撃を与えました。

    ボンボン氏の母イメルダ氏も、3000足の高級靴を所有する「女帝」として、日本でも話題になりました。

    フィリピンでは1986年、大統領選でマルコス政権側が行った不正などに怒った市民が非暴力のデモに立ち上がり、マルコス政権は崩壊。マルコス一家はアメリカに亡命しました。

    しかし1989年にフェルディナンド氏が死去すると帰国を許され、政界に返り咲きました。イメルダ氏は1992年大統領選に出馬。敗れたのち、95年に下院議員となりました。

    独裁や政治腐敗の象徴としても知られるマルコス一家ですが、「地盤」であるフィリピン北部・北イロコス州では根強い人気があります。

    ボンボン氏も同州の知事や副知事を歴任。国政にも進出し、2016年までは上院議員を務めていました。姉のアイミー氏も北イロコス州知事や下院議員を務め、現在は上院議員です。

    かつての独裁者の息子と現大統領の娘は、なぜ正副大統領候補としてタッグを組んだのでしょうか。

    両家の関係はここ数年、目に見えて強まっていました。ドゥテルテ大統領は、就任から半年も経たない2016年11月、戦争の犠牲となった兵士などを追悼する国立の「英雄墓地」にマルコス元大統領を「国民の和解」を名目に埋葬することを決めました。

    これに旧マルコス政権下で起きた人権侵害を追及する人々からは強い抗議の声があがり、むしろ分断が拡がるかたちとなりました。

    独裁を知らない世代の支持をSNSで

    今回の選挙戦でボンボン氏陣営は、SNSを駆使して人口の平均年齢が24歳の若者の国で支持を得てきました。

    つまり、父親が約20年にわたり続けた独裁を知らない世代に焦点を絞り、アピールしたのです。ソーシャルメディアでは、父親が行った過酷な人権弾圧を無視して功績だけを讃える映像や画像などが出回り、支持を集めていました。

    SNSでは攻勢を仕掛ける一方、大統領候補者の討論会を欠席したり、厳しい質問をするメディアの取材は避けたりするといった姿勢を取り、批判も浴びました。

    ドゥテルテ政権から引き継ぐ形となる、違法薬物取り締まりやインフラ整備、コロナ禍からの回復などに取り組む姿勢を示しています。

    「再び偉大な国に」有権者に時代認識の落差

    フィリピンの人々は、何を期待してボンボン、サラ両氏に投票したのでしょうか。BuzzFeed Newsはフィリピン内外の有権者に尋ねました。

    そこから見えてきたのは、フィリピン人の間で生まれている、マルコス時代を巡る認識の落差です。

    ドゥテルテ一家の「地盤」ミンダナオ出身で、東京都在住の松居エープリルリンさん(37)は「ボンボン氏なら、ドゥテルテ氏の偉業を引き継ぎ、フィリピンを再び偉大な国にしてくれる」と話します。

    「マルコス政権が終わってから36年間、何人も大統領が選出されましたが、誰もフィリピンを貧困から救うことはできなかった。国民は貧困と汚職に苦しみ続けています。ボンボン支持者はそのことに気づいたのだと思います」

    フィリピン統計庁によると2021年上半期、必要な食料などを買うことができない「貧困層」の割合は23.7%。民間の大手調査機関「SWS」の調査によると、自身の家庭を「貧困」と答えた割合は43%に上ります。

    松居さんは「コロナ禍や災害で低迷した経済に取り組み、雇用対策をしてほしい」「強いリーダーシップで、真の改革を成し遂げてほしい」と話しました。

    マルコス時代を知らない世代は人権弾圧をどう考える?

    では、マルコス政権下での人権弾圧をどう思うのか。松居さんは、こう答えました。

    「マルコス元大統領は任期中、フィリピンを改善してくれたと、人々は考えていると思います。ドゥテルテ大統領が行ったインフラ整備『ビルド(建設)・ビルド・ビルド』も、マルコス氏が実施したインフラ整備をモデルにしたものです」

    「戒厳令下での経験は人によって違います。私の祖父母は戒厳令下で、明確なルールのもとで平和な日々を過ごしたと言っていました。きちんと決まりに従っていれば安全でした。戒厳令を布告したのは、暴動があったからです」

    松居さんはマルコス政権時代をほとんど知らない世代。カナダからボンボン・サラ両氏に投票したという女性(33)も、こう語りました。

    「人権侵害を受け、マルコス氏のことを決して許さない人たちはいると思う。でも、私は戒厳令下でどんな人権侵害が起きたのかは、よく知りません。知っているのは、マルコス氏が国のために成し遂げた偉業です」

    ボンボン・サラ両氏には、教育と医療、幼稚園の無償化や雇用創出、電気料金の値下げなどの対策を打ち「貧困を終わらせてほしい」と話しました。

    「ボンボン氏に投票した理由は、強いキャラクターを持ち、父親のマルコス元大統領が成し遂げたことの大半は当時のフィリピン人の生活を改善したと考えるからです」

    「フィリピンはかつて『アジアの虎』と呼ばれていました。もう一度、そう呼ばれるように、国を変えてほしい」

    マルコス政権を倒した革命世代の見方は

    「ピープルパワー革命」とも呼ばれ、マルコス政権打倒に市民が立ち上がりフィリピンが民主主義を取り戻した1986年のエドサ革命。当時、声をあげた人は、この選挙をどう見るのでしょうか。

    フィリピン大学で学生自治会のリーダーを務め、反独裁の学生デモを率いていたジェイジェイ・ソリアノさん(60)は、こう話します。

    「多くのフィリピン人はマルコス政権当時はまだ生まれておらず、当時の人権侵害や汚職について、直接は知りません」

    「マルコス一家は、マルコス政権や歴史に関し、間違った情報を拡散させることに成功したのだと思います」

    フィリピンの平均寿命は日本より大幅に低く、男性が67.4歳、女性が73.6歳。36年前に失脚したマルコス政権の記憶がある人は、少なくなってきています。

    不当な拘束や拷問、殺害などの人権侵害があった過去が忘れ去られようとする状況に、ソリアノさんは「若い世代には、民主主義の真の価値、人権を守る大切さを伝え続けていきたい」と切実な思いを語りました。

    ソリアノさんは、マルコス一家への支持の高さの背景に、マルコス政権失脚後の36年間、人々の生活があまり改善しなかったこともあるのではと分析します。

    その上で、次期政権では雇用創出などの貧困対策、教育や医療制度の拡充、農業や投資環境の整備などの政策が実行されるべきだと指摘しました。

    ソリアノさんは今回の選挙戦では、現副大統領のレニー・ロブレド氏を支持していました。

    SNS上ではロブレド支持者から、「マルコス戒厳令下での人権侵害を忘れてはいけない」「決して繰り返してはならない」「悪夢だ」との声が上がっています。

    「マルコス家の息子というだけ」「中身は空っぽ」との指摘も頻繁に出ているボンボン次期大統領。これからの任期6年を、どう舵取りするのでしょうか。

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